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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

鹿児島県・宮崎県への島旅 10回目

2016-12-24 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
以前、この民宿には宿泊したことがあり、知っているので、風呂へ向かいました。


(風呂へ)

ここには、「岩風呂」と「五右衛門風呂」とがあります。


(風呂場)

今回も五右衛門風呂に入りました。


(今回も五右衛門風呂に)

五右衛門風呂が分からない人のために入り方が書かれていました。


(五右衛門風呂への入り方)

入っている板は小さかったです。ユックリと入りました。


(板は小さかった)

風呂から上がって、部屋へ向かうと壁には色々な人の色紙が掲げられていました。


(色々な人の色紙)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 9回目

2016-12-23 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
道路を挟んで大きなJAの建物がありました。


(大きなJAの建物)

「赤尾木港の岸岐と築島」と書かれた説明板がありました。


(「赤尾木港の岸岐と築島」と書かれた説明板)

ここが「赤尾木港の築島」です。


(赤尾木港の築島)

馬毛島へ行くときに船から見たのが、「赤尾木港の岸岐」であったようです。


(赤尾木港の岸岐)

その後、今夜の宿泊場所の民宿に着きました。




(今夜の宿泊場所)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 8回目

2016-12-22 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
コンクリートを造る設備でしょうか。


(コンクリートを造る設備)

ここでも漁がされていました。


(漁が)

もう1つの港に接近しました。この島を所有している会社の建物がたくさん建っていました。


(もう1つの港に接近)

馬毛島を離れていきました。


(さようなら馬毛島)

西之浦港へ戻ってきました。


(西之浦港へ)

港へ上がるとJAのコープがありました。入って、飲み物を買いました。


(JAのコープ)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 7回目

2016-12-21 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
ある場所に上陸しました。色々と政治的な問題もあるので、詳細は割愛します。その後、島に沿って、進行しました。桟橋のようです。


(桟橋)

海岸線には、ゴツゴツした岩が続いていました。




(ゴツゴツした岩)

あるところでは、ブッシュのような木が生えていました。


(ブッシュのような木)

操業している漁船もありました。


(漁船)

沖合を「RKK LINE」の船が航行していました。


(「RKK LINE」の船)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 6回目

2016-12-20 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
「おじゃり申せ種子島」と書かれた横断幕が掲げられていました。ところで、高速艇に乗っている間に、明日、渡島予定した島へのチャーター船を明日、天気が悪くなりそうだったのと早く船で種子島に到着したので、変更依頼をしました。


(歓迎の横断幕)

チャーター船を手配してもらった人の迎えを種子島の案内板の前で待っていました。ここの案内板には「おじゃりもうせ 種子島」と「申せ」がひらがなになっていました。


(案内板の前で出迎え車を待つ)

港へ連れて行ってもらい、チャーター船に乗りました。


(チャーター船)

西之表港を出発しました。


(西之表港を出発)

チャーター船は加速していき、馬毛島に接近していきました。


(馬毛島に接近)

芝生で覆われた広いところが見えてきました。


(芝生で覆われた広いところ)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 5回目

2016-12-19 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
鹿児島港を出発すると桜島が見えてきました。

(桜島)

高速艇は、スピードを上げていきました。79km/hのスピードになりました。


(79km/hのスピード)

開聞岳が見えてきました。


(開聞岳)

佐多岬も見えてきました。早いですね。


(佐多岬)

馬毛島が見えてきました。


(馬毛島)

種子島の西之表港に着きました。


(種子島の西之表港)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 4回目

2016-12-18 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
車窓から桜島が見られました。


(桜島)

鹿児島中央駅を経由して鹿児島港へ向かいました。


(鹿児島中央駅を経由)

途中、市電が走っていました。


(市電)

当初、種子島へは、夕方の便を予定していましたが、午後一番の便に乗船できることになり、手続き変更しました。


(乗船手続き変更)

高速艇に乗船しました。


(高速艇に)

高速艇は、シートベルトの着用が必要であまり好きではありません。


(シートベルトの着用)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 3回目

2016-12-17 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
羽田空港を離陸しました。安いツアーでの座席は、翼の上ですね。


