2006.11.27~11.29まで、クラブツーリズム(株)主催の「海の歴史薫る周南諸島 紅葉の宮島もめぐる3日間」に参加した。
今回出掛けた
周南諸島は、
牛島(うしま)、笠戸島、粭島(すくもしま)、黒髪島・仙島、大津島(おおづしま)、野島の有人島といくつかの無人島からなっている。牛島は、昨年出かけた熊毛群島の時に、渡島しており、今回は、笠戸島、粭島(すくもしま)、黒髪島・仙島、大津島、野島に渡島した。
笠戸島は、下松市街地の南海上、瀬戸内海国立公園に指定され、大自然の風光に恵まれた島。海岸線の出入りが激しく、7つの浦と7つの岬があり、集落は12を数える。天然の良港・笠戸湾を形づくり、かつては風待ち潮待ち港として多くの船が出入りした。全島の約半分を占める国有林は自然休養林の指定を受け、一般に開放されている。昭和45年の笠戸大橋(全長156.2m)の架橋を機に、風光明媚な景観を生かしたリゾート計画が進められ、国民宿舎大城と笠戸島ハイツの公共宿泊設備を中心に、本格的なオートキャンプ場などを備えた家族旅行村や、はなぐり人工海浜などが整備されている。春は野ツツジの咲く山へのハイキングやワラビ狩り、夏は澄んだ海で海水浴に魚釣りに、秋は紅葉の山に、冬は保養をかねてのレクリエーションなど、四季を通して憩い、楽しめる。
粭島は、周南市・大島半島の南西端から指指の間にある島。昭和10年には島の東端に対本土架橋の小瀬戸橋が完成している。もともと漁浦として発展してきた島で、島の北側に漁家の家々が道なりに並んでいる。場所がら、フグ、サワラ、チヌなどの高級魚の一本釣や延縄漁を中心に推移してきたが、近年人口の流出が進みつつある。三角形の小さな島のたたずまいは訪れる人にとってきっと深い印象を与えてくれるものだ。
黒髪島・仙島は、本土からもっとも近いところで500m、徳山湾内に浮かぶ島。黒髪島は全島白亜紀の黒雲母花崗岩からなるほぼ円形の島で、なだらかな斜面が広がり、西側がやや急斜面で最高点は標高313m。東の仙島との間は、長さ100m・幅25mほどの干渡とよばれる砂州でつながっている。江戸期には「黒神島」と称し、古くから神域となっていたが、明治10年ごろから花崗岩が採石され、色つやと風雨にさらされても変色しないということから、国会議事堂をはじめ全国の鳥居・記念碑などに利用され、現在では黒髪石・徳山石(みかげ)として広く知られており、関係者以外は立入禁止である。仙島は約9割が国有林で占められ、瀬戸内海国立公園の特別地区に指定されている。戦時中には海軍の給水タンクや見張り所が置かれていた。戦後、養護施設「希望の家」が開設され、180人もの児童が巣立っていったこともある。また、謎の爆沈をした軍艦「河内艦」の碑が干渡に建立されている。
大津島は、旧徳山市の南西約10kmの沖合にある細長い丘陵状の島。波静かな天然の良港徳山湾の西を縁取り、一部は瀬戸内海国立公園に指定されている。かつては2つの島だったが、400年ほど前に砂州でつながった。南側の馬島には、中世末期に大内氏の馬牧があったと伝えられている。ほとんどが山地で7つの集落が点在する。基幹産業は近海を漁場とする水産業だが、良質な御影石を産出することから採石業も営まれている。古くは大坂城築城の際に石垣材として大阪に運ばれた歴史もあり、今もその残石がある。また、太平洋戦争末期の特攻兵器・人間魚雷「回天」の発射訓練基地跡、記念館があり、いまなお慰霊に訪れる人も多い。戦後は徳山市の一部となっていたが、2市2町の合併で平成15年4月21日から周南市となった。
野島は、防府市の東南14.8kmにある島。小型底引網漁を中心とした沿岸漁業を主産業とする。慶長年間(1596~1615)に祝島(現・上関町)の僧が入植したという説と、鎌倉末期に富海(現・防府市)の一族が開拓したという説がある。かつては全島ツツジで覆われ、開花の頃には海面まで真っ赤に染まり、「茜島」とも呼ばれていた。瀬戸内海国立公園に指定されている美しい自然を残すこの島には、海水浴場や磯釣りの名所であり、多くの観光客が訪れている。また伝統行事として矢立神社の神舞神事や野島盆踊り、子供たちによる野島太鼓がある。また上・下水道も完備されて潤いのある豊かな生活が維持されている。平成13年度から、全国の離島に先駆けて本土の小中学生が渡船で島へ学区外通学する制度(茜島シーサイドスクール)を開始、島の自然や知恵を教育の場に生かす試みとして注目を集めている。
出典:(財)日本離島センター発行の「
日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から