goo blog サービス終了のお知らせ 

岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

自然に見る「三原色」の世界は遠のいた… / 岩木山・映える錦秋…(その10)

2009-10-09 05:12:49 | Weblog
 (今日の写真は「紅葉」したヤマモミジだ。「紅葉」つまり。赤い葉という意味だ。三原色は、通常、赤・緑・青の三色である。原色とは全ての色の元になる色のことをさす。
 「紅葉」の「紅」とはこの中の「赤」をさしているのだろう。だが、今日の写真の「ヤマモミジ」は単純に「赤い」といいきれるだろうか。この写真に収まっている「モミジの葉」は100枚程度だが、葉全体が「同じ色」であるものは1枚としてない。
 大きく4つに区分けをして見てみるといい。右下はほぼ赤い。赤いといって橙に近い。左下は少しだけ「赤」が混じっているがほぼ、黄色が中心だ。
 左上のものは、葉脈に沿って黄色に染め分けられている。右上のものは右下に比べると「赤さ」加減が少ない。
 このように、自然が作り出す色彩は容易に「三原色」で識別が可能なほど単純ではない。それを無視して「紅葉(赤い葉)」という一語で片付けるところに、私は人間の傲慢さを見るのだ。
 「自然の観察に徹せず、自然の機微を知らないのに」、言葉を持つ動物として、一方的に「決めつけてしまう」というやり方に「傲慢さ」を感ずるのだ。)

◇◇自然に見る「三原色」の世界は遠のいた…◇◇

 ここで言う「三原色」の他に、「光の三原色」というものもある。光の三原色は「赤(Red)」、「緑(Green)」、「青(Blue)」のことをいう。この英語の頭文字を組み合わせると「RBG」となる。色の「三原色」や光の「三原色」ということを知らない人でも、この「RBG」という記号には馴染みがあるだろう。
 カラーテレビやコンピュータのカラーディスプレイの発光体には、この「光の三原色」が使われているからだ。光の場合には、この三色を使うと、ほぼすべての色が再現出来ると言われている。最近のディスプレイ技術は進歩してきているが、まだまだ「自然の微妙な色彩」を再現するところまではいっていない。
 現実、このブログでこの写真を見ている人の「ディスプレイ」もそうであろう。
 この「光の三原色」の場合、色を混ぜ合わせていくと、色が明るくなる。この混色方法を「加法混色」といい、原理的には「光のエネルギーを加算する」ことである。因みに、三色の色を互いに、加えていくと、最後は「白」になってしまう。「ディスプレイ」の「真っ白画面」は電気的に光のエネルギーを加えていった結果なのである。

 各家庭に、「テレビもない、コンピュータもない、カラープリンターもない」時代では「赤・緑・青」の三原色でことが足りた。
 しかし、「テレビ、コンピュータ」の登場で「光の三原色」が加わった。「光の三原色」についての知識がないと、テレビ等の画面における色調整もままならないことになった。 ところがそれだけではなかった。各家庭で「カラープリンター」を持つようになった。そうなると「色材の三原色」というものが、知識として必要視され始めた。具体的には「プリンターのインク」に関してである。
 「色材の三原色」とは「黄色(Yellow)」、「赤紫(Magenta)」、「青緑(Cyan)」のことだ。カラーインクを購入する時、「赤」とか「黄色」と言わないで、「イエロー」とか「マゼンダ」、「シアン」と言っているだろう。
 これは、色を混ぜ合わせていくと、色が暗くなるので、「減法混色」という。この三色を加えていくと黒になる。だが、不思議なことに「黒インク」がないと「カラー印刷」は出来ないのだ。
 これには「反射特性」というものが関わっているという。理論上は、三色を混ぜ合わせると「黒」になるのだが、実際、使用される「インク」は、望ましい「反射特性」を持っていないので、混ぜ合わせても黒にはならず、「暗い茶色」のような色になる。だから、「黒」のインクを加えて実用化しているというわけである。
 私のプリンターは上記四色に「グレー」「ライトシアン」「ライトマゼンダ」を加えた7色である。この「減法混色」を利用したものが、「カラー写真」やカラー印刷」なのである。

 コンピュータのモニターを見ては思う。カラー写真を印刷しては思う。…どうして、現場で見た情景や「色彩」とこんなに違うのかと。…
 所詮、「科学は自然をそのまま写し撮ったり、切り取ったりする」ことは出来ないのだろう。デジタルカメラが、その画素数をいくら競ったところで「正確な自然の色彩」を撮ることは出来ないのだ。
 やはり、自分の足でそこに行き、自分の目で見るしかないのである。

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その10)「お山参詣」の様変わり◇◇ 
       …「お山参詣」の真の目的は「ご来光遙拝」ではない。…(9)
(承前)

 「信州大学農学部森林学科」に学ぶ娘さんはF子さんという。…「よし、『お山参詣』の日であるが、この2つのことを大事にすると、私の数十年にわたる『偏屈な信念』など、簡単に『破棄』してしまおう」…と考えたのである。
 そして、その日、私は、F子さんと「山や森、草花や樹木」などの話しをしながら、実に気分がよく、楽しい登山が出来たのであった。
 ただ、残念だったことは「コナラとミズナラのドングリの違い」について、具体物を提示しての説明が出来なかったことであった。それは、赤倉登山道沿いに「コナラ」が発見出来なかったからだ。
 私だけが「楽しい登山」だったと言っておかしいだろう。当のF子さんはどう感じていたのだろうか。
 帰ってきてから直ぐに、「コナラのドングリ」についてメールを送った。その返事の中に、その日の登山の「感想」めいたものもあった。
 それを紹介して「その日の登山の様子」と「感想」のまとめとしたい。

 『昨日は、本当にありがとうございました。見たこともないほどきれいなブナ林や岩に感動し、興奮状態でした。
 (大学)サークルの山歩きではいつもすかすかと通り過ぎてしまい、花や木を説明してもらうような機会がありません。今回は花や石仏のことなど、様々教えていただけました。とても楽しかったです。
 今日のおかずはあのキノコでした。さもだしと舞茸のバター炒めにしたのですが、私は、生まれてこのかた、あんなにうまいきのこは食べたことがありませんでした。いただいたナイフは、一生使わせていただきます。本当にありがとうございました。』F子   (明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、28回・連続1000日達成まではあと、37日]

最新の画像もっと見る