徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

大正・昭和の風景版画家 川瀬巴水展

2006-08-04 | 美術
大正・昭和の風景版画家
川瀬巴水展(前期)
ニューオータニ美術館
2006年7月25日~9月3日
前期 7月25日~8月13日
後期 8月15日~9月3日


川瀬 巴水かわせ はすい(1883-1957)は、幼少の頃より絵に関心を寄せて油彩画や日本画を学び、27歳で鏑木清方に師事します。その後、同門の伊東深水の影響を受けて版画への関心を深めると、大正7(1918)年に処女作となる塩原3部作を発表します。

巴水が版画制作を始めようとした時期、版画制作の方法として、2つの大きな潮流がありました。ひとつは、明治30年代以降に生じた"創作版画"です。これは、画家が制作の全ての工程を自ら行う、"自画・自刻・自摺"を主張するものです。それに対して、大正時代初期からは"新版画運動"が起こります。画家、彫師、摺師、版元が共同して版画を作り出すこの運動は、日本における伝統的な版画制作の工程を見直そうとするものでした。

巴水は、"新版画運動"の一員として、処女作以来、約40年にわたり、風景版画を生み出します。日本各地の取材にもとづき、四季折々の風景を描き続けた巴水の作品は、見るものの心に、郷愁や旅へのあこがれを誘います。

本展では、巴水作品のなかでも評価の高い関東大震災以前の作品を中心とする約150点を、Ⅰ大正期、Ⅱ震災から戦前、Ⅲ戦後から晩年の3部に分けて展覧し、巴水の画業を振り返ります。古きよき時代の日本の情景をお楽しみください。


千葉市美術館で開催されていた「海に生きる・海を描く」で川瀬巴水の作品に出会い、惹かれるものがありました。合わせるように開催された川瀬巴水展にいってきました。

川瀬巴水は、鏑木清方に師事、また、伊東深水・川瀬巴水二人展を開催したりしている。とらさんの渡辺章一郎氏講演のメモによれば、「巴水は酒好き・女嫌い、深水は女好き・酒嫌いであったが、ウマがあったらしい。」とのこと。

今回の作品は、デビュー当時から巴水の作品を手がけている渡邊木版美術画舗の所蔵品なので状態はすこぶるよい。

巴水は、大正7(1918)年に処女作となる塩原3部作を発表。今回もその作品2.塩原畑くだり、3.塩原しほがま、から展示されています。巴水は、雨や闇を描いた作品が多い。9.月の松島 は、闇夜の松島。

そのあとに旅みやげ第一集(東北、千葉、北陸、塩原の写生旅行)。そのなかでは、12.十和田湖千丈幕(1919)が印象的。そそり立つ千丈幕、白く浮かぶ雲、十和田湖に浮かぶ小さな帆掛け舟、構図が素晴らしい。22.秋の越路(1920)も、画面いっぱいに広がる刈り稲の様子は古きよき日本の懐かしい風景です。

東京十二題では、浮世絵のような構図も。23.こま形河岸(1919)、27.深川上の橋(1920)では、竹屋の竹や、橋を画面いっぱいに描きます。

旅みやげ第二集では、42、晴天の雪(宮島)(1921)、44.雨の清水寺(1921)が印象的。実際旅に出て、宮島で雪が降ったりしたら、珍しいことでしょうし、また、雨の清水寺は、一寸物悲しいものがあります。50.佐渡真野湾(1921)は、広大な情景、波の様子、少しあかねにそまった雲が、旅に行った気分になります。

日本風景選集。60.長門峡かやヶ淵(1922)は、白、紅葉、水の青で画面が構成され、今時の紅葉の写真のよう。

震災以降は、売れ筋の商品に資金を集中するということで少し作風に変化が。
旅みやげ第三集。68.出雲美保が関(1924)。青と黄緑で構成された明るい画面。波、山肌、雲を版画の彫りのタッチを生かして仕上げている。
東京二十景。版画の技術の粋を凝らしたような作品になってくる。61.芝増上寺(1925)など。作品的には逆に写真のようで面白みはない気もする。
東海道風景選集。103.美保の松原(1931)、絵葉書のような風景、雲の様子、富士の青い色合いがいい。

145.増上寺之雪(1953)は、記録作成等の措置を講ずべき対象として木版画が選択され、文化財保護委員会の委嘱により制作。40回も色を重ねているという。
149.平泉金色堂(1957)は、絶筆。雪の中を旅人が金色堂を訪れる姿。百か日の法要にて初摺りが友人知己に配られた。

図録は、渡邊木版美術画舗のリプリント(一枚2万円ほど)のカタログの気もしなくもないが購入。本展覧会は、島田市博物館・分館を巡回し、高浜市やきものの里かわら美術館、南アルプス市春仙美術館にも巡回。

P.S. とらさんが、画像へのリンクのついた作品のリストを作成されています。

コメント (1)
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