(今日の写真は、ツツジ科スノキ属の落葉低木「オオバスノキ(大葉酢の木)」の果実である。本州、中部地方以北から北海道、南千島、サハリンに分布し、山地から亜高山帯の林内や林縁に生える。
樹高は50~100cmで、葉は細長い楕円形で、縁には細かい鋸歯があり、互生する。鋸歯の部分が赤く縁取りされているのが分かるだろう。この「赤い縁取り」は、果実が黒熟する時季だけに出来るものではない。赤味を帯びた花が咲く頃からあるのであって、その花とも非常にマッチしていて美しいものである。
花は、5月から6月にかけて咲き、鐘型で、先端は浅く5裂する。地色に赤紫色が縦方向に入るが次第に紅色に変わる。
萼には稜がなく、丸みがある。先端は三角形に尖っていて、小さく反り返る。そして、その部分が濃い赤紫色に染まるのである。
これは、まさに枝先にぶら下がる小さな赤い「ベル」である。
「スノキ属」には、「スノキ」、「ウスノキ(カクミノスノキ)」、「オオバスノキ」があるが、「オオバスノキ」は樹高が低い割に、葉が大きく4~9cmはある(他の2種は4cm程度)。また、葉の裏が白いのも「オオバスノキ」の特徴である。葉脚の形は、「ウスノキ」が丸く、他の2つはやや尖るのだ。
ただ、分布は「スノキ」が中部日本以西、「オオバスノキ」が中部地方以北となっているので、岩木山のものは「オオバスノキ」である。
花名の由来は、「スノキ」の仲間だが、葉が一際大きいことと「酢の木」という名前の由来は、葉や果実を噛むと酸っぱいことによる。
私は、この「オオバスノキ」の花との出会いを、次の短歌と俳句で詠んだ。
・「先日の乳白色の色を変え今やルビーの大葉のスノキ」
…3日前は乳白色の光沢を持った淡い緑色だった。それが太陽と高山の冷気と岩石帯表土からの滋養で変身してしまい、今日は透きとおった紅玉(ルビー)に見えていた。…と解釈していい。
・「我会えり知らず手にした宝玉は風衝に揺れる大葉酢の木ぞ」
…頂上近くの小低灌木帯を抜ける中で、手がかりとして無意識に掴んだ「オオバスノキ」の枝や幹である。その枝先には紅玉(ルビー)のような花がついている。思わず手を離してじっと見入る。山腹から吹き上がって来る風が、微かに、それを揺らした。
・「煌めきと瞬く出会いのスノキ花」
…頂上直下に差しかかっていた。「オオバスノキ」の花の色の変化は微妙だ。そこに宝石が地中深くにあって変成していくという隠れた努力の威圧を見たと思った。近寄りがたく、煌(きら)めく美しさ。瞬く間の出会いだから、なお、それは美しい。
以上(三浦 奨)
また、「オオバスノキ」の花には、次のようなキャプションをつけた。
*涼風爽やかな横顔に見る紅玉の耳飾り* )
◇◇「オオバスノキ」の果実に寄せる想い ◇◇
「オオバスノキ」は、花の時もいいが、紅葉の時季もいい。葉が先端から淡くて明るい紅色に染まっていく様子は、見事で秋の低木が生えている尾根を鮮やかに飾るのである。
葉がこのようにきれいな色に染まる頃、果実も赤に染まり始めて、やがては紫から黒く熟すのである。
まさに、「葉を燃やし黒熟するは酢の木かな」(三浦 奨)の世界なのだ。
だが、最初は、薄緑色の若い果実となり、大葉の裏に隠れている。だから、なかなか、この若い果実には気がつかないのだ。
花が咲いている時季ならば、誰もが、気がつくだろう。また、秋になって黒く熟した果実をつける頃になると、その「実」と紅く色づいた葉が「一目瞭然」で、その存在を教えてくれるだろう。
「オオバスノキ」は変幻をするたびに、別な美しさを見せる不思議な樹木なのである。「花を見てそれで満足してしまう」ということは止めた方がいい。若葉、新葉、花芽、開花、花の色の変遷、結実、果実の成長と色の変遷、果実の味を確かめる、葉の色の変遷など、春、夏、秋を通して、その植物に接して、観察することを勧めたい。
「現場で、現物を継続的に観察する」、つまり、現物に即して「観察」することが大事なのである。