(翼の上)

滑走路へ行く途中、「葛西臨海公園の大観覧車」が見えました。


(葛西臨海公園の大観覧車)

離陸し、上空は青空でした。


(上空は青空)

鹿児島空港に着陸しました。


8鹿児島空港に着陸)

リムジンバスで鹿児島港へ向かいました。


(リムジンバスで鹿児島港)

道中、茶畑が見られました。


(茶畑)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 2回目

2016-12-16 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
今回の島旅は、浜松町駅を早目のモノレールに乗車しました。


(浜松町駅)

羽田空港第二ターミナル駅で下車しましたが、階段にこのようなアニメが描かれているのに気が付きました。


(階段にアニメ)

9:40発の鹿児島空港への搭乗口を確認しました。


(鹿児島空港への搭乗口)

大分、離れた搭乗口にやっと着きました。


(搭乗口に到着)

外を眺めていると「東京スカイツリー」が見えました。


(東京スカイツリー)

また、「東京ケートブリッジ」も見られました。


(東京ケートブリッジ)
(写真撮影:2016.03)

鹿児島県・宮崎県への島旅 1回目

2016-12-15 04:30:00 | 73九州南部・鹿児島県
今回は、鹿児島県・宮崎県への島旅に出かけました。
いつものように出向いた島の概要を書いておきます

築島は、宮崎県の最南端、日向灘に面した串間市市来浦の湾口に位置する島。日南海岸国定公園内にある。地形は急峻で東側は硬い砂岩で外海に面し、高さ50m前後の海食崖となっている。西側のわずかにある平地に漁業集落が立地している。島全体にビロウの原生林が生い茂り、周辺の海底にはテーブルサンゴや熱帯魚などの海中資源に恵まれ、四季を通じて磯釣り船釣りの場となっている。島名は明治初期、島を61円で買収し、最初に居住した四国宇和島の漁師、築地藤吉氏の名に由来する。

馬毛島は、種子島・西之表港の西約9.3Kmにある低平な島。面積8.20Km2・標高71m。種子島家の支配下にあった宝暦13年(1763)、種子島の池田・洲之崎・塰泊住民に特権的な漁業権が与えられ、獲れたトビウオなどを加工するため当時から季節定住者がいたという。本格的な開拓は明治に入ってからで、明治初期に西之表の士族が牛の飼育を始め、明治13年には政府の緬羊飼育場となった。ただ、実質的には永く無人島で、戦後の緊急開拓により同26~29年かけて80世帯が入植、サトウキビ・サツマイモ・陸稲栽培、養豚を営んだ。国勢調査では昭和30年に人口241人、同35年383人にまで増加、この間に小中学校の分校も開校、西之表港から定期船が就航した。同38年には新光糖業の製糖工場が進出、同41年には北海道から酪農家を招いて乳牛飼育に取り組んだものの、表土が薄く、マゲシカなどによる食害、干ばつや風害などが度重なり過疎化が進行した。人口も同40年には358人、同45年243人、同50年155人と大幅に減少。同51年に馬毛島開発(株)のレジャー開発構想が打ち出されて用地買収が始まり、同55年無人島化したが、その後いずれの構想も実現していない。昭和60年には落雷による火災で全島の3分の1を焼失し、その翌年トノサマバッタが異常発生し話題になった。ニホンジカの亜種といわれるマゲジカが生息。10世紀頃の記録にも狩猟対象となっていたらしく、近郊のヤクシカなどと違って角の枝が4本あるのが特徴で、生態学的にも重要視される。ソナレシバ・ハマガラシの北限地、ヒメハリイの南限地といわれる。また星砂の北限地ともいう。磯釣りではアラ・ブダイ・メジナなどが狙え、周辺海域にはサンゴ礁もある。近年は宇宙開発事業団関連の宇宙往還機(日本版スペースシャトル)着陸場誘致に力が注がれている。なお平成12年国際調査時には無人島だったが、平成14年9月末現在で7人の住民登録がある。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から

今回、出向いた築島の人口は、25名、馬毛島は、11名です。