岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

会報42号「印刷完了」・クマの駆除について

2007-05-27 06:11:08 | Weblog
 会報42号が「県内出版」社から届いた。約400部である。B4版2枚を裏・表に印刷してB5版8ページ仕立ての会報になっている。紙質は裏・表印刷なので厚めであり、800枚となると、かなりの重量となる。
 これを2枚に折って、それをもう1枚に差し込んで、4枚重ねで8ページの会報1部が出来上がる。さらに、それを三つ折りにして、封筒に入れる。
 夕べも一人で、その作業をしたが、「目」のあまりよくない私にとっては、負担が大きく、早々とやめた。何とか今日中には終えて、明日にでも「会計」係に渡そうと考えている。
 封筒に入れると、かさばって「全体量」は大きくなる。自動車を持たない私はそれを50リットルのザックに入れて、背負って郵便局に持って行っていた。今回はこれをしなくても済みそうだから、単純に嬉しい。

(承前)

 ※クマの駆除に関する情報提供者(駆除依頼者)に言いたい。
 
 情報も依頼内容も厳密な客観性に基づいていなければいけないだろう。求める駆除の必然性を確実に満たしていることが大切である。
 昨日も触れた岩木山における97年の「駆除」事故に関して言えば、暖冬であったこと、例年より早い春の訪れなど、自然の諸相の理解を踏まえた上での情報提供であるべきであった。
 クマは暖かさに誘われて早々と冬眠穴を出た。しかし周囲は積雪である。餌はない。情報提供者である「釣り人」が、「自然の諸相」について理解をしていれば、クマが雪のない所に降りて、沢を下って来るのは当然であり、沢や川筋にいればクマと会うのも当然だと受とめたであろう。
 大体はクマの方が事前に人の気配をキャッチして人を避けるものだ。何事もなく、単純にクマを見たとか出会ったとかであれば、それは滅多にない幸運である。
 出来るものなら、その幸運な出会いをそっと胸に秘めておいて欲しいものである。本当に騒ぎ立てるほどのことがあったのだろうか。
 クマは本来の行動を、彼の棲息地でしていただけなのである。滅多にない出会いを勇に誇って、通報するようなことはあってはならない。
 情報をもたらす際は自己満足を伴う主観的な行動になってはいけない。情報は事実だけでいい。情緒的、心情的な思い込み・思惑や興味的要素を付加すべきではない。
 山や谷に入る人はもっとクマについて知るべきだ。最低でも、その棲息地、行動時間帯、餌の種類、採餌場所等は知っていなければいけない。                                  

 ※クマの駆除に関するハンタ-に言いたい。                 

 クマの「駆除」に関して、厳密な客観性と実証的、合理的、体系的な観点はハンタ-にも求められることであろう。ハンタ-とは、「またぎ」の流れに与する者であると考えたい。いわば、クマに関する専門家である。
 だから、その責任において、
1.「そのクマが棲息域を外れているのか」
2.「人間に危害を及ぼすものなのか」
3.「射殺という駆除をしなければいけないものか」
4.「このクマを殺すことでこの地域にいる他のクマはどうなるのか」
5.「種の保存はなされるのか」
6.「他の動物との関わりはどうなるのか」
 …等の判断を意見として述べて、決定までの過程で参与して欲しいのである。
 駆除依頼を待ってましたと、撃ち殺すことに、うずうずする腕だめしに、殺したことを誇りたいという気持ちに走ってはならない。
 専門家の誇りは無益な殺生をしないところにあるはずである。はやるハンテングスピリッツを抑制することにも意味があろう。

 ハンタ-にはいつも社会的責任として厳しい自主規制と抑止力が求められている。また、専門家としての強い自負心に期待される一方で、所持している銃がいつでも凶器になることを恐れるがゆえに、社会から謙虚で慎み深く、控え目であることを望まれているのである。
 その意味からも、自分たちから積極的に、駆除行為をしたいとか、駆除をさせて欲しいとは言うべきではないだろう。
 ましてや、駆除の実行も興味本位や趣味の満足に偏っていてはいけないはずだ。

最新の画像もっと見る