Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

非効率

2006-08-01 23:36:57 | Thoughts
僕は高校のときから親元を離れて生活をしてきた。高校3年間は寮生活だったら自炊の必要こそなかったが、掃除(あんまりした憶えはないけど(笑))、洗濯、身の回りのことは自分でやって来た。

そんな中、これって非効率だよなって常に感じていた。家族という単位で暮らしていれば、そこには分業が成立する。洗濯や家事なんて1人分も数人分もそう変わるものじゃないから、ひとりが担当してやればそれは効率的である。そんなことを強く実感していたので、さっさと結婚したいと思っていて、実際にそうした。

一緒に働いていて、働く女性はほんとに大変だなと思う。まずなによりもきれいでいなければならない。髪をセットし、それなりに化粧もして。服だって同じものばっかり着るわけにもいかない。コーディネートを考え、買い物に行き...。仕事も男性より一歩抜きん出なければ、男性にはを抜くことは難しい。

翻って、男はといえば、スーツ2・3着とワイシャツ5枚、ネクタイ5本、靴2足くらいあれば、あとはヒゲさえそればそれで出勤できる。

そんな大変な女性が、まして一人暮らししてるなんて言ったら、ほんとに尊敬する。そこに子供がいて、旦那がなんにもしないなんていったら、よく倒れませんねって声を掛けたくすらなる。

世の中うまくやれば、もっと効率的になると思う。家事業務の共有化、インソースビジネスは、これから伸びるかもしれないと密かに思っている。




想像

2006-07-30 23:58:38 | Thoughts
こういう不幸が自分に降りかかってきたらこうやって対処しよう、などとときどき、どうやって美しく生きようかななんてことが頭に浮かぶことがある。頭の中でだけでも、準備しておけばそれに越したことはない...はずだ。

しかし最近はこう思う。そもそもこんなこと考えてること事態が、不幸を招きかねないのでは、と。

いわゆるマーフィーの法則というのがある。思ったことが実現するというやつだ。それにしたがって考えると、そんな不幸が起きたときの対処法なんかを考えてたら、それこそ不幸が起きてしまうのではないかと。

子供がケガをしたらどうしよう。妻が重病にかかったらどうしよう、飛行機が落ちそうになったら...。

考え出せばきりがない。だから、このごろはそういうことが頭に浮かんだら、こう思うようにしている。そんなことは起きない...例え飛行機が落ちそうになっても、奇跡的に助かって新聞に載る、子供が大怪我をする一歩手前の瞬間に気付いて抱きかかえたから、ケガをせずに済む...とか。

そう思った方が楽しいし、気分が沈まずに済む。仕事でもそうかなって思う。

所詮、心配なんかするとろくなことがない。


コーチングで習ったこと

2006-07-20 14:47:38 | Thoughts
 
よく子供がコケて、「痛~い」と言って泣いているときに、

「泣かなくて大丈夫!! なんともないから痛くないよ」

と声を掛ける大人を見かけるが、僕はこれだけはやりたくないと思ってきた。というのは、その子は痛いから泣いているのであって、それをわかってほしいから叫んでいるのだと思うから。だから僕は、

「そうだよね、痛かったよな」「びっくりしたよね」

とまずその気持ちを心から同意・承認してあげて、それから「大丈夫かな? 傷口をみてごらん。どうなってる?」と問いかけるようにしている。子供も気持ちをわかってもらえたとわかれば、自ずと無用に泣き叫ぶのを止めて冷静になるし、骨でも折れてなければ大抵の場合すぐにケロッとする。

それを、「泣かなくても大丈夫!」などと頭ごなしに黙らせようとしたら、そりゃぁさらにぎゃぁぎゃぁ泣くだけだろう。

泣くのにも理由がある。反発するのにも必ず理由がある。それは大人も子供も共通。いかにその現象の裏側にある本意を汲み取れるか...これが毎回できたら人間関係はかなり変わると思う。

