Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

翻訳業

2006-08-04 23:54:21 | 湯沢
ホテルからほんの4・5分だが、バスを出して蛍鑑賞に連れて行ってくれるという企画があった。これはいいと申し込もうとすると、すでに定員の70名はうまっているという。気のいいフロントのおにいさんは、懐中電灯をお持ちなら、わざわざバスで出かけなくてもご自分のお車でも行けますよという。それならばと地図をもらって場所を聞き、夜バスが出る前に行こうといそいそと出かけていった。

ところが、そこは寺の境内で目の前がまったく見えないくらい真っ暗。懐中電灯の明かりを頼りに地図に沿って進もうと思うが、その先はどうもお墓のよう。さすがに気味が悪くなって引き返してきた。仕方がないので、もう一箇所生息地があるというところに歩いていこうとしたけれど、今度は地図の精度が悪くてわからない。暗闇にびびったガキはもう泣き出さんばかり。大人2人が気味悪いくらいだから、そりゃぁそうだろう。そうこうしているうちにホテルのバスが到着。ぞろぞろと降りてくる宿泊客に交じって、生息地までついていって無事蛍を見ることができた。

場所を知っている地元の人からすれば確かに懐中電灯があれば行けるのかも知れないが、暗闇すら見つけるのが難しいような異常な都市に住む人間にとっては、それは無理難題以外の何物でもない。自分でも行けますよという提案は素晴らしかったのだが、これは明かに翻訳ミス。

地元の人たちにとって当たり前のことを、いかにわかりやすく、価値あるものに翻訳できるか。「こんなくだらないことで感動するの?」っていう部分をいかに受け止めるて、サービスとして提供できるか。

例えば川で釣りができるなんてことは、そこに住む人にとってはごく当たり前のことだろう。ところが毎日満員電車に揺られる人たちにとってはそれすら珍しい。だから、そんな当たり前の日常の一部を、多少の演出も加えながら、いかに気持ちよく「疑似」体験させてやれるか。

それをサービスとして成立させること、それこそが観光業だと思う。そこに感動があるなら、その対価としていくらお金を取ってもかまわないと思う。一方、そのサービスが半端だと、すべてがバカらしくて興ざめになり、当たり前のPricingすら高いと思ってしまう。

高校時代の友人で学問として観光業について研究している彼女から聴く話も総合的に考えて、僕は今回の湯沢滞在を通して、観光業とは一言で言えば翻訳業なんだなと思った。


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