「柴草を刈りに行った若いし(衆)が、オウコウ(棒)の先にふんどしをつけて、わあーっといって、涼山の東、長尾から山をおりて来て、「敵が来たーあ」 と、の者をたまがした(脅かした)そうです。
ちょうど、そのときゃ、前原騒動の残党、町田一味が萩で反乱を起こしていて、山口からも討伐隊が出動したりして、みんなびくびくしていた矢先だったので、そりゃたまげたでしょういのう(びっくりしたことでしょうね)。 . . . 本文を読む
大掃除してたらこんなメモが出てきた。
「大田絵堂戦の時、明木で山田市之丞・馬屋原二郎・寺島秋介・田村甚之丞は、それぞれ、狂痴・戇狂(読みはトウキョウ?)・空狂・某狂と号し、「御楯の四狂」と呼ばれた。」
なんだそれは・・・。
さらに
「箱館攻略の拠点を青森に置き、奥平謙輔に船用の石炭38万ポンドを送ってくれと依頼。”越後の地同様、当地にも石炭一切これ無く、海軍の進退おおいに懸念あ . . . 本文を読む
榎本脱走海軍の艦船にあまり名前を挙げてもらえない船があります。
「第二長崎丸」(長崎二番とも)。
艦隊の品川沖脱走より前に出帆し、ぐるっと回って庄内藩支援に向かいました。艦長は松岡磐吉の7つ上の実兄、柴誠一(旧名は弘吉)。
しかし秋田沖の嵐で座礁破船。しかも時遅く庄内藩は既に降伏してました。
乗組員は上陸して陸路や外国船などで箱館を目指した者あり、おそらくはそのまま逃亡した者あり・・・。
艦 . . . 本文を読む
8月13日、気がかりなお墓を探しに行った(のをなんで今頃書くのかって話だがw)。
慶応2年12月29日、防府三田尻に停泊していた英国軍艦の中で死去した水夫(たぶん)ジョン・ムルフィー。享年23。
墓所は「向島水尻」と「長州藩殉難者名簿」にある。
停泊中だったためだろう、海軍人でありながら水葬されなかったジョンさん。異国の無人の場所で150年以上、寂しいだろうな。
この人のお墓を探して拝みたい。
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9月27日、有志一同で萩往還(はぎおうかん)歩きを敢行しました。
萩往還は瀬戸内海側の防府(三田尻)と、お城のある北浦の萩を結ぶ江戸時代の道です。全長50数キロ。
防府から山口までは市街地ですが、山口から萩の間は、中国山地の端っこを越えなきゃならない、山の中の坂道。
だからなんでこんな格好でwwww めちゃくちゃ暑いわ!(笑) 形から入る山口奇変隊の面々だったww
クルマ社 . . . 本文を読む
中根市之丞のお墓の現状があまりにもトンデモナイのです。移転保護を強く望みます。
文久3年(1863)の朝陽丸事件、三原屋事件。
長州にやってきた幕府の使者(詰問使)4人(中根と3人の従者)を殺害した事件については、これは時代がどう変わろうと長州・奇兵隊の汚点、やりすぎたできごとだと思います。
お互いの目指すものが違ったための争いではなく、ただ殺しただけ。
むろん奇兵隊には「中根は将軍の親書を . . . 本文を読む
5月24日、「大村益次郎の道を歩こう」と言い出したモノズキ集団で、山越えしました。
大村益次郎(村田蔵六)は鋳銭司(すぜんじ)から鎧垰(よろいだお)を超える山道を、毎日のように往復して藩庁の方に来ていた・・・ってマジか・・・。
というわけで、その道を歩いてみようと。
往復する元気はないので、電車で鋳銭司の最寄駅へ行き、そこからタクシーで登山口へ。
で、だいたい↓こういうルートです(山の中は . . . 本文を読む
昨日の「花燃ゆ」の小野為八、あるいは中嶋治平。
彼らは幕末の「マルチ理系」な人で、他の藩(特に西国諸藩と幕府)にも似たような人がいます。
現代では学問が細分化されていて、それはそれで専門分野が深くていいのでしょうが、当時は違う。
理系のことは幕末になって堰を切ったように流れ込んできたから、その中の何かに手をつけた人は連鎖反応的にあれもこれもやるはめになり(あるいは自ら首を突っ込んで)、結果的にマ . . . 本文を読む
「六竅砲」ってのがガトリングガン。
「ろっきょうほう」って読むんでしょうね。
明治8年発刊の「明治太平記」より宮古湾海戦。
うーん。やはり甲鐵にはガトリングガンが積まれてて、甲賀はそれで死んだのか、いやいや、かっこよく飾るための作り話なのか。
悩・・・・(-.-;)
私は「積んでなかった」支持です。
新政府側の記録には全然ないよ。「小銃で応射」しか知らない。
. . . 本文を読む
保管場所がないので、どっか行かないようにここにアップしとこうっと(笑
普段から維新関連の記事が充実している「山口新聞」。
「朝日新聞」。載ってると聞いて買いに出たものの、コンビニとかで「うち、朝日は仕入れないんです」とか言われ、4軒めでやっと買えたっつー。
となりの記事もおまけで。イベントと同じ日に俳優さんが来てたんですよねー。
1日遅れてイベントの翌々日に載った「毎日 . . . 本文を読む
ほとんど興味は幕府海軍に向いてる私ですが、長州の幕末史の中で「大田絵堂の戦い」はなぜかすごく感動してしまいます。
今年はそれから150年にあたります。
それで、1月11日、その時の行軍コース(実際は山中やカルスト台地を通ったので、そのままではありませんが)を歩く催しがあり、参加してきました。
20キロコースと3キロコースがあって、歩くの苦手な私は3キロだけですが(笑)
でも、3キロコースは最大の . . . 本文を読む
人間は洋の東西を問わず「講談」(ものがたり)が好き。
話はより劇的に、英雄はよりかっこよく、悲劇はより悲劇的に脚色していく。
昔はこの「講談」あるいは「芝居」で歴史を覚えたもんだそうです。
史実じゃないのを。
漫画や小説をベースにして歴史を語る(=妄想)のはもってのほかで、ベースは史料であるべきというのは当然ですが、たとえ古い史料であっても、書き手の立ち位置によって表現はいくらでも変えられるって . . . 本文を読む
慶応4年(9月に改元して明治元年)8月20日は、今日10月5日に当たるそうです。
これを書いた5日昼は風もなく雨も降っていませんでしたが、南の海上には大型台風があって、接近とともにスピードを上げるだろうと予報されていました。今は結構は風が吹いています。
この8月20日は、いわゆる榎本艦隊が江戸を「脱走」して北へ向かった日です。
(19日となっているものもありますが、20日になった時=午前零時に . . . 本文を読む
周布政之助没後150年慰霊祭にひっかけ、あの巨大な碑が建った時の除幕式のフィルムがローカル局で放送されました。
昭和6年(83年前)のことで、撮影者は周布家のかた、今まで最高の状態で保存してこられたのも周布家だそうです。
貴重なんてもんじゃないお宝です。だいたい昭和6年に8ミリ撮影機材を持ってるとか凄すぎるw
周布政之助の孫、兼道さん。すーさんに似てる!
音声はありませんが、礼服が板に付 . . . 本文を読む