(今日の写真は、トンボ目オニヤンマ科のオニヤンマだ。先日赤倉沢の中流部から下流部まで歩いた時に、虫に食われて葉脈だけになった葉をつけたオオイタドリの枝に止まっているものを撮ったものだ。
堰堤敷設用の道路を歩いたのだが、このようにあちこちに「止まって」いるものもいれば、道路沿いにゆうゆうと飛翔しているものもいる。
なんと言っても、その数が夥しい。「止まって」いるものも、1匹だけではなく、中には「3匹」が縦列をなしているものまでいた。
飛翔中のものは、歩いている私が手を出せば、数匹は「張り手」の打撃で墜落させることが出来るほどの数であった。
このトンボは北海道、本州、四国、九州に分布して、卵からヤゴまでは、山地の小さな沢や湿地の緩やかな流れの泥底で育つ。大きいトンボだけに、幼虫から成虫になるまで2~3年もかかると言われている。オニヤンマはヤゴも大きい。茶褐色で毛深く、頭部が角ばっていて、体長は約5cmもある。
羽化後は、平地から山地の沢や湿地、池塘の周辺、林の縁などで暮らす。山地の路上やギャップ状の空地、渓流などの上空をゆうゆうと飛んで、パトロールする。
大きさは、90~110mmほどであり、日本最大のトンボだ。羽化の時季は6~9月である。
グリーンの複眼と、はっきりした光沢のある黒色地に7本の黄色の縞条のあることが特徴だ。オニヤンマの複眼は「エメラルドグリーン」である。見る角度のよっては、吸いこまれるような美しさを持っている。
山の林道沿い、それに登山道脇で、「止まっているオニヤンマ」は、子供でも比較的簡単に捕まえることが出来る。
子供たちの表情は「オニヤンマ」を捕まえた感動と驚喜に包まれるのだが、その羽の震動の強烈さと、図体のあまりの大きさに、「手づかみする」ことへの恐怖と躊躇の表情も見せるのである。
今でも、子供にとっては「夢のトンボ」であろう。都会や都市部に住んでいる子供にとって「目にすることの出来るヤンマ類」は、小型の「ギンヤンマ」であるはずだ。オニヤンマは山里に暮らさないと見つけにくいトンボなのである。
「オニヤンマ」は山地のトンボであり、「ギンヤンマ」は低地の湖沼に住んでいるトンボだからである。)
◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(2) ◇◇
(承前)…「その65年を迎えた新聞は21世紀の世界の新たなうねりにちゃんと目を見開き、それを報じているか。新聞人が厳しく自らに問わねばならぬ日である」という。まさにそのとおりだ。
…だが、今年も8月15日を前にして、地方紙、中央紙も「終戦」について触れていたが、「余録」が述べる「新聞人が厳しく自らに問わねばならぬ日である」という視点のものはなかった。
昨日の毎日新聞「近事片々:お盆明け」には、「大地の実りのための化学肥料が手製爆弾に。殻は家庭用圧力鍋。アフガンの現実。65年前の敗戦日まであらゆる物を武器にと決戦を呼号した日本の新聞、雑誌がせつなく重なり見える。」とある。
毎日新聞の論調と視点はまさに「ぶれない」のだ。もう一度「まさにそのとおりだ。」と言おう。
「まさにそのとおりだ」に、私は2つの意味を込めている。1つは新聞人やマスコミの「世論迎合」に奔り、「迎合」姿勢をあおったことである。それに対する反省と責任を今一度、思い起こせと言っているのである。だが、残念ながら「思い起こす」視点・論調は他紙には見られない。
もう1つは、多くの国民が、「世論迎合」に奔ったことことである。「余録」も「近事片々」も、「自身」に反省の矛先を向けながらも、同時に厳しく国民にも、その矛先を向けているのである。
個々人が、思想的に自立出来るための「自己改革に邁進し」、個を確立し、社会全体の変革へと進むべきだと言っているのである。
「世論に迎合」する者は、常にその責任を他に求め、他に押しつける。「おまえたちがそう言ったではないか」とか「おまえたちの言ったことに従ったまでだ」と言うのだ。
