(今日の写真は、ミソハギ科ミソハギ属の多年草「エゾミソハギ(蝦夷禊萩)」だ。
和名に蝦夷とついているが、北海道から九州まで分布している。近縁のミソハギ科ミソハギ属の多年草「ミソハギ(禊萩)」は「本州以南」に分布している。
山野で日当たりがいい水湿地や河川、湖沼の縁など水辺の湿地に自生している。岩木山では後長根沢の下流域、「後長根川」と名前が変わって岩木川に流入する流域一帯で見られる。ちょうど今頃、お盆の時季に薄紅色だったり、濃いめの紅色の花を咲かせている。
岩木川の流域にも結構見られるし、屏風山の沼地周辺でも今を盛りと咲いているだろう。
開花時期は7月頃~8月末頃までで、茎の上部の葉腋に数個ずつ小さな紅紫色の6弁花をつける。
花は「ミソハギ」に似ているが、全体に細毛が密生していて大型で、繁殖力が強く、草丈は1mほどと大きい。
名前の由来は、「水辺に生えるからミズハギ」、「花が小さいので微萩(みそかはぎ)」、「行者が禊(みそぎ)の時に挿して拝んだのでミソギハギ」など実に多彩だが、正統派は
「ミソギ(禊ぎ)ハギ(萩)」を略したものだろう。「ミソギ」は水を注いで邪悪なもの、悪魔を払うことで「禊ぎ」である。「ハギ」は秋の七草の「萩」であるが、萩とはまったく関係がない。遠目には「ハギ」に似ているように見えるからかも知れない。 学名に「リスラム」という語を持っているが、これはギリシャ語の「lythron(血)」に由来する。花が血のように赤いところからだろう。
別名は、お盆の供花とするので「ボンバナ(盆花)」だ。その他に「千屈菜、盆草、精霊花、草萩、鼠尾草、水萩、そはぎ、ミズカケグサ(水懸草)」などと言うそうだ。また、「ミゾハギ(溝萩)」と呼ぶ地方もある。
葉は天ぷらや茹でて、花はサラダ、酢の物として食用。また、下痢止めや虫さされに効用があるとされている。)
◇◇ ミソハギの花に寄せる想い(2) ◇◇
(承前)…だが、この花は最初の出会いの私に「農民の無念さ秘めた紅紫色の禊ぎ花」という強い印象を与えたものだった。
道路の左側に棚田状の捨てられて荒れに任せた休耕田が見えた。減反という有無を言わせない農政の結末がそこにはあった。農業的価値には一貫性と永遠性が必要なのに農政にはそれが欠けている。農民にとって、土地があるのに耕せないほど辛いことがあろうか。 見えないところで農民の心情はこの休耕田のように荒(すさ)んでいるに違いない。その廃棄された田圃の乾ききった畦には数本の紅紫色花が佇立していた。茎の上部の葉腋に小さな六弁の花を咲かせるエゾミソハギだった。
この花は農民の田圃に対する禊ぎ花に違いない。この「休耕田」が一日に1台も自動車の走らない「立派な農免道路」を支えているとしたらこれはおかしい。価値の倒立だろう。
次は、ミソハギを主題にした「短歌」と「俳句」を紹介しよう。
・ミソハギの小さき花の紫を初恋のごとき指もて手折る(京極塔子)
「禊萩の小さな紫がかった花を(初恋のような指?みんなでこの意味を考え想像しよう。)でもって折るのであるよ。」とでも解釈しようか。
・咲き初め小花集めるミソハギの終盤だれてとりとめもなき(池 牧人)
「咲きはじめは小さい花を沢山つけて整然としているが、花期が終わりに近づいてくるとその整然さも乱れてとりとめのないものになってしまうのだなあ。」という感慨は、まさにそのとおりである。このような咲き方散り方をこの花はするのだ。
・家遠しみそ萩つむは孤児(みなしご)か(幸田露伴)
『人家から遠く離れた野原で、一人禊萩を摘んでいるのはみなしごだろうか。群れて、林立して咲いている中で、何となく寂しげである。この孤影はなんだろうか。』さすが「露伴」だ。そこまでよみとって吟ずるとは、さすがである。
