(今日の写真は、バラ科オランダイチゴ属の多年草「ノウゴウイチゴ(能郷苺)」の果実である。「岩手山・八幡平(裏岩手)」縦走登山中、大深山荘の入り口前で見つけた。だが、今日の写真は「岩木山」で撮ったものだ。
昨日の「ハクサンフウロ」ではないが、この「ノウゴウイチゴ」、どこの山にでもあると思われるのだが、本当にこの山荘前の草むらと登山道脇だけで赤い実をつけていたのである。それもかなりの群落であった。他のどこでも見かけることがなかったのである。
何故なのかを考えてみたが、その理由はよく分からない。ただ、「主に本州の日本海側と北海道に分布する」とされていることに注目することは出来るだろう。岩手山は日本海側の山とは言えないのではないか、ということである。
「ノウゴウイチゴ」とは妙な名前であるが、その由来は、発見地の「能郷」に因る。つまり、岐阜県の「能郷白山」で発見されたことからこの名がある。)
◇◇「ノウゴウイチゴ」に想いを寄せる ◇◇
既に果実になっているものはたくさんあった。シラネアオイ、サンカヨウ、タケシマラン、マイヅルソウ、ユキザサ、ナナカマド、コケモモ、イワナシなどだが、もぎ取って食べられるものといえば、食べられないものも当然あるので、時季的な要因を含めて、この「ノウゴウイチゴ」しかなかった。
「ノウゴウイチゴ」は本州、中国地方の伯耆大山以北から北海道に分布している。亜高山帯から高山帯の日当たりのいい草地、時には湿った草地、または林縁に生える。
茎の高さは10~15cmと比較的短く、長い葉柄のある3出複葉が根生している。5月頃から、花茎を伸ばして、直径2cmほどの純白の花を咲かせ、花弁は多く7~8枚あるのが特徴である。
果実は7月から8月にかけて熟し、「小振り」であるが、本当に美味しいのだ。栽培され市販されている「オランダイチゴ」に比べると、その大きさは約1cmと、かなり小粒であるが、香りや甘さは最高だろう。
2、3粒一度に口に放り込んで食べると、甘い果汁が喉に染みわたり、疲れがとれるような気分になり、登山者にはなじみ深い「イチゴ」なのである。
因みに、私たちが日常食べている「イチゴ」は、南米と北米原産の2種の「野生イチゴ」を交雑して生まれた8倍体種だ。だが、日本に自生していて、食べられる「ノウゴウイチゴ」や「シロバナノヘビイチゴ」は2倍体種で、ケーキの上に並べられるあの「イチゴ」に比べるとずっと小さい。
私は17世紀や18世紀のヨーロッパ人の「ケーキ」を想った。もしも、今のように「ケーキ」に苺(イチゴ)を載せることをその頃からしていたとすれば、きっとこの小粒で小振りの「」のような実を載せていたのだろう。あるいは、秋に実をつける「木苺(キイチゴ)」の実を載せたのだろう…と。
◇◇ カメラを持たない登山 ◇◇
「岩手山・八幡平(裏岩手)」縦走登山は、私にとって、実に30年ぶりくらいの「カメラ」を携行しない登山となった。最近は「カメラ」を携行しなくとも「カメラ機能」のついた「携帯電話」を大概の人が持っているから、私もそれを持って、結構あれこれと撮影したのだろうと考える人もいるかも知れない。
だが、自慢ではないが、私は「携帯電話」を持ったことがないし、これからも持つ気はまったくない。今では持たないことを「自慢」したいくらいである。
「携帯電話」で、その機能性からの「便利」を振り回し、他人に迷惑をかけることがいやだからである。何せ、「便利」ということは「自分でするべきことを他人にして貰うこと」で成り立つことである。また、逆に自分が他人の「便利」に振り回されることも嫌いだからである。
滝壺に落ちた登山者を救助しようとしたヘリコプターが墜落、5人が死亡した事件に私は「携帯電話」の持つ「おぞましさ」を見ている。