果実は、甘酢ぱくて美味しい。…のだが、「プリンの味は食べてみなければ分からない」と言われるように「味」とは自分自身が、食べて「味覚」しない限り、絶対に分からないものなのである。
◇◇ カメラを持たない登山 (10)◇◇
(承前)…この「コミュニズム峰(標高7500m)」の登頂を目指す登山は私を変えた。それは標高4000m以上の積雪帯では「生き物に会わない登山」であったことによる。
…個々人の体質的なものがないわけではないが、「高所順応」は主に、「高所登山」に出かける前の「自己訓練」によって「可否」が決まるのである。
私はその時、47歳だった。そして、そのことを「理解していた」ので、私は「体力増強」に努め、いろいろと勉強もし、それを実際的に生かすための、肉体的なトレーニングも長期にわたってしていたのである。
…幸い私は、「高所順応」に「適」マークだったようだ。だが、私は、その数年前に交通事故に遭っていた。自転車走行中の私が、一方的に相手の不注意によって、自動車にはねられたのである。
その上、境界型「糖尿病」とも診断されていた。のような理由から出発するまで、数回にわたり、心電図、脳波、脳の断層写真などの各種検査をした。そして、その都度、「正常値ではない」との診断である。やっと最終の検査で、「高所登山OK」が出たのであった。何故しつこく、検査をしてもらったかというと、「高所障害」の原因に「交通事故の後遺症」や「境界型糖尿病」がなりかねないと判断したからであった。
だが、そのような条件の中にあっても、4000mのベースキャンプから、6000mを越える高所での活動期間中、身体的な変調は全く感じなかったのだ。
しかも、海抜6000mほどの所で、膝上までの新雪積雪を、岩木山でラッセル(雪を踏み固め、後続するメンバーのために道路・ルートを作って進むこと)するのとほぼ同じ感覚で、約12kmにわたって独力1人で、ラッセルが出来たし、自己の高度順応力と基本的な体力には自信が持てたのであった。(明日に続く)
樹高は50~100cmで、葉は細長い楕円形で、縁には細かい鋸歯があり、互生する。鋸歯の部分が赤く縁取りされているのが分かるだろう。この「赤い縁取り」は、果実が黒熟する時季だけに出来るものではない。赤味を帯びた花が咲く頃からあるのであって、その花とも非常にマッチしていて美しいものである。
花は、5月から6月にかけて咲き、鐘型で、先端は浅く5裂する。地色に赤紫色が縦方向に入るが次第に紅色に変わる。
萼には稜がなく、丸みがある。先端は三角形に尖っていて、小さく反り返る。そして、その部分が濃い赤紫色に染まるのである。
これは、まさに枝先にぶら下がる小さな赤い「ベル」である。
「スノキ属」には、「スノキ」、「ウスノキ(カクミノスノキ)」、「オオバスノキ」があるが、「オオバスノキ」は樹高が低い割に、葉が大きく4~9cmはある(他の2種は4cm程度)。また、葉の裏が白いのも「オオバスノキ」の特徴である。葉脚の形は、「ウスノキ」が丸く、他の2つはやや尖るのだ。
ただ、分布は「スノキ」が中部日本以西、「オオバスノキ」が中部地方以北となっているので、岩木山のものは「オオバスノキ」である。
花名の由来は、「スノキ」の仲間だが、葉が一際大きいことと「酢の木」という名前の由来は、葉や果実を噛むと酸っぱいことによる。
私は、この「オオバスノキ」の花との出会いを、次の短歌と俳句で詠んだ。
・「先日の乳白色の色を変え今やルビーの大葉のスノキ」
…3日前は乳白色の光沢を持った淡い緑色だった。それが太陽と高山の冷気と岩石帯表土からの滋養で変身してしまい、今日は透きとおった紅玉(ルビー)に見えていた。…と解釈していい。
・「我会えり知らず手にした宝玉は風衝に揺れる大葉酢の木ぞ」
