岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

会報、封筒詰め作業終了・明鏡欄に投稿掲載・クマの駆除について

2007-05-28 06:23:35 | Weblog
 ・会報の封筒詰め作業が終了した。昨日の午前9時から始めて、午後の3時にようやく終わった。硬質のB4版2枚を重ねて4枚としたものを三つに折る作業は、最初の内は大したことがないが、枚数が増えてくると、圧する親指に負担がかかり痛くなってくる。だから、時々休んでは痛い指をさすりながらの作業となる。もし、お手伝いが一人でもいたら、この痛みは体験しなくてもいいかもしれない。実は今朝もまだ、両手の親指が痛いのだ。

 ・明鏡欄に投稿した「弘前公園はオオタカの棲む森だった」が26日の夕刊に掲載された。これで、この弘前公園有料化に関わるテーマで5回目の掲載となった。東奥日報では「弘前公園有料化」を問題として、関心を持って見ているのではないだろうか。多くの市民がいろいろな視点から、この問題を考え、発信していけるようになればいいとの考えで、私は投稿を続けている。

(承前)
 ・クマの駆除について 

 ところで、私には情報提供者とハンターとの「奇妙な接点」と、かれらの背後にいる駆除(殺害)されたクマを買い取る業者、駆除を認可する行政との「目に見えないつながり」が気になってしようがないのだ。
 クマは一匹時価相場で60~80万円にもなるという。毛皮、クマの胆嚢、肉などが珍重されている。なお最近は「何とか鍋」と称して、クマの肉を食べさせるところまである。
 害獣「駆除」という名目で「クマを殺害」すると「商売」になるのである。つまり、「人々の安全のために」というだれもが反論出来ないような絶対的な「名目」のもとで堂々と「商売」が出来るのである。
 下衆の勘ぐりと言われるかも知れないが…
『クマに出会って、襲われそうになった」人は、ハンターや業者の回し者で、これ見よがしに騒ぎ立てる。それらとつるんだ者たちが「危険」だといって騒ぎ立てる。マスコミはそれを報道して「騒ぎ」を拡大する方向で協力する。行政は「住民の安全」のために「駆除」を許可する。
 ハンターたちは大手を振って、「クマ」を追い詰め、殺戮する。そして、その殺害されたクマを業者はひっそりと何事もなかったかのような顔をして買い取り、ハンターや情報提供者、それに許可を与えた行政の係などは何某かのお金を手に入れる。』 
…という構図が浮かんできても何ら不思議ではないような気がするのだ。

 ※クマの駆除(射殺)に関して「許可」を与える行政に言いたい。
 
 ある動物園で係が檻の施錠を忘れ、その隙に外へ出た熊が、害獣と扱われ射殺(駆除)された。これは人間の扱いかた一つが害獣と良獣を決定するという象徴的な事件である。
 97年4月14日、岩木山大石神社から南に1キロの所で、Nさんが熊に襲われ死亡した。気の毒で心が痛む。新聞によると「岩木町役場から許可された熊の有害鳥獣駆除のため、仲間と熊の追い込みをしていた」とあった。
 となれば、「害獣駆除という公的な仕事の過程」でクマに襲われて死んだということになる。殉職か公務並の扱いで補償がなされて然るべきであると考えたい。新聞では、その熊が害獣駆除の対象となった事由については触れていなかった。そこで、私は駆除許可を与えた当時の「岩木町」に、次の二点について質問した。      
1、どのような情報で、このクマが有害鳥獣と認定され、駆除の対象になったのか。2、Nさんへの補償はどうなるのか。        
 なぜならば、仮にこのクマを害獣と認定しなければこの事故は起きなかったであろうし、またこのクマのどういう行動が害獣たる根拠なのかを明らかにすることが町のNさんと社会に、かつ野生の動物に対する責任だと思うからである。
 若し、クマの棲息域に人間が一方的に入り込み、クマに出会って、危険であるからそのクマを害獣と決定、駆除したのであれば、余りにも人間だけの論理に過ぎるのではないだろうか。
 ところが、クマ駆除に関する岩木町からの回答には失望した。私が質問で要求した駆除の「具体的に詳細に」を満足させることはないに等しく、しかも「仮定」したことを「既定」のこととして町が容認しているのだ。
 これだと「過剰防衛」だと批判されてもしかたがない。有害獣と認め、駆除するためには、歴然とした客観性と、しかも実証的、合理的、体系的な根拠が必要である。 私が質問で指摘したことは、「熊と人間社会との関係」と「自然生態系における種・生命体に関わる」具体性、詳細さである。
 これがないことは、明らかに「駆除」に関わる根拠の意味を失していることだし、Nさんや社会への責任を放棄していることでもある。根拠には有無を言わせない説得力と納得させる社会的共感が必要なはずだ。
 なお、町は「駆除理由」の詳細を公表していない。これは、町が社会の問題に対して世論を形成していくという役割を理解していないことであると同時に「駆除」に対する自治体の見解を公にして世に問うという謙虚な姿勢を持っていないものと考えたい。
 クマの「駆除」とは公的機関の正式な決定である。情報も主観的、抽象的、駆除の決定も客観的、説得力に欠け、駆除行動も業者的な利益や興味本位、趣味の満足に偏っていたとすれば自治体による「クマの殺戮」にほかならない。Nさんの補償も、町が率先してするという姿勢はない。許可と駆除との整合性があるとすれば、補償の責任はあるはずだ。          
                                      

最新の画像もっと見る