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朱の徒然

変形性股関節症の77歳

夢コンサート    小林旭 78歳

2015年10月10日 | 日記

 かっての昭和の大スター、小林旭や浅丘ルリ子が2,000円の入場料で観れるって・・。

 半信半疑で夫と出かけた初めての、他市の市民会館は たくさんの人でした。

    

 おぼろげに覚えていた岩下俊作の「無法松の一生」は、小林旭のすばらしい熱演でした。

 若林豪、桜木健一、工藤堅太郎、新藤栄作、浅茅陽子とテレビでお馴染みの方々がたくさん出演でしたので、観ながら、このメンバーを脇役にして本当にいいのか2,000円でって・・、思っていました。又小林旭さんは、とても後期高齢者とは思えない動きと出ずっぱりで、勿論 ラストにはもろ肌抜いて祇園太鼓まで叩いて すばらしい大スターでした。

 でも、私の幼い記憶の中では、この作品は卵焼きが重要だったような・・。はるか60年以上前の三船敏郎の「無法松の一生」の映画の中での記憶ですが・・。違う?

 おとなしい母は、映画が好きでしたね。私も毎週の様に映画館に行っていました。だっこちゃんやフラフープといった皆が持っている流行物は買ってくれないのに、映画は自分が好きだから見せていたのかしら? といった自分の過去を思い出しながらお芝居を観ました。

 おそらく、殆どが旭世代と思われる観客は、昔を振り返り、自分と照らしながら、舞台で奮闘の大スターに称賛の拍手を送られていたのでは?

 第2幕は、「歌謡ショー」。幕開けの五月みどりも声も若々しくお変わりなく、素敵でした。浅丘ルリ子も芝居だけじゃなく歌まで・・。77歳には思えない美しさでした。三善英史、狩人、仁支川峰子、黒沢年男と、かっての自分のヒット曲を次々に歌われました。それも大型画面に昔の写真や歌詞字幕付きで。だから、私も一緒に大声で歌いました。夫は?多分心の中では歌ったやろう?ねっ?

 勿論大トリは、持ち歌沢山の大柄で黄色のスーツが良く似合う 小林旭!

 とてもとても78歳には見えない。かってのヒット曲を10数曲、次から次へ。お聴きしながら、この年齢で自分の持ち歌とはいえ、よく全ての歌詞を覚えてねーと感心もしました。それも、2時間の体力のいるお芝居を出づっぱりで演じた後ですよ。全ての舞台時間は4時間30分。それを昼夜2回もです。本当のタフガイですね!

 すごいすごい大スターでした。最後は 「熱き心」 でした。

 一つ残念なことは、「無法松の一生」の歌がなかったこと。旭でも誰でもいいからあの曲でお芝居は終わってほしかったわ。あの歌は、昭和生まれのみんなが好きな曲ではないかしら?私は酔っぱらった父を思い出しましたが・・。

 だから帰りの車中では、中村美津子、石川さゆり、島津亜矢、そして、村田英雄と聴き比べながら(小倉生まれの玄海育ち 口も粗いが気も荒い)をボリュームいっぱい聴きながら帰りました。

 やっぱ、無法松は男ムラタでしょうと 二人で、昭和への郷愁の夜を語り 幸せでした。

 それにしても、毎日のように日本全国を旅から旅へ廻られる昭和の大スターの方々の健康を祈らずにはおられません。お元気で頑張ってくださいね。

   これだけのスターを集めた夢グループってすごいね! 

                            

 記念に黒沢年男の帽子を買いました。 アロマ中のティラに被ってもらいました。

        

 コスモス街道で。                コスモスの小道で。この後は温泉へ。

 

 不如帰と紫式部にアロマの香りで秋を・・。

 

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変形性股関節症術後1年7か月     雑巾がけ

2015年10月04日 | 日記

 良く晴れた土曜日、夫は「古代山城サミット」なんていう歴史講座に出かけていきました。

 私は、1年半ぶりに 膝まづいての雑巾がけをしました。

 この2年間は、足の痛みを恐れて膝をつくことができませんでした。掃除は電気掃除機、モップ、そして足で雑巾がけをしていました。角、四隅のごみやほこりには目をつぶっていました。丸く拭くだけ。

 掃除に流行のルンバ?馬鹿な・・。丸く勝手に動く掃除機なんて・・。掃除の一番効果的な汚れ落としは、濡れ雑巾でしっかりと拭き掃除をすること。

 でも、かがむことが出来ず、我慢していました。術後1年7か月経って、気持ちの良い晴れの朝、まず、台所に膝をついて端っこから拭き始めました。奥は松居棒やブラシも良いけれど、私は古い歯ブラシです。ゴシゴシ、1年半ぶりにこすって雑巾はもう真っ黒。

 狭い台所ながら、拭いては、洗いは、膝つきから立ち上がりの繰り返しなので、恐る恐る始めましたが足を曲げての低い位置でも平気でした。が相当くたびれました。痛みは全く無くホッとしました。普通、普通。

 雑巾がけという女の楽しみの一つは、1年半で取り戻すことが出来ました。

 母は、きれい好きな人でした。小さいころ「階段を雑巾がけして」「廊下を拭いて」とよく言われました。「朝やったよ」というと「時間は決まってないのよ。汚かったら拭くのよ」とよく雑巾がけをさせられました。

 いつも掃除している母を見て育ちましたので、私は、絶対1日1回しか掃除はしないと思っていました。掃除ばっかりしていると、TVを見る時間とか他の楽しい時間がなくなる。少々家が汚くってもいいじゃんと・・。どうして掃除ばかりに時間を取られて平気なんだろうと・・。人生を損している気分でした。

 今にして思うと、伯父の家で肩身狭く育った母にとっては、夫婦で自力で建てた家は、自分のお城だったのでしょうね。だから、母の楽しみは、家の拭き掃除だったのでしょう。

 いつのまにか、私にとっても拭き掃除は、大事な仕事になっていました。  それが1年半ぶりに出来て良かった!

 これからは、前の様に少しずつあちらこちらを雑巾がけする楽しみができました。

 

 実は、娘とお嫁様には小包を送る時には、食料の中にクッションとして雑巾を必ず入れます。古くなった顔拭きタオルを3枚折りにして、針目はメチャクチャいい加減だったり、刺し子風だったりですが、縫うときに皆の幸せを祈りながら縫います。雑巾縫いも好き。

 孫達が真っ黒に汚して擦り切れさせることで、彼らの健康が保てる。と念じながら縫い、ママたちもそのうち濡れ雑巾がけじゃないと本当の掃除をしたことにはならないと気づいてくれると信じてね。 今や賛同者も少なくなった雑巾がけ好き党ですがね。

   

時々門扉の花を変えます。右が新しい秋心地です。ジュズサンゴも大好き。

  

             秋明菊も秋には欠かせないですね。

 

 

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