徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

天下人たちの時代 -信長・秀吉・家康- @徳川美術館

2006-08-14 | 美術
天下人たちの時代 -信長・秀吉・家康-
2006年7月22日から9月3日
徳川美術館

書状はとりあえず飛ばして、目に付いたものだけ。

三英傑の人となり
織田信長
4 唐物茶壺 銘 金花 大名物 織田信長所持 南宋- 元 13-14世紀
5 唐物茶壺 銘 松花 大名物 同上所持 南宋-元 13-14世紀
安土城を完成させた織田信長に、各地からさまざまな名物が贈られた。中でもとりわけ信長を喜ばせた品が、当時とても有名な名物であった金花・松花の茶壺であったと記録されている。 特に「松花」は現存する茶壺の中で、最も数多く記録に登場し、茶壺としては唯一重要文化財に指定されている。
茶壷なるものは、博物館でまじまじみたのは初めて。高さ30センチもあろうかという壺です。大きさに吃驚です。

豊臣秀吉
9 豊臣秀吉朱印状 刀狩令 天正十六年七月八日付 桃山 天正16年<1588> 名古屋大学文学部
歴史を感じます。

10 真珠付純金団扇 豊臣秀吉所用 朝鮮王朝 16世紀
11 豊公遺宝図略 山内英司氏寄贈 江戸 天保3年<1832>
「豊公遺宝図略」(真静編 呉景文・岡本豊彦画 天保3年(1832)刊2冊。豊臣秀吉の遺宝の図集。兜、鎧、太刀掛、表袴、王冠、茶道具などが載っている。)に掲載された「真珠付純金団扇」。赤い団扇です。秀吉の派手好きがよくわかります。翌日に京都国立博物館で、同じく「豊公遺宝図略」から素文透柄鏡・菊桐紋蒔絵柄鏡箱(京都・妙法院(寄託品))を拝見。「豊公遺宝図略」は有名な図録のようです。

徳川家康
文書に見る「天下人」のしるし


さも目出度き御時代かな
40重文 豊国祭礼図屏風 六曲一双のうち 江戸 17世紀
慶長9年(1604)8月に行われた、秀吉七回忌の祭礼の情景を描く。右隻は豊国神社の社頭における田楽猿楽と武者行列、左隻は方広寺大仏殿を背景に、上京・下京の町衆が揃いの華美ないでたちで、風流踊に熱狂する光景を描いている。祭礼の計画を進めたのは、秀吉の歿後、天下人となった家康であった。天下人によってもたらされた安定と平和を、世に大きくアピールするねらいがあった。

翌日に京都国立博物館で、重文 豊国祭礼図屏風 狩野内膳筆も拝見している。比較などについては別項で。

茶の湯 伝統と新風

41 太閤記 巻七 小瀬甫庵著 二十二冊のうち 江戸 万治4年<1661> 名古屋市博物館
42 古芦屋姥口雹釜 名物 豊臣秀吉・徳川家康所持 室町 15世紀
実にたっぷりとした、古芦屋の名釜である。武野紹鴎が所持し、当時の茶書や名物記に「筋釜」として登場している。『玩貨名物記』所載。 これも古芦屋の、滑らかな地肌の結構な金味が見所である。 ただ現状では、展示されている側の裏がかなり傷んでいる。それだけでなく、釜の銅より下は、後世の補修になる物と思われる。明らかに肌の調子が違うので、すぐに分かるだろう。先に「実にたっぷりとした」と書いたが、釜の胴より下が不自然に高く大ぶりになったのはこの為であり、当初の釜はもっと扁平の、自然な形をしていた筈である。 従って、この釜の見所は、胴上のオリジナルの部分であると言えるだろうか。後世の補修部分と、当初のオリジナルの部分とを比べれば、オリジナルの、古芦屋の肌合の素晴らしさが一目瞭然であろう。(名古屋茶道大鑑より)

