昨夜、札幌Kitaraで辻井君のツアー(ピアノリサイタル)を聴いた。
超満員の聴衆は大半が女性で、しかも現役お母さん世代が圧倒的に多かった。つまり、ハンディキャップを乗り越え世界的演奏家に成長した辻井君の成功をわが子にダブらせているにちがいない。
一方、ユンディ・リーや五嶋龍君のような若い演奏家のコンサートにつめかけていた若い女性が皆無というのも極端ではないか。どうも辻井君は、若い女性のおっかけの対象とはなっていないらしい。
プログラム
モーツアルト
・きらきら星変奏曲 K.265
・ピアノソナタ第10番 ハ長調 K.330
ベートーヴェン
・ピアノソナタ第17番 ニ短調 作品31-2「テンペスト」
・ピアノソナタ第21番 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
さて、演奏だが、黒い煙を吐いて驀進するSLのような印象であまり楽しめなかった。つまり、演奏家本人が「弾くこと」を楽しむのあまり、聴衆を置き去りにしているのだ。
例えば、モーツアルトの第10番は、モーツアルトが27歳の時作曲したとてもキュートな作品なのだが、これを力任せに弾かれると聴く方も肩に力が入り楽しめない。
これは、例えば、同じKitaraで、ユンディ・リーやツイメルマンなどが弾いたように淡々と肩肘張らず弾いてこそ生きる曲だ。
この点、アンコールで紹介された辻井君自身が作曲したという「風のはこんできたもの」と「それでも、生きてゆく」の二つの小品は、自身がイメージした曲だけに訴えるものがありよかった。