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岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「コケモモ」の果実に寄せる想い / カメラを持たない登山 (2)

2010-07-31 05:02:05 | Weblog
 (今日の写真は、ツツジ科スノキ属の常緑小低木「コケモモ(苔桃)」の果実だ。これは、岩木山で写したものだ。
 「コケモモ(苔桃)」という名前の由来は、この果実を見なければ理解が出来ない。この丸くて赤い実を「モモ(桃)」に見立てているのだ。それでは「コケ(苔)」とは何を見立てたものだろうか。これは、丈や花などの全体が、非常に小さな姿であることによる。 このようなカテゴリーに属する由来を持つ植物には、春咲の「コケリンドウ(苔竜胆)」がある。
 北海道、本州の中部以北、それに四国に分布している。亜高山帯から高山帯のハイマツの下、岩陰などに見られる高さ10㎝ほどの小低木で、葉は楕円形で、質が厚く光沢がある。
 花期は6~8月で、裏岩手縦走時には雪消えの遅い雪田近くでは、まだ花が咲いていた。釣鐘型の花で、色は白いものから赤みの強いものまでと変化があるし、その大きさにも変化がある。
 8月を過ぎると直径7 ㎜ほどの真っ赤な実になり、やがて秋になると黒みを帯びて、完熟する。その実は甘酸っぱくて美味しいのだ。今日の写真の果実はまだ食べられない。酸っぱいだけで甘みに欠ける。)

◇◇「コケモモ」の果実に寄せる想い ◇◇

 今回の「岩手山・八幡平(裏岩手)」縦走登山中に出会った草木の果実で、一番多かったのが「コケモモ」であった。ただ、今になって記憶を辿ると、焼走り登山口から岩手山山頂までは、見えなかったような気がするのだ。
 そのようなことがあっても別におかしいことではない。それぞれの植物は「生育」する土壌の質が決まっているからである。また、生育に適した「温度」というものもある。
 「コケモモ」は「土壌」が酸性の場所に生えるのだ。他の多くの「ツツジ科」の植物と同じように、酸性で貧栄養の場所で育つことは出来るが、「アルカリ性の土壌」では生育出来ないのである。
 また、「耐寒」性には特別、優れている。ある資料によるとマイナス40℃以下でも耐えることが出来るそうである。だが、その一方で、夏季に冷涼さに欠ける暑い場所では生育しにくい傾向があるのである。
 「コケモモ」は、小低木ではあるが広葉樹である。大体、このような寒冷な場所に生育する広葉樹は、秋になると「落葉」するものだ。だが、「コケモモ」は、冬になっても葉を落とさずつけたままである。
 晩冬、雪消えの始まる「風衝地」で、周囲の白い雪の中、この「緑の葉」と「赤黒くなった果実」は出会うものに鮮烈な印象を与えるものだ。それは、春間近という喜びに他ならない。

 「コケモモ」は、北海道では「フレップ」、北アメリカでは「マウンテン・クランベリー」と呼ばれ、生食やジャム、果実酒などに利用されて、人々に親しまれている。「コケモモ」は、いわゆる「…ベリー」と呼ばれるものの仲間なのだ。
 テレビショッピングに盛んに登場する健康食品の「ブルーベリーやビルベリー」は、この「コケモモ」のことだと思っていいだろう。
 「コケモモ」には、有機酸、ビタミンC、βカロテン、ビタミンB類、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リンなどが含まれていると言われている。これだと、体にいいわけである。だが、コマーシャルには「果実」だけが登場する。これが不思議でならない。
 葉に関しての「薬効」がいっこうに出てこないのだ。「コケモモ」の葉には、アルブチンやメチルアルブチンなどの化学物質が含まれていて、これらは「尿路感染症」に効く「薬草」として昔から利用されてきたのである。
 何ということはない。日本にも「…ベリー」は生育しているのだし、「山」に出かけさえすれば採って食べることも出来るのだし、採ってきてジャムや果実酒を造ることも出来るのである。
 健康志向の人は「テレビショッピング」で買うよりは「山」に出かけるべきだろう。より健康になること請け合いである。ただ、採取はあくまでも「果実」だけにしておこう。
「コケモモ」と同じように果樹として利用されるスノキ属の植物には、「ブルーベリー、ビルベリー、ハックルベリー」などがある。
 日本では、「コケモモ」は北海道と本州中部以北に自生するが、北欧できわめて普通に見られものである。「スカンディナヴィア」の三国では、国民が「公有地から収穫すること」が許可されているそうで、それほど「コケモモ」が人々に親しまれ、北欧の「食文化」を形成しているのである。
 ところで、その「コケモモ」に関わる北欧の「食文化」だが、…
「コケモモ」の果実は非常に酸味が強い。そのため、通常は砂糖などで甘みを加えて調理し、ジャムやコンポート(砂糖煮)、ジュース、シロップなどとして食用にするそうだ。また、「コンポート」は肉料理の添え物とすることがあると言われている。

◇◇ カメラを持たない登山 (2)◇◇

(承前)…若い頃の私は、登山時にカメラを携行することはなかった。理由は2つだ。その1つは貧乏で「カメラ」を買うことが出来なかったことである。…
 その2つめは、当時の私にとって「カメラ」は登山行動上「邪魔」なものだったことである。
 山に登って「自然に親しみ、自然に癒される」という思いは確かに、高校生の頃まではあったが、大学生から社会人となるにつれて登山を「スポーツ」と捉えるようになり、その目標・目的は「いかに重い荷物を背負って、いかに短時間で山頂に達するか」になっていた。
 さらにそれは、エスカレートしていった。「いかに難しいルートを速く登るか」と言うことも加わった。
 岩木山の場合、最初は「百沢登山道」に固執した。それは、弘前からもっとも「行き易い」からであった。ポリタンに入った水くらいしか入っていないナップサックを背負い、駆け足状態で登る。もちろん、岩木山神社からである。靴は最初から「皮革製」だった。それ以来、40数年間「靴」は徹底して「皮革製」である。その当時の「革の靴」は重かった。片足2kgは越えていただろう。靴底には鉄の爪が埋め込まれていた。「ビブラム」の靴底が出来る前の話しだ。
 その出で立ちで、山頂まで2時間、回を重ねるうちに2時間を切るようになった。次第に1時間30分に近づいていった。
 仮に、「カメラ」を持っていたとしても、この状態では「写真」を撮ることは出来ないし、「カメラ」自体がただの荷重に過ぎないものだったのだ。(明日に続く)

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