・みそ萩の露にとどけり昼の鐘(細見綾子)
『朝露をまだ花びらにつけたままの禊萩が咲いている。時折しも、昼を告げる鐘の音が聞こえてきた。鐘の音が届いたたのだろうか、それに合わせてその露が微かに揺れ動いたようだった。』
昨日紹介した金子みすゞの詩「それは、さみしいみそはぎの、花からこぼれた露でした」に通ずる感興だろう。
次の2句は「お盆の精霊花」としての「ミソハギ」を吟じたものだ。
毎日新聞電子版「余録」の「盆花ミソハギ」には…今は精霊棚もないお盆をお迎えの方が多かろう。だがこのお盆休みのひと時、ミソハギでなくとも花一輪なりとも生け、風に耳を澄ましてはいかがだろう。心に訪れるものと静かに語らえばいい。…とあった。
・みそ萩や母なきあとの母がわり(稲垣きくの)
『禊萩を盆花とする宗教性を踏まえている句であろう。母が亡くなった。その代わりをしてくれているのが禊萩である。 これを供花として母を大切に思い感謝しようと思うのだ。
何という心根の優しさだろう。』思わず、涙が出そうになった。
・みそ萩や水につければ風の吹く(小林一茶)
この句の意味が分からず、どのように解釈すればいいのか分からないで困っていた。だが、一茶の妻の新盆の句であるということを知って、よく理解出来た。
「精霊花」としての「ミソハギ」はお盆の前の12日から13日の朝にかけて、野山や川岸から摘み取り、それを飾り、水をかけて、ご先祖様や親しい家族の祖霊を迎えたのである。暑い中、時折吹きつける北風は涼風であり、清々しい。その風となって戻った亡き妻の霊と「一茶」は一体、何を語ったのだろう。
地方によっては「ミソハギ」を「水懸草」と呼んだ。これは、「お盆で先祖の霊を迎える精霊棚にミソハギの束を使って水をかけた」からであると言われている。
和名に蝦夷とついているが、北海道から九州まで分布している。近縁のミソハギ科ミソハギ属の多年草「ミソハギ(禊萩)」は「本州以南」に分布している。
山野で日当たりがいい水湿地や河川、湖沼の縁など水辺の湿地に自生している。岩木山では後長根沢の下流域、「後長根川」と名前が変わって岩木川に流入する流域一帯で見られる。ちょうど今頃、お盆の時季に薄紅色だったり、濃いめの紅色の花を咲かせている。
岩木川の流域にも結構見られるし、屏風山の沼地周辺でも今を盛りと咲いているだろう。
開花時期は7月頃~8月末頃までで、茎の上部の葉腋に数個ずつ小さな紅紫色の6弁花をつける。
花は「ミソハギ」に似ているが、全体に細毛が密生していて大型で、繁殖力が強く、草丈は1mほどと大きい。
名前の由来は、「水辺に生えるからミズハギ」、「花が小さいので微萩(みそかはぎ)」、「行者が禊(みそぎ)の時に挿して拝んだのでミソギハギ」など実に多彩だが、正統派は
「ミソギ(禊ぎ)ハギ(萩)」を略したものだろう。「ミソギ」は水を注いで邪悪なもの、悪魔を払うことで「禊ぎ」である。「ハギ」は秋の七草の「萩」であるが、萩とはまったく関係がない。遠目には「ハギ」に似ているように見えるからかも知れない。 学名に「リスラム」という語を持っているが、これはギリシャ語の「lythron(血)」に由来する。花が血のように赤いところからだろう。
別名は、お盆の供花とするので「ボンバナ(盆花)」だ。その他に「千屈菜、盆草、精霊花、草萩、鼠尾草、水萩、そはぎ、ミズカケグサ(水懸草)」などと言うそうだ。また、「ミゾハギ(溝萩)」と呼ぶ地方もある。
葉は天ぷらや茹でて、花はサラダ、酢の物として食用。また、下痢止めや虫さされに効用があるとされている。)