43 竹茶杓 銘 ひがし山ごぼう 伝豊臣秀吉作 岡谷家寄贈 桃山 16世紀

44 古瀬戸肩衝茶入 銘 横田 大名物 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康所持 室町 15世紀
45 朱塗四方盆(若狭盆) 名物 明 16-17世紀
名物古瀬戸茶入の双璧と称賛されているのが、「鎗の鞘」と「横田」である。「横田」は所有者の名と思われるが不明である。大振りで背の高い寸胴形で、胴の中ほどに斜めに大きな篦痕(へらあと)がある。総体に渋紙釉がかかり、梨子地状に銀色に発色する斑点が無数にあり、荘重な味わいの中に華やかさを含んでいる。
 花兎文古金襴(はなうさぎもんこきんらん)(角倉金襴類裂)の仕覆が附属する。足利義政、義昭、織田信長を経て豊臣秀吉に伝わり、天正13年(1584)小牧長久手の戦いの和議の際、秀吉から家康に贈られ、更に初代義直に譲られた。

小牧長久手の戦いの和議の際、秀吉から家康に贈られたという逸話は、凄い話ですね。

47 古瀬戸肩衝茶入 銘 筒井 大名物 筒井順慶・徳川家康所持 室町 15世紀
48 朱塗四方盆 明 16-17世紀

49 竹の子文志野筒茶碗 歌銘 玉川 岡谷家寄贈 桃山 16世紀
柔らかい志野(しの)独特の釉の中に、紅の竹の子が幻想的に浮かび上がっている。向付(むこうづけ)として作られたものであるが、あまりにもその姿が端正で美しいため、茶碗に用いられた。この茶碗は、かなり灰の混ざった長石釉(ちょうせきゆう)が薄くかけられ、文様に古雅なところがあり、製作年代は比較的古いと思われる。銘の「玉川」は、小堀遠州(こぼりえんしゅう)の第三子である小堀権十郎による命名で、「新古今和歌集」巻第六の「冬歌」に収められている下の歌による。岡谷家寄贈。
 夕されば汐風こしてみちのくの野田の玉川千鳥なくなり 
能因法師


50重文 織部筒茶碗 銘 冬枯 岡谷家寄贈 桃山 16世紀
筒形の茶碗である。桃山時代の着物や漆工品に多くとり入れられた「片身替り(かたみがわり)」の意匠を思わせるかのように、黒釉と白釉とにかけ分けられている。黒釉の部分は、文様が削り出され、白釉の部分には鉄絵で描かれている。抽象化された文様は、世界デザイン史上の革命とも云え、いかにも冬の野原に枯れ残った草木を髣髴とさせるとも見える。底部にも白釉がかけられ、高台内に「Q」と読める印が捺してある。岡谷家寄贈。

暮らしを彩る桃山のデザイン
59◎ 紫地葵紋付葵の葉文辻ケ花染羽織 徳川家康着用 桃山-江戸 16-17世紀
この羽織は「胴着」と称されて、四代吉通が、幼年のときに着用したとの記録がある。だが文様や仕立て寸法、染の技法からみて、「駿府御分物」の中から選んで吉通が愛用した羽織と解される。家康着用の羽織は、日光東照宮や上野東照宮にも秘蔵されるが、本品はその中でもデザイン、保存状態とも抜群である。紫地に染め抜かれた葵の葉は、色とりどりに美しく、その配置も妙を得ている。縫い絞りによるおおらかな表現と、引きしまった葉柄の線にみられる繊細さなど辻ヶ花染の技巧を余すところなく駆使した代表作である。(文化遺産オンライン)(画像は文化遺産オンラインに)
61 根芹に雪輪小紋筒小袖 徳川家康着用 桃山-江戸 16-17世紀
65 薄浅葱地雪持桐文麻浴衣 徳川家康着用 桃山-江戸 16-17