でも、世の中そんな簡単なことばかりではない。例えば、ミサイルを打ち上げる国家の気持ちを汲み取るのはそう容易ではない。


価値観

2006-05-23 23:23:39 | Thoughts
面白い体験をした。

そういうところに連れて行かれたのは2年ぶり、生涯で3回目。自分もそれなりに歳をとって、多少のことではドギマギすることもなくなったし、今回は「常連」と一緒だったので待遇もよく、3回の中では一番楽しかった。けれども、結論からいうとやっぱり僕にはすごく楽しいという場所ではなかった。


僕は元来酒は強くない。あんまり飲むと酔っ払うより先に気分が悪くなる。だから記憶が飛ぶほど楽しかったなどというのは経験したことがない。だから思いっきり飲んで発散するなんてことはできない。

自分は相手の出方を見て、まず話を聴こうとする(少なくとも自分ではそう思っている)ので、初対面の人間と楽しく話を「する」というのはむしろ気を遣ってしまって疲れる。やっと距離感がわかってきたと思ったら、すぐに席を立たれて、入れ替わり違う人がやってくるのは正直言って苦痛だった。

だいたい自分は真面目な話が好きなので、そもそも場に合わない。どちらかといえば、かわいい、きれいよりも、話ができる聡明なタイプの女性が好きだ。10も20も上というのはまた別だが、歳は自分と同じか上でも一向に構わない。だから、年端もいかない女の子にタメ口きかれて他愛もない話をされてもとくに嬉しいということはない。

何よりも自分の中で一番すっきりしないのは、彼女達の働く動機だ。いわゆる風俗と言われるところで働く女性の動機についてはあるを通して割り切れた。しかし、彼女達がどういう信念でどういう付加価値を提供しようとしているのか、そんな意図が読みきれなくてどこか冷めてしまい、楽しくお話という気分になれない。


別にここでイイ子ぶってモテようという気はさらさらない。そりゃぁ、若くてきれいな女の子が隣に座ってお酒作ったりおしゃべりしたりしてくれるんだから、僕もまったく楽しくないということはない。ただ、そこへ行くなら別のことをする方がいいかな...旨いもの食うくらいなら車に金かけるほうが好きという人がいるのと同じ。価値観の違いだ。前々から進んで行く気はしないと思っていたが、どうしてそう思うのか今回はっきりわかって面白かった。

だから、当たり前だけど、連れて行ってくれた親友を責める気もないし、増して、そこに真面目に働くまともな女の子達をどうこう言う気なんて微塵もない。

むしろヤツに比べたら自分はあんまり面白みのない男なんだろうなとも思う。でも、僕にとっては幸か不幸か、気の合うひとと旨いものを食う方が気楽だし、無線LANのあるスタバで好きなだけ時間を過ごすことの方が性に合っているのだ。

ヤツはそれが楽しそうで、絵になっていた。話題づくりもバッチリだし、女の子のあしらいもうまい。それはそれは見ていて小気味いいものだった。

まぁでもさ、今度行くときは「その価値がわかる」他の人と行きなよ。そりゃぁ楽しくないこともないけど、俺と行ってももったいないだけだからさ。今度はもう少しゆっくり話をしよう。

Tバック

2005-05-21 23:50:07 | Thoughts
あるところで男のTバックを見てしまった。と言ってもいかがわしいところへ行ったわけではなく、ホテルのフィットネスクラブに行ったときにだ。

スーツのおっちゃん(それもさえないちょっと腹が出た普通のおっちゃん)がおもむろにズボンを脱ぐと、お尻が丸見え...ということは常にズボンに臀部が触れていることだ。それってきれいなの??

狭いロッカールームで僕はベンチに座っていたので、まさに「目の前」での出来事。自分で穿くこともないので考えもしなかったが、サウナから出たばかりでぼーっとした頭で、変なことに気づいてしまい考えてしまった。

甘えの構造

2005-05-15 23:56:15 | Thoughts
「お年寄りや障害のある方などを考慮すれば、無制限に無過失認定される制度にしないと...」

今話題のキャッシュカードの盗難被害の補填に関する識者のコメントを聞いた。ことこの件に限ってではないが、やっぱりこの国は責任意識が薄いのではと感じる。

キャッシュカードの便利さは享受したい。しかしその一方で無制限で保護してほしい。これは無理なことである。何らかのメリットを享受する以上、その裏側のリスクも当然引き受けなければならない。それがいやなら、そのメリットはあきらめるしかない。

