下船が始まりました。船員さんがお年寄りをしっかりと支えていました。
(下船開始)
宅急便屋さんは、船から荷物をもらっていました。これから配達するのですね。
(船から荷物を)
深島の島内散策を開始しました。ここで、深島の概要を書いておきます。
深島は、大分県の南東端、蒲江港から南に9kmの日向灘に位置する。地殻変動で沈降水没した陸の山頂部といわれている。周囲は大小無数の岩礁、切り立った海食崖、海食洞がある。南部と北部にある台地状の2つの島が、「はま」と呼ばれている砂州で結ばれ、砂州のくびれた部分に集落がある。気候は温暖多雨で、夏季には南南東、冬季には北西の季節風を受ける。もともと御手洗水軍の拠点だったと伝えられ、享保6年(1721)に本土から農民が移住し開拓が始まったが、寛保3年(1743)に佐伯藩の命令で屋形島に移され、無人化した。のちに佐伯藩の流刑地となり、明治5年に蒲江浦から7人が移住、再び開拓された。現在は小型旋き網漁を中心とした沿岸漁業が営まれている。
左の赤い建物は、民宿のようです。
(島内散策を開始)
少し坂を登った所に大きな木造の建物がありました。中を見ようとしましたが、施錠されていて、見られませんでした。漁業の道具でも入っているのでしょうか。
(大きな木造の建物)
その反対側には、作業場のようなものがありました。船の修理工場でしょうか。今、まだ使われているのでしょうか。
(作業場のようなもの)
もう少し上ると鳥居がありました。「深島大明神」と書かれていました。
(鳥居が)
(写真撮影:2013.04)
(下船開始)
宅急便屋さんは、船から荷物をもらっていました。これから配達するのですね。
(船から荷物を)
深島の島内散策を開始しました。ここで、深島の概要を書いておきます。
深島は、大分県の南東端、蒲江港から南に9kmの日向灘に位置する。地殻変動で沈降水没した陸の山頂部といわれている。周囲は大小無数の岩礁、切り立った海食崖、海食洞がある。南部と北部にある台地状の2つの島が、「はま」と呼ばれている砂州で結ばれ、砂州のくびれた部分に集落がある。気候は温暖多雨で、夏季には南南東、冬季には北西の季節風を受ける。もともと御手洗水軍の拠点だったと伝えられ、享保6年(1721)に本土から農民が移住し開拓が始まったが、寛保3年(1743)に佐伯藩の命令で屋形島に移され、無人化した。のちに佐伯藩の流刑地となり、明治5年に蒲江浦から7人が移住、再び開拓された。現在は小型旋き網漁を中心とした沿岸漁業が営まれている。
左の赤い建物は、民宿のようです。
(島内散策を開始)
少し坂を登った所に大きな木造の建物がありました。中を見ようとしましたが、施錠されていて、見られませんでした。漁業の道具でも入っているのでしょうか。
(大きな木造の建物)
その反対側には、作業場のようなものがありました。船の修理工場でしょうか。今、まだ使われているのでしょうか。
(作業場のようなもの)
もう少し上ると鳥居がありました。「深島大明神」と書かれていました。
(鳥居が)
(写真撮影:2013.04)