芸の道 文の道
武将が愛した名刀
命をかけた戦いの現場
89 長篠合戦図屏風 六曲一隻 江戸 18世紀
鉄砲隊が描かれています。
松平忠吉と関ヶ原の戦い


武将の横顔―戦いの文書を読む
105 徳川家康三方ヶ原戦役画像 桃山-江戸 16-17世紀
家康の経験した負け戦とは三十一歳に当たる元亀三年(一五七二)十二月、三方ヶ原で起こった武田信玄との合戦である。家康は後年、この敗戦を肝に銘ずるためにその姿を描かせ、慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝えられる。威厳のある堂々とした権現像とは異なり、憔悴し切った家康の表情が巧みに描かれており、別名「顰(しかみ)像」とも呼ばれている。(文化遺産オンライン)(画像は文化遺産オンラインに)
先週、テレビの「功名が辻」で紹介されたばかりだったので吃驚。



戦いから武芸へ―乱世の終焉
コメント (2)
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徳川美術館 常設展

2006-08-14 | 茶道具
徳川美術館 常設展
2006年7月25日から9月24日(全期)
前期(8/22まで)のみの展示あり。

徳川美術館は侯爵徳川義親の寄附によって昭和6年に創立された財団法人徳川黎明会が運営している私立の美術館で、昭和10年(1935)開館。尾張徳川家の歴代相伝の重宝、いわゆる「大名道具」を収め、しかもその後、徳川宗家(将軍家)や紀州徳川家、一橋徳川家、蜂須賀家などの大大名の売立重宝の一部も購入し、岡谷家をはじめいくつかの篤志家の寄贈品をも収めてさらに充実し現在に至っている。国宝9件、重要文化財57件、重要美術品46件 など一万数千件。

今回初めて、徳川美術館を訪れ、その一端に触れることが出来た。東京の展覧会とは違った、当時を再現した「大名道具とは何か」について膚で感じられた。

第一展示室 武家のシンボル 武具・刀剣
10 白絽地葵紋付波文陣羽織 徳川慶勝(尾張家14代)所用 江戸 19世紀; 陣羽織とはこのようなものかと。波文がおしゃれだ。
19 唐銅飛龍形百目大筒 江戸 17世紀;大筒にわざわざ飛龍形の意匠をつけて,龍の口が銃口に。威嚇です。
三所物(みところもの)三所物とは、小刀柄(こづか)、笄(こうがい)、目貫三点の総称。刀剣装具には、厳しい格式があり、小刀柄、笄をつける身分の武士は上級のもの。後藤家で製作された金具を使うのが慣例。後藤家は足利将軍家から徳川家に代々仕えた。とのこと。

刀はさっぱり判らないのですが、鞘以外にも、細かい細工があることを勉強。

第二展示室 大名の数寄 茶の湯
名古屋城二の丸御殿にあった猿面茶室が再現されて、茶席が設けられ展示されている。
1 山水図 伝周文筆 万里集九賛 岡谷家寄贈 室町 15世紀
3 人物文染付花生(高砂手) 明 16-17世紀
4 芦屋網代釜 江戸 17世紀
5 南蛮砂張水指 岡谷家寄贈 明 16世紀
6 瀬戸青柳手茶入 桃山 16世紀
7 斗々屋茶碗 銘 螢 岡谷家寄贈 朝鮮王朝 16世紀
9 竹茶杓 銘 山彦 織田貞置作 江戸 17世紀

雰囲気はよくわかるのですが、個々の茶道具は、すこし距離が遠くてよくは鑑賞できません。「高砂手」とは、頸に二人の唐人、胴に松を描いた花瓶。

  • 19 珠光青磁茶碗 銘 荷葉 元-明 14世紀;珠光青磁茶碗については、先日出光美術館で拝見しました。こちらは釉薬は黄味をおび、猫掻手文様。
  • 20 唐物文茄茶入 銘 玉すだれ 元-明 14-15世紀; 文茄とは文琳(林檎)と茄子の中間型の意。黄釉の上に紫釉で文様。小堀宗中(1786-1867)箱書き。
  • 21 祥瑞阿古陀形薄茶器 明 17世紀;阿古陀とは南瓜のこと。青の発色がいい。

