(今日の写真、私はどこから、どこに立って岩木山を写したのか。手前の平坦で広く木々のまったくないところは「沼」である。だから、夏であれば「船」を浮かべてでなければ撮れない写真なのである。これは3月に写したものだ。場所を明かそう。「黒坊沼(くろんぼうぬま)」である。
ここは、聞くところによると「私有地」なのだそうだ。この上部にある「二子沼」を含めて岩木山には「沼」が2ヶ所しかない。もちろんもっと下部にあるものを入れると数は増えるがある程度の標高(400m)より「高い」場所と限定すれば、この「黒坊沼」と「二子沼」しかない。いずれも噴火と土石流による「堰き止め湖」である。岩木山の生成原因や生物の多様性を残している貴重な場所である。このような場所がどのような事情で「個人所有・私有地」となっているのか、不思議に思うと同時に、何と「もったいない」という思いを持つのである。
国や県が所有して「厳重」に管理することが出来なかったことに悔しい思いすら持つのだ。この「黒坊沼」も向かって左右が「畑地」となっている。畑地に「撒かれる」肥料や農薬の影響がないとは言い切れない。また、周囲の樹木の伐採も「黒坊沼」の生態系に「破壊」を迫っているかも知れない。
写真の説明をしよう。手前の樹木の生えている山が寄生火山の笹森山だ。気高く聳え、白く輝くのが山頂部である。右にたどって鞍部の見えるのが鳥の海噴火口の外輪岩稜であり、そのとなりに見えるのが鳥海山南稜の岩稜である。)
■■ 豊かな感性を磨く ■■
『母が言う。「麦踏みするか、いっしょに。」そう言われると子供というものはもう、いっぱしの役に立つと思いこむものだ。おさない麦の芽を地表をすってゆく風が震わせていた。丘の下を含めて麦畑の全景が、そのとき目にはいった。鮮烈な景色だった。美しく耕され、ととのえられた畝の中に、筋をつくってなだらかな曲線を描いている麦の芽の緑。わたしは神々しい命題を与えられた子供のような気持ちだった。
見上げると、ゆるやかな半円になった畑が稜線を描いている。その縁はけむるような黄金色だった。麦の葉先はとがるでもなく曲がるでもなくまじわりあって、一本一本の葉先に、霧を含んだような夕陽色の虹をつけていた。わたしは何かに深く触れたような気持ちになった。たとえて言えば、水の脈から今まさに生まれようとしている無数のおさない穀霊たちに逢っているような、そんな感じだった。それを地表に導き出しているのは沈んでゆく陽いさまにちがいなかった。光る霧はその葉先からかき失せていた。しかし、今ほんの一瞬の間に、何か壮大な、交霊のようなことが行われたのではないか。麦の芽はさっきよりしっとりした初々しい緑になっていた。
三年前、丘の畑にのぼってみた。何十年ぶりだったろうか。耕された大地の格調。今はいずこかに去ったそのことをどう伝えられるだろうか。』(注:かなり中略してある)
長い引用になったが、これは誰の文章だろう。じっくりと味わって欲しいと思う。何という優しさであろう。その上、なんと豊かな感性であろう。何という自分が生まれ育った「自然との共感能力」であろうか。
いつだったか、ある登山好きの女性に、「あなたは登山をとおしてどのようなことを学ぼうとしているのか」と訊いたことがあった。その女性は「いつまでも感動できる感性を磨くこと」だと答えてくれたのである。これは、自然と関わりを持とうとする人にとっては、すごく重要なことであろう。
「感性を磨くこと」を大切にするならば、この感性とは「共感能力である」と理解することと「他の生命と自己を等価ととらえること」に、心がけなければならないだろう。
冒頭に紹介したこの文章に描かれている世界は「生きとし生けるものが照応し、交感している世界」であって、そこでは人間は他の生命と入り交じった一つの存在に過ぎないものなのである。
大地の中で…麦、畝、霧、虹、水脈、穀霊、人は横並びで同等なのである。海…海水、魚、海草、それに漁民は同等なのである。
■■ 「丘の上の麦畑」ー水俣への土着の感性 ■■
この文章は、自分たちを絶対視・特別視して、他の人や他の生命を無視して有機水銀を流し続けて海を死なせ、漁民を死に追いやった「チッソ」首脳部に対して「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば呑んでもらおう。上から順々に四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。」と言う漁民に与して、戦った女性、石牟礼道子(いしむれみちこ)の作品「丘の上の麦畑」からの抜粋引用である。
石牟礼道子は「自然死でない場合、下層民たちの大部分の死はなぶり殺しであって法の下の平等はありえない。補償金などで命はあがなえない。命は絶対であって相対的な別な価値で相殺(そうさい)することは出来ない。だから眼には眼をなのだ。」と同態復讐法という倫理までを持ち出して、あの公害病の原点と言われる水俣病に激しく抗(あらが)い、患者には深い慈しみを持って戦ったのである。