…頂上近くの小低灌木帯を抜ける中で、手がかりとして無意識に掴んだ「オオバスノキ」の枝や幹である。その枝先には紅玉(ルビー)のような花がついている。思わず手を離してじっと見入る。山腹から吹き上がって来る風が、微かに、それを揺らした。
・「煌めきと瞬く出会いのスノキ花」
…頂上直下に差しかかっていた。「オオバスノキ」の花の色の変化は微妙だ。そこに宝石が地中深くにあって変成していくという隠れた努力の威圧を見たと思った。近寄りがたく、煌(きら)めく美しさ。瞬く間の出会いだから、なお、それは美しい。
以上(三浦 奨)
また、「オオバスノキ」の花には、次のようなキャプションをつけた。
*涼風爽やかな横顔に見る紅玉の耳飾り* )
◇◇「オオバスノキ」の果実に寄せる想い ◇◇
「オオバスノキ」は、花の時もいいが、紅葉の時季もいい。葉が先端から淡くて明るい紅色に染まっていく様子は、見事で秋の低木が生えている尾根を鮮やかに飾るのである。
葉がこのようにきれいな色に染まる頃、果実も赤に染まり始めて、やがては紫から黒く熟すのである。
まさに、「葉を燃やし黒熟するは酢の木かな」(三浦 奨)の世界なのだ。
だが、最初は、薄緑色の若い果実となり、大葉の裏に隠れている。だから、なかなか、この若い果実には気がつかないのだ。
花が咲いている時季ならば、誰もが、気がつくだろう。また、秋になって黒く熟した果実をつける頃になると、その「実」と紅く色づいた葉が「一目瞭然」で、その存在を教えてくれるだろう。
「オオバスノキ」は変幻をするたびに、別な美しさを見せる不思議な樹木なのである。「花を見てそれで満足してしまう」ということは止めた方がいい。若葉、新葉、花芽、開花、花の色の変遷、結実、果実の成長と色の変遷、果実の味を確かめる、葉の色の変遷など、春、夏、秋を通して、その植物に接して、観察することを勧めたい。
「現場で、現物を継続的に観察する」、つまり、現物に即して「観察」することが大事なのである。
果実は、甘酢ぱくて美味しい。…のだが、「プリンの味は食べてみなければ分からない」と言われるように「味」とは自分自身が、食べて「味覚」しない限り、絶対に分からないものなのである。
◇◇ カメラを持たない登山 (10)◇◇
(承前)…この「コミュニズム峰(標高7500m)」の登頂を目指す登山は私を変えた。それは標高4000m以上の積雪帯では「生き物に会わない登山」であったことによる。
…個々人の体質的なものがないわけではないが、「高所順応」は主に、「高所登山」に出かける前の「自己訓練」によって「可否」が決まるのである。
私はその時、47歳だった。そして、そのことを「理解していた」ので、私は「体力増強」に努め、いろいろと勉強もし、それを実際的に生かすための、肉体的なトレーニングも長期にわたってしていたのである。
…幸い私は、「高所順応」に「適」マークだったようだ。だが、私は、その数年前に交通事故に遭っていた。自転車走行中の私が、一方的に相手の不注意によって、自動車にはねられたのである。
その上、境界型「糖尿病」とも診断されていた。のような理由から出発するまで、数回にわたり、心電図、脳波、脳の断層写真などの各種検査をした。そして、その都度、「正常値ではない」との診断である。やっと最終の検査で、「高所登山OK」が出たのであった。何故しつこく、検査をしてもらったかというと、「高所障害」の原因に「交通事故の後遺症」や「境界型糖尿病」がなりかねないと判断したからであった。
だが、そのような条件の中にあっても、4000mのベースキャンプから、6000mを越える高所での活動期間中、身体的な変調は全く感じなかったのだ。
しかも、海抜6000mほどの所で、膝上までの新雪積雪を、岩木山でラッセル(雪を踏み固め、後続するメンバーのために道路・ルートを作って進むこと)するのとほぼ同じ感覚で、約12kmにわたって独力1人で、ラッセルが出来たし、自己の高度順応力と基本的な体力には自信が持てたのであった。(明日に続く)