    第三展示室 大名の室礼 書院造
    押板飾り
    1 太公望・墨竹図 徳川光友(尾張家2代)筆 三幅対 江戸 17世紀
    4 菊花文青磁三ツ足香炉 元 14世紀
    5 青磁竹節中蕪形花生 元-明 14-15世紀
    6 梔子文堆朱香合 彫銘 「張成造」 明 16世紀
    8 火道具 江戸 19世紀
    9 饕餮文古銅分銅形花生 一対 明 15-16世紀

    三具足飾り押板(近世以降の床の間)の最も基本的な装飾形式が三具足飾り(みつぐそくかざり)。最も格式の高い室内装飾の形式。三具足とは花瓶、燭台、香炉(中央)。壁面に三幅対または五幅対。押板には、中尊と呼ばれる香炉を中心に、向かって右に燭台、左に花瓶、さらに左右に一対の脇花瓶を置く。

    中央の青磁の香炉と花生、脇の饕餮文古銅分銅形花生が取り合わせが武家らしい。

    違棚飾り
    10 古瀬戸肩衝茶入 銘 本阿弥 名物 室町 15-16世紀
    11 建盞天目茶碗 木下家寄贈 南宋 13世紀
    12 孔雀羽蒔絵沈箱 江戸 17世紀
    13 古銅鶏香炉 江戸 17-18世紀
    14 花鳥人物螺鈿食籠 明 16-17世紀
    天目茶碗も茶入も違い棚の上の方に飾られていてよく拝見できず残念。

    鎖の間
    上段の間
    4 鉄切合風炉・釜 辻与次郎作 桃山 16世紀
    5 唐銅花鳥文鍍金水指 明 14-15世紀
    6 金紫銅穗屋香炉蓋置 岡谷家寄贈 江戸 18世紀
    7 唐銅銀象嵌建水 江戸 18世紀
    8 砂張砧形杓立 明 16-17世紀
    9 唐物文琳茶入 明 15世紀
    10 上建盞天目茶碗 南宋 12-13世紀

    台子(だいす)の御点前の茶道具。黒を貴重とした侘び茶以前の茶道の形式。こちらも天目茶碗は見込みは拝見できず。

    次の間飾り
    12 七字一行書「長松下当有清風」 徳川斉温(尾張家11代)筆 江戸 19世紀
    14 七宝象耳花生 明 16-17世紀
    16 古芦屋八景釜 室町 16世紀
    17 唐物自在釜掛 明 16世紀
    18 萩茶碗 江戸 17世紀
    20 黒塗利休形大棗 岡谷家寄贈 江戸 17世紀

    こちらの唐物自在釜掛は、鎖の間に相応しい、細工の立派な作品。

    第四展示室 武家の式楽 能
    名古屋城二の丸御殿内の能舞台の再現がされていた。

    第五展示室 大名の雅 奥道具
    7 初音蒔絵耳盥 霊仙院千代姫(尾張家2代光友夫人)所用 国宝 江戸 寛永16年<1639>
    「初音の調度」は三代将軍家光の娘千代姫(ちよひめ)が寛永16年(1639)数え年三歳で二代光友(みつとも)に嫁入りした時に携えた婚礼調度で、附属の文書類とあわせて75件が現存している。
     意匠は『源氏物語』初音(はつね)の帖「年月を松にひかれてふる人に今日鶯の初音きかせよ」の歌に因み、歌文字の一部分が金銀の彫金で絵に隠れるように散らされる「葦手(あしで)」が用いられている。梨子地(なしじ)に多様な技巧を駆使した蒔絵技法と王朝美の伝統意匠とにより、近世蒔絵および近世大名婚礼調度の最高峰といわれる。幕府の御用蒔絵師の幸阿弥家(こうあみけ)の記録によると、同家の十代長重が製作に当り、千代姫誕生の寛永14年(1637)に早くも注文を受け製作を開始した。


    14 合貝 聖聡院従姫(尾張家9代宗睦3男治行夫人)所用 江戸 18世紀
    15 扇面散蒔絵貝桶 江戸 19世紀

    雅な婚礼調度です。
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