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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

静岡県弁天島の島旅 2回目

2017-02-04 04:30:00 | 14東海・静岡県
初めて降りた弁天島駅を見学してみました。11:15過ぎに着きましたが、発券売場が13:35まで閉鎖されていました。有人駅でもこのようなことがあるのですね。それともその間、電車が止まらないのでしょうか。


(発券売場)

夏場、海水浴時にはたくさんの人が来られるようで、臨時の改札所もありました。


(臨時の改札所)

駅の乗降場も大変広かったです。


(駅の乗降場)

駅の横を新幹線が通過していきました。いつもは逆から見ていたのですね。


(駅の横を新幹線が)

トイレに入り、出発の体制を整えました。「家康くん」の命令が書かれていました。(笑)


(「家康くん」の命令)

弁天島駅の駅舎を出て、弁天島の散策へ出発しました。


(弁天島駅の駅舎)
(写真撮影:2016.03)
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静岡県弁天島の島旅 1回目

2017-02-03 04:30:00 | 14東海・静岡県
今回は、静岡県の弁天島への島旅に出かけました。
いつものように出向いた島の概要を書いておきます

弁天島は、浜名湖南部にある島々。弁天島・新弁天をはじめ、埋め立てによりできた乙女園・観月園・渚園・千鳥園・日之出島・蓬莱園などの総称として現在は使われている。もともとは「西の野」と呼ばれる砂州だったが、明応7年(1472)の津波で砂州が切断され、4つの島が形成されたといわれる。島には松林があり、浜名湖と遠州灘の接点である東海道「今切の渡し」の防風林の役目を果たしていた。宝永4年(1707)に弁才天の祠が祀られ、弁天島と呼ばれるようになった。明治14年には東側から架橋され、その後は海水浴場も開かれた。同39年には東海道線の仮停車場ができ、大正5年には常設(現東海道本線弁天島駅)となったことで観光地化が進んだ。昭和初期には埋め立てにより新たに4島が誕生、それぞれ架橋で結ばれている。昭和35年には弁天島温泉がオープン、海浜公園やオートキャンプ場や各種スポーツ施設なども整備され、温暖な保養・観光地として人気を集めている。
なお、「シマダス」では「無人島」になっているが、「しまなび」では「有人島」になっている。
弁天島の地図です。

(弁天島地図)

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から

今回は、「青春18きっぷ」で出かけました。


(青春18きっぷ)

最寄りの駅の始発に乗車して、弁天島へ向かいました。


(スケジュール表)

1回目の乗換駅、熱海です。


(熱海駅)

沼津へ向かいました。


(沼津へ)

浜松で乗り換えて、弁天島へ向かいました。


(浜松駅)

弁天島へ着きました。


(弁天島駅)
(写真撮影:2016.03)
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