「余録」の書き手も「近事片々」の書き手もそのことをよく理解している。だからこそ、諸刃の刃的な表現で、自身と国民に迫っているのである。
数の多さと「迎合」とは、その関係において相関をなす。迎合者が多ければ、新聞の発行部数は伸びる。テレビで言うと「視聴率」が上がる。
新聞人やマスコミ関係者は、それをいいことに、国民が増すます「迎合するような記事や内容」を発表する。そして、多くの国民から理解され、指示されていると思い込む。確かに、数の上では一応、そのような統計的な図式とはなるであろう。
だが、「戦争」というものをきわめて単純化して言えば、それは「殺人」である。「戦争」思潮に「迎合」しても、「殺人」を美化したり、「善きこと」と捉える人はいまい。「殺人・人殺し」は古来から許されない極悪非道のことだと誰もが信じて疑わないのである。
人の心には「人殺しは極悪非道」という思考が内在しているものだろう。その内在している観念を惹き起こして、「戦争をしていけない」という視点や論調で、国民に迫ることがなぜ出来ないのか。
戦後65年、その節目にあって、「戦争をしていけない」という視点や論調で、国民に迫ったのは毎日新聞だけであるように思える。
65年前に「戦争」は終わった。それは時間的な「終わり」である。その時間的な流れの終点という意味で「終戦」という言い方をしている。だが、それを、形態と中身、相手国との相関関係から言うと「終戦」という語で片付けるには、相当に無理がある。
形態と中身、相手国との相関関係から言うと、それは「敗戦」である。ポツダム宣言受諾、無条件降伏とは「完膚無きまでの敗戦」を意味する。
戦争とスポーツを同質で論じることは、当然出来ないが「負けを負けとしっかり認めることでスポーツは成り立つ」のである。スポーツでなくても、勝敗を論ずる場合は「勝ち・負け」という2つの語のいずれかに属する以外はないのである。その意味で非情なほどに客観的なものなのだ。
「敗戦」と捉えなければいけないものを「終戦」と捉えたのは、経過と中身から「目を逸らした主観」でしかない。(明日に続く)
堰堤敷設用の道路を歩いたのだが、このようにあちこちに「止まって」いるものもいれば、道路沿いにゆうゆうと飛翔しているものもいる。
なんと言っても、その数が夥しい。「止まって」いるものも、1匹だけではなく、中には「3匹」が縦列をなしているものまでいた。
飛翔中のものは、歩いている私が手を出せば、数匹は「張り手」の打撃で墜落させることが出来るほどの数であった。
このトンボは北海道、本州、四国、九州に分布して、卵からヤゴまでは、山地の小さな沢や湿地の緩やかな流れの泥底で育つ。大きいトンボだけに、幼虫から成虫になるまで2~3年もかかると言われている。オニヤンマはヤゴも大きい。茶褐色で毛深く、頭部が角ばっていて、体長は約5cmもある。
羽化後は、平地から山地の沢や湿地、池塘の周辺、林の縁などで暮らす。山地の路上やギャップ状の空地、渓流などの上空をゆうゆうと飛んで、パトロールする。
大きさは、90~110mmほどであり、日本最大のトンボだ。羽化の時季は6~9月である。
グリーンの複眼と、はっきりした光沢のある黒色地に7本の黄色の縞条のあることが特徴だ。オニヤンマの複眼は「エメラルドグリーン」である。見る角度のよっては、吸いこまれるような美しさを持っている。
山の林道沿い、それに登山道脇で、「止まっているオニヤンマ」は、子供でも比較的簡単に捕まえることが出来る。
子供たちの表情は「オニヤンマ」を捕まえた感動と驚喜に包まれるのだが、その羽の震動の強烈さと、図体のあまりの大きさに、「手づかみする」ことへの恐怖と躊躇の表情も見せるのである。
今でも、子供にとっては「夢のトンボ」であろう。都会や都市部に住んでいる子供にとって「目にすることの出来るヤンマ類」は、小型の「ギンヤンマ」であるはずだ。オニヤンマは山里に暮らさないと見つけにくいトンボなのである。
