岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

たまには毛色の変わった話しでも…私のコンピュータ事情(2)

2009-02-03 05:32:54 | Weblog
(今日の写真は私が自作して、OSとして「Windows XP Pro」64Bit版を導入して、メインとして使っているマシンだ。その下に、ちょっとだけ見えているのが「Apple」社の「自作」を許さない「Mac Pro」である。
 昨日も書いたが、「Mac Pro」はまさに、会社が使用するサバー並の機能を有している代物で「個人使用」ではもったいないようなものだ。しかも、私は主に、自作したものを使って「原稿」を書いたり、「作画」や「画像処理」をしているわけだから、なおさら「もったいない」といえるかも知れない。
 この「Mac Pro」を使うのは「メール」の「送受信」と「Web」の閲覧くらいである。何故かというと「ウイルス」の恐れが殆どないからだ。
「Mac Pro」の仕様は次の通りである。
 CPUはIntel Xeon(ジーオン)Quad-Core2.8GHzが2個、メモリーは800MHzDDR2の2GBが8枚で16GBとなっている。OSは「Mac Leopard」である。グラフィクカードは組み込まれているものと交換してNVIDIA Geforce8800GTを搭載した。
 「Mac Pro」で、自作気分をちょっぴりと味わえるのは、ハードディスクとメモリー、それにCD・DVDディスク、グラフィクカードの増設・換装だけである。これだと、自作にはほど遠く、単に機器を「填め込む」だけのことである。つまらない話しだが、それ以外は許してもらえないのだ。)

(承前)

 私は、ある意味で「ラジオ」少年であった。ある意味というのは自分でお金を出して部品をすべて揃えて「組み立てる」少年ではなかったということである。
 貧しかった。当然、我が家に普通の「ラジオ」などあろうはずもない。ここで言う普通のラジオとは「電気」で聞ける「真空管式」の「ラジオ」のことである。
 だが、私は別な手作りの「ラジオ」を持っていた。これは大学の受験勉強の時まで数年間使った。「鉱石ラジオ」である。「黒い筒のような鉱石に、細い銅線をコイルにして何十回も巻いた」という至ってシンプルな受信機であった。当然、イアフォーンで聞く。もちろん、微弱な電波は拾えない。
 昼間はNHKの第一と第二放送しか聞けなかった。夜になると「電離層」の助けを得て、東京などの「遠い局」の電波も拾えた。文化放送という民間放送局があった。今でもあるが、「百万人の英語」という番組があり、これで英語の勉強をした。これは大学の受験勉強に役立った。
 そのような私が「ラジオ少年」であり得たのは「理科」の実験で「ラジオ造り」があり、担当の先生がすべてを私にやらせてくれたからである。だが、そのラジオを私が「個人的」に使うことは最初から許されないことであり、相変わらず、手作りの「鉱石ラジオ」で、耳から「外の世界」をかいま見ていたのであった。

 さて、昨年の11月に、私の「コンピュータ環境」に大きな変化が起きた。「Intel」が新しい「CPU」つまり、プロセッサーを発売したのだ。それを承けてのことだった。
 多くのマザーボードのベンダーも、この「CPU」にあわせて、新しいマザーボードを発売し、メモリー会社はそれを見越して上位規格のメモリーを売り出していた。
 私は、このようなことに出会うと「言われていること」がどれほどのものかと直ぐ実験したくなるのである。これは悪い性分である。

 数年前の一時期、この「CPU」の世界で過当と言えるほどの「戦い」があった。シェア的には「Intel」の方が強大なのだが、それに「AMD」というメーカーが戦いを挑み、性能的には「Intel」の製品を凌いだことがあった。まだ、「Intel」が「P4」に傾注していた時である。
 私はその時、自作マシンの主なものをすべて、「AMD」のCPUに換えたのである。
自作する人には大きく分けて2つのタイプがあるらしい。1つは「余っていたり、使われなくなったりしている部品を集めて、造ってしまう」タイプである。もう1つは「新製品やハイエンドと言われる部品を買いそろえて、今まで以上の機能を持ったマシンを造り上げる」というタイプである。
 後者の方が販売店やベンダーを大いに喜ばせるタイプだ。そして、このタイプに「はまり込んで」しまうと出費がどんどんと嵩む。私のお小遣いはここ数年すべてこのために「費消」されている。バカみたいな話しだが、私のような「者」が、もしあるとすればだが、「自作業界」を潤させているのだろう。
 ここ数年の、特に前半が「今まで以上の機能を持ったマシンを造り上げる」傾向が強かった。そうは言うものの、現在もそれが続いているのだが、最近は前者のタイプ、つまり、「余っていたり、使われなくなったりしている部品を集めて、造ってしまう」ことも多くなった。
 何故ならば、そのような部品が私のロッカーに沢山あったからである。だが、現在は「AMD」のCPUで動く1セットしかない。「余っていたり、使われなくなったりしている部品を集めて」造ったコンピュータは数台になるが、すべて他の人が「大事」に使ってくれている。これぞ「リサイクルとリユース」の見本だと、私は気分をよくしているのだ。
 それら「リユース」されたコンピュータは、現在を基準にすれば「古い」だけで、「その時のハイエンド」のものであったのだ。だから、性能的には市販のコンピュータを遙かに凌ぐものであるということ、間違いないのである。
 これらを使用している人たちに、私は「ただで上げる」とは言わない。もちろん、安く「売る」とも「買ってくれ」とも言わない。そんな気持ちはさらさらない。「ただより怖いものはない」ということをみんな知っている。それに、「上げる」となると「上げる側」が、必然的に上位者になるということが自然だろう。それを恐れているからだ。
 麻生首相、自民党、公明党が主張する国民給付金にも、この「上げる」という意識が濃厚だ。上位者が下位者に与えるという恩着せがましい所業に他ならない。
 だから、私は「無償、返還期限なしで貸す」と言っているのだ。みんなは、いつまでも「借りたままで使える」のである。もちろん、「機能」を貸しているのだから無償のメンテナンスとサポート付であることは当然だ。
 先月も10年以上も前の「コンピュータ」が持ち込まれた。完全に壊れていた。また、仕様、性能、機能からして、OSも「Windows XP」をインストール出来るものではなかった。幸い、マザーボードの規格が手持ちのそれに同じケースだったので、すべて入れ替えて「新しいコンピューター」に仕上げた。ところが、チップセットや各種ドライバーが入っているCDが見つからない。捨ててしまったらしい。(字数オーバーにつき明日に続く) 

最新の画像もっと見る