まず、一番問題にするべきは登山者たちの行動である。その日の天気予報は「大雨、落雷」であった。そのような天気の時に「滝壺」のあるような沢登りはするべきではないのだ。また、「滝壺」に落ちるということ自体、ザイルをつけないフリーの登りでも初心者でもない限りは、あり得ないことである。さらに、何故、ザイルをつけないで登らせたのか。当然、ザイルはフィックスしようがしまいが、つけるべきであったのだ。
さらに、「滝壺」に落ちたならば「沈まない」で浮く訓練も事前にしておくことが沢登りの鉄則だ。それに、「落ちた者」の救出もそのパーティでするのが当然のことなのである。
当然「パーティ」として、自分たちがしなければいけないことをしないで、それを「ヘリコプター」による吊り上げに任せてしまったその結果が5人の「墜落死」である。「便利」に頼った挙げ句の果てが、他人を死に追いやったのである。このパーティの社会的な責任は、上部団体である日本勤労者山岳連盟を含めて厳しく追及されるべきである。
若い頃の私は、登山時にカメラを携行することはなかった。理由は2つだ。その1つは貧乏で「カメラ」を買うことが出来なかったことである。
当時、カメラというとよほどの趣味人か、金に任せて文化人気取りで、己のステータスシンボルとしての自己満足を手に入れる富裕層でなければ持っていなかった。
だから、一夏に60回も岩木山に登っていた大学時代はもちろん、カメラはなかった。岩木山に登ったのも「生活費」を浮かせるという側面もあった。
山に入っていると「金」がかからない。里(街)にいるとすべてにおいて「金」がかかるのである。自炊をしても街ではガス代がかかる。山では枯れ木を拾って火をたき、飯ごうで飯を炊く。ただである。水道代、電気代も不要だ。
大学を卒業して、高校の教員になったが、「初任給」は18.000円ほどである。カメラは高額であった。給料1ヶ月分ではとても買える代物ではなかった。だから、その後の登山にもカメラの携行はなかった。(明日に続く)
昨日の「ハクサンフウロ」ではないが、この「ノウゴウイチゴ」、どこの山にでもあると思われるのだが、本当にこの山荘前の草むらと登山道脇だけで赤い実をつけていたのである。それもかなりの群落であった。他のどこでも見かけることがなかったのである。
何故なのかを考えてみたが、その理由はよく分からない。ただ、「主に本州の日本海側と北海道に分布する」とされていることに注目することは出来るだろう。岩手山は日本海側の山とは言えないのではないか、ということである。
「ノウゴウイチゴ」とは妙な名前であるが、その由来は、発見地の「能郷」に因る。つまり、岐阜県の「能郷白山」で発見されたことからこの名がある。)
◇◇「ノウゴウイチゴ」に想いを寄せる ◇◇
既に果実になっているものはたくさんあった。シラネアオイ、サンカヨウ、タケシマラン、マイヅルソウ、ユキザサ、ナナカマド、コケモモ、イワナシなどだが、もぎ取って食べられるものといえば、食べられないものも当然あるので、時季的な要因を含めて、この「ノウゴウイチゴ」しかなかった。
「ノウゴウイチゴ」は本州、中国地方の伯耆大山以北から北海道に分布している。亜高山帯から高山帯の日当たりのいい草地、時には湿った草地、または林縁に生える。
茎の高さは10~15cmと比較的短く、長い葉柄のある3出複葉が根生している。5月頃から、花茎を伸ばして、直径2cmほどの純白の花を咲かせ、花弁は多く7~8枚あるのが特徴である。
果実は7月から8月にかけて熟し、「小振り」であるが、本当に美味しいのだ。栽培され市販されている「オランダイチゴ」に比べると、その大きさは約1cmと、かなり小粒であるが、香りや甘さは最高だろう。