「オニヤンマ」は山地のトンボであり、「ギンヤンマ」は低地の湖沼に住んでいるトンボだからである。)
◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(2) ◇◇
(承前)…「その65年を迎えた新聞は21世紀の世界の新たなうねりにちゃんと目を見開き、それを報じているか。新聞人が厳しく自らに問わねばならぬ日である」という。まさにそのとおりだ。
…だが、今年も8月15日を前にして、地方紙、中央紙も「終戦」について触れていたが、「余録」が述べる「新聞人が厳しく自らに問わねばならぬ日である」という視点のものはなかった。
昨日の毎日新聞「近事片々:お盆明け」には、「大地の実りのための化学肥料が手製爆弾に。殻は家庭用圧力鍋。アフガンの現実。65年前の敗戦日まであらゆる物を武器にと決戦を呼号した日本の新聞、雑誌がせつなく重なり見える。」とある。
毎日新聞の論調と視点はまさに「ぶれない」のだ。もう一度「まさにそのとおりだ。」と言おう。
「まさにそのとおりだ」に、私は2つの意味を込めている。1つは新聞人やマスコミの「世論迎合」に奔り、「迎合」姿勢をあおったことである。それに対する反省と責任を今一度、思い起こせと言っているのである。だが、残念ながら「思い起こす」視点・論調は他紙には見られない。
もう1つは、多くの国民が、「世論迎合」に奔ったことことである。「余録」も「近事片々」も、「自身」に反省の矛先を向けながらも、同時に厳しく国民にも、その矛先を向けているのである。
個々人が、思想的に自立出来るための「自己改革に邁進し」、個を確立し、社会全体の変革へと進むべきだと言っているのである。
「世論に迎合」する者は、常にその責任を他に求め、他に押しつける。「おまえたちがそう言ったではないか」とか「おまえたちの言ったことに従ったまでだ」と言うのだ。
「余録」の書き手も「近事片々」の書き手もそのことをよく理解している。だからこそ、諸刃の刃的な表現で、自身と国民に迫っているのである。
数の多さと「迎合」とは、その関係において相関をなす。迎合者が多ければ、新聞の発行部数は伸びる。テレビで言うと「視聴率」が上がる。
新聞人やマスコミ関係者は、それをいいことに、国民が増すます「迎合するような記事や内容」を発表する。そして、多くの国民から理解され、指示されていると思い込む。確かに、数の上では一応、そのような統計的な図式とはなるであろう。
だが、「戦争」というものをきわめて単純化して言えば、それは「殺人」である。「戦争」思潮に「迎合」しても、「殺人」を美化したり、「善きこと」と捉える人はいまい。「殺人・人殺し」は古来から許されない極悪非道のことだと誰もが信じて疑わないのである。
人の心には「人殺しは極悪非道」という思考が内在しているものだろう。その内在している観念を惹き起こして、「戦争をしていけない」という視点や論調で、国民に迫ることがなぜ出来ないのか。
戦後65年、その節目にあって、「戦争をしていけない」という視点や論調で、国民に迫ったのは毎日新聞だけであるように思える。
65年前に「戦争」は終わった。それは時間的な「終わり」である。その時間的な流れの終点という意味で「終戦」という言い方をしている。だが、それを、形態と中身、相手国との相関関係から言うと「終戦」という語で片付けるには、相当に無理がある。
形態と中身、相手国との相関関係から言うと、それは「敗戦」である。ポツダム宣言受諾、無条件降伏とは「完膚無きまでの敗戦」を意味する。
戦争とスポーツを同質で論じることは、当然出来ないが「負けを負けとしっかり認めることでスポーツは成り立つ」のである。スポーツでなくても、勝敗を論ずる場合は「勝ち・負け」という2つの語のいずれかに属する以外はないのである。その意味で非情なほどに客観的なものなのだ。
「敗戦」と捉えなければいけないものを「終戦」と捉えたのは、経過と中身から「目を逸らした主観」でしかない。(明日に続く)