暗証番号をカードに書いていたとか、書いたものを一緒に保管していたなどというのはどうやっても重過失であり、保護されるものではない。暗証番号の管理ができない人はキャッシュカードは使えない。ただそれだけのことである。

通帳と印鑑も同じことである。分けて保管できない人は、口座を持つことをあきらめるか、あるいは、盗まれたときのリスクを引き受けるかのどちらかしかない。僕はそれがルールだと思う。

一方でこのルールを越えるものを提供しようとするのが供給側の目指すべきところだろう。それは、例えば窓口で知っている職員からしか預金を下ろせないという信金のサービスであったり、生体認証を利用して盗用を防ぐというやり方であったり。

便利さとリスクは表裏一体である。片方だけ取ろうというは甘えだろう。

スタバのチエちゃん

2005-05-13 22:08:45 | Thoughts
ひょんなことからスタバの話の女の子と、話をできる機会があった。
ある土曜日にオークラで行われたセミナーに出た帰りに寄ったら、ちょうどその子が上がる時間だったらしく、「お邪魔じゃなければ、ここに座ってもいいですか」と向こうから話に来たのだ!

僕はさっそく例の件を話してみた。すると彼女は「憶えていない」との返事。日常茶飯事なので記憶にないらしい。でも別にマニュアルがあるわけでなく自分の判断でやってるということ、そうしなさいと言われたことも、そうして怒られたこともないとのことだった。見た目はかなり派手なのだが、話をしてみるとほんとにまともな子でびっくりした。

「朝これから仕事って言うお客さんを最高の笑顔で送り出すのって当たり前でしょ」

朝からほんとに元気で感じがいいよね、と言うとそんな応えが返ってきたのを今でも憶えている。君いくらもらってるの? バイトだよね? と喉もとまで出かかった。

このチエちゃんとはたまーにランチに会ったり、忘れたころにメールがあったりと今でも連絡を取っている。スタバはもう辞めて、やりたいと言っていたアパレルの仕事をしたり、今は学校の先生の事務所でアシスタントをしてるらしい。

講演なんかの機会を作っていつかこの子にサービスを語らせたら面白いだろうなと思っているが、そのアイデアはいまだ実現していない。こんな若い子のストレートな言葉は、大人にはきっといい刺激になるだろう。もちろん、自分も含めての話だ。

レール

2005-05-09 22:29:04 | Thoughts
人生のレールをただ進んでいくだけ...などとレールは決められた道をなぞらえる代名詞によく利用される。だから僕はときどき電車の運転台をながめながら、

「この仕事っておもしろくないだろうな」

と失礼ながら思ったりしていた。区間ごとに事細かに出る最高速度の指示、数多くの信号、とはいえ与えられた権限はアクセルとブレーキだけ。どんなに複雑なポイントがあってもハンドルがあるわけでもなく、自分で行く先を選ぶことはできない。まさにレールの上を走っている。

だから今度のJR西日本での事故には本当に驚いた。障害物に衝突したり、地震などの外的な力によるのならともかく、自分単体で電車が脱線「できる」なんて夢にも思っていなかったらだ。旧式のATSなど特殊な要因もあるのだろうが、「電車って暴走できるんだ」っというのが最初の感想だった。

今回のことで、オーバーランなどの軽微な事故がクローズアップされるようになった。確かにプロだからできて当たり前だろうけど、レールの上を正確に走るということも決して簡単なことではないだろう。まして首都圏の過密ダイヤであればなおさらだ。

社会にはさまざまな役割がある。もっと注目されるべき、あるいは感謝されるべき人たちもたくさんいるのではなかろうか。僕は少なくとも今度のことをとおして、日々正確に運転してくれている運転士の方々に対する見方は大きく変わった。もちろん、これはすべての役割に共通のことでもあるんだろうが。

今日も窓の外には、ときおり武蔵野線がレールの上を正確に走っていくのが見える...。普段の風景のひとつ。