2、3粒一度に口に放り込んで食べると、甘い果汁が喉に染みわたり、疲れがとれるような気分になり、登山者にはなじみ深い「イチゴ」なのである。
因みに、私たちが日常食べている「イチゴ」は、南米と北米原産の2種の「野生イチゴ」を交雑して生まれた8倍体種だ。だが、日本に自生していて、食べられる「ノウゴウイチゴ」や「シロバナノヘビイチゴ」は2倍体種で、ケーキの上に並べられるあの「イチゴ」に比べるとずっと小さい。
私は17世紀や18世紀のヨーロッパ人の「ケーキ」を想った。もしも、今のように「ケーキ」に苺(イチゴ)を載せることをその頃からしていたとすれば、きっとこの小粒で小振りの「」のような実を載せていたのだろう。あるいは、秋に実をつける「木苺(キイチゴ)」の実を載せたのだろう…と。
◇◇ カメラを持たない登山 ◇◇
「岩手山・八幡平(裏岩手)」縦走登山は、私にとって、実に30年ぶりくらいの「カメラ」を携行しない登山となった。最近は「カメラ」を携行しなくとも「カメラ機能」のついた「携帯電話」を大概の人が持っているから、私もそれを持って、結構あれこれと撮影したのだろうと考える人もいるかも知れない。
だが、自慢ではないが、私は「携帯電話」を持ったことがないし、これからも持つ気はまったくない。今では持たないことを「自慢」したいくらいである。
「携帯電話」で、その機能性からの「便利」を振り回し、他人に迷惑をかけることがいやだからである。何せ、「便利」ということは「自分でするべきことを他人にして貰うこと」で成り立つことである。また、逆に自分が他人の「便利」に振り回されることも嫌いだからである。
滝壺に落ちた登山者を救助しようとしたヘリコプターが墜落、5人が死亡した事件に私は「携帯電話」の持つ「おぞましさ」を見ている。
まず、一番問題にするべきは登山者たちの行動である。その日の天気予報は「大雨、落雷」であった。そのような天気の時に「滝壺」のあるような沢登りはするべきではないのだ。また、「滝壺」に落ちるということ自体、ザイルをつけないフリーの登りでも初心者でもない限りは、あり得ないことである。さらに、何故、ザイルをつけないで登らせたのか。当然、ザイルはフィックスしようがしまいが、つけるべきであったのだ。
さらに、「滝壺」に落ちたならば「沈まない」で浮く訓練も事前にしておくことが沢登りの鉄則だ。それに、「落ちた者」の救出もそのパーティでするのが当然のことなのである。
当然「パーティ」として、自分たちがしなければいけないことをしないで、それを「ヘリコプター」による吊り上げに任せてしまったその結果が5人の「墜落死」である。「便利」に頼った挙げ句の果てが、他人を死に追いやったのである。このパーティの社会的な責任は、上部団体である日本勤労者山岳連盟を含めて厳しく追及されるべきである。
若い頃の私は、登山時にカメラを携行することはなかった。理由は2つだ。その1つは貧乏で「カメラ」を買うことが出来なかったことである。
当時、カメラというとよほどの趣味人か、金に任せて文化人気取りで、己のステータスシンボルとしての自己満足を手に入れる富裕層でなければ持っていなかった。
だから、一夏に60回も岩木山に登っていた大学時代はもちろん、カメラはなかった。岩木山に登ったのも「生活費」を浮かせるという側面もあった。
山に入っていると「金」がかからない。里(街)にいるとすべてにおいて「金」がかかるのである。自炊をしても街ではガス代がかかる。山では枯れ木を拾って火をたき、飯ごうで飯を炊く。ただである。水道代、電気代も不要だ。
大学を卒業して、高校の教員になったが、「初任給」は18.000円ほどである。カメラは高額であった。給料1ヶ月分ではとても買える代物ではなかった。だから、その後の登山にもカメラの携行はなかった。(明日に続く)