◇◇ ミソハギの花に寄せる想い(2) ◇◇
(承前)…だが、この花は最初の出会いの私に「農民の無念さ秘めた紅紫色の禊ぎ花」という強い印象を与えたものだった。
道路の左側に棚田状の捨てられて荒れに任せた休耕田が見えた。減反という有無を言わせない農政の結末がそこにはあった。農業的価値には一貫性と永遠性が必要なのに農政にはそれが欠けている。農民にとって、土地があるのに耕せないほど辛いことがあろうか。 見えないところで農民の心情はこの休耕田のように荒(すさ)んでいるに違いない。その廃棄された田圃の乾ききった畦には数本の紅紫色花が佇立していた。茎の上部の葉腋に小さな六弁の花を咲かせるエゾミソハギだった。
この花は農民の田圃に対する禊ぎ花に違いない。この「休耕田」が一日に1台も自動車の走らない「立派な農免道路」を支えているとしたらこれはおかしい。価値の倒立だろう。
次は、ミソハギを主題にした「短歌」と「俳句」を紹介しよう。
・ミソハギの小さき花の紫を初恋のごとき指もて手折る(京極塔子)
「禊萩の小さな紫がかった花を(初恋のような指?みんなでこの意味を考え想像しよう。)でもって折るのであるよ。」とでも解釈しようか。
・咲き初め小花集めるミソハギの終盤だれてとりとめもなき(池 牧人)
「咲きはじめは小さい花を沢山つけて整然としているが、花期が終わりに近づいてくるとその整然さも乱れてとりとめのないものになってしまうのだなあ。」という感慨は、まさにそのとおりである。このような咲き方散り方をこの花はするのだ。
・家遠しみそ萩つむは孤児(みなしご)か(幸田露伴)
『人家から遠く離れた野原で、一人禊萩を摘んでいるのはみなしごだろうか。群れて、林立して咲いている中で、何となく寂しげである。この孤影はなんだろうか。』さすが「露伴」だ。そこまでよみとって吟ずるとは、さすがである。
・みそ萩の露にとどけり昼の鐘(細見綾子)
『朝露をまだ花びらにつけたままの禊萩が咲いている。時折しも、昼を告げる鐘の音が聞こえてきた。鐘の音が届いたたのだろうか、それに合わせてその露が微かに揺れ動いたようだった。』
昨日紹介した金子みすゞの詩「それは、さみしいみそはぎの、花からこぼれた露でした」に通ずる感興だろう。
次の2句は「お盆の精霊花」としての「ミソハギ」を吟じたものだ。
毎日新聞電子版「余録」の「盆花ミソハギ」には…今は精霊棚もないお盆をお迎えの方が多かろう。だがこのお盆休みのひと時、ミソハギでなくとも花一輪なりとも生け、風に耳を澄ましてはいかがだろう。心に訪れるものと静かに語らえばいい。…とあった。
・みそ萩や母なきあとの母がわり(稲垣きくの)
『禊萩を盆花とする宗教性を踏まえている句であろう。母が亡くなった。その代わりをしてくれているのが禊萩である。 これを供花として母を大切に思い感謝しようと思うのだ。
何という心根の優しさだろう。』思わず、涙が出そうになった。
・みそ萩や水につければ風の吹く(小林一茶)
この句の意味が分からず、どのように解釈すればいいのか分からないで困っていた。だが、一茶の妻の新盆の句であるということを知って、よく理解出来た。
「精霊花」としての「ミソハギ」はお盆の前の12日から13日の朝にかけて、野山や川岸から摘み取り、それを飾り、水をかけて、ご先祖様や親しい家族の祖霊を迎えたのである。暑い中、時折吹きつける北風は涼風であり、清々しい。その風となって戻った亡き妻の霊と「一茶」は一体、何を語ったのだろう。
地方によっては「ミソハギ」を「水懸草」と呼んだ。これは、「お盆で先祖の霊を迎える精霊棚にミソハギの束を使って水をかけた」からであると言われている。