一見、執念(しゅうね)く強靱(きょうじん)というイメージだけが強調される石牟礼道子である。
ところが、彼女の原風景はここ、「母が言う。「麦踏みするか、いっしょに。…」という文章」にあったのだ。それは優しさの何ものでもない。
それは彼女の「苦海浄土ーわが水俣病」「天の魚」「流民の都」「不知火海ー水俣・終りなきたたかい」などの作品に脈々と流れ、作品を確固たるものにしている。
ここは、聞くところによると「私有地」なのだそうだ。この上部にある「二子沼」を含めて岩木山には「沼」が2ヶ所しかない。もちろんもっと下部にあるものを入れると数は増えるがある程度の標高(400m)より「高い」場所と限定すれば、この「黒坊沼」と「二子沼」しかない。いずれも噴火と土石流による「堰き止め湖」である。岩木山の生成原因や生物の多様性を残している貴重な場所である。このような場所がどのような事情で「個人所有・私有地」となっているのか、不思議に思うと同時に、何と「もったいない」という思いを持つのである。
国や県が所有して「厳重」に管理することが出来なかったことに悔しい思いすら持つのだ。この「黒坊沼」も向かって左右が「畑地」となっている。畑地に「撒かれる」肥料や農薬の影響がないとは言い切れない。また、周囲の樹木の伐採も「黒坊沼」の生態系に「破壊」を迫っているかも知れない。
写真の説明をしよう。手前の樹木の生えている山が寄生火山の笹森山だ。気高く聳え、白く輝くのが山頂部である。右にたどって鞍部の見えるのが鳥の海噴火口の外輪岩稜であり、そのとなりに見えるのが鳥海山南稜の岩稜である。)
■■ 豊かな感性を磨く ■■
『母が言う。「麦踏みするか、いっしょに。」そう言われると子供というものはもう、いっぱしの役に立つと思いこむものだ。おさない麦の芽を地表をすってゆく風が震わせていた。丘の下を含めて麦畑の全景が、そのとき目にはいった。鮮烈な景色だった。美しく耕され、ととのえられた畝の中に、筋をつくってなだらかな曲線を描いている麦の芽の緑。わたしは神々しい命題を与えられた子供のような気持ちだった。
見上げると、ゆるやかな半円になった畑が稜線を描いている。その縁はけむるような黄金色だった。麦の葉先はとがるでもなく曲がるでもなくまじわりあって、一本一本の葉先に、霧を含んだような夕陽色の虹をつけていた。わたしは何かに深く触れたような気持ちになった。たとえて言えば、水の脈から今まさに生まれようとしている無数のおさない穀霊たちに逢っているような、そんな感じだった。それを地表に導き出しているのは沈んでゆく陽いさまにちがいなかった。光る霧はその葉先からかき失せていた。しかし、今ほんの一瞬の間に、何か壮大な、交霊のようなことが行われたのではないか。麦の芽はさっきよりしっとりした初々しい緑になっていた。
三年前、丘の畑にのぼってみた。何十年ぶりだったろうか。耕された大地の格調。今はいずこかに去ったそのことをどう伝えられるだろうか。』(注:かなり中略してある)
長い引用になったが、これは誰の文章だろう。じっくりと味わって欲しいと思う。何という優しさであろう。その上、なんと豊かな感性であろう。何という自分が生まれ育った「自然との共感能力」であろうか。
いつだったか、ある登山好きの女性に、「あなたは登山をとおしてどのようなことを学ぼうとしているのか」と訊いたことがあった。その女性は「いつまでも感動できる感性を磨くこと」だと答えてくれたのである。これは、自然と関わりを持とうとする人にとっては、すごく重要なことであろう。
「感性を磨くこと」を大切にするならば、この感性とは「共感能力である」と理解することと「他の生命と自己を等価ととらえること」に、心がけなければならないだろう。
冒頭に紹介したこの文章に描かれている世界は「生きとし生けるものが照応し、交感している世界」であって、そこでは人間は他の生命と入り交じった一つの存在に過ぎないものなのである。
大地の中で…麦、畝、霧、虹、水脈、穀霊、人は横並びで同等なのである。海…海水、魚、海草、それに漁民は同等なのである。
■■ 「丘の上の麦畑」ー水俣への土着の感性 ■■
この文章は、自分たちを絶対視・特別視して、他の人や他の生命を無視して有機水銀を流し続けて海を死なせ、漁民を死に追いやった「チッソ」首脳部に対して「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば呑んでもらおう。上から順々に四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。」と言う漁民に与して、戦った女性、石牟礼道子(いしむれみちこ)の作品「丘の上の麦畑」からの抜粋引用である。
石牟礼道子は「自然死でない場合、下層民たちの大部分の死はなぶり殺しであって法の下の平等はありえない。補償金などで命はあがなえない。命は絶対であって相対的な別な価値で相殺(そうさい)することは出来ない。だから眼には眼をなのだ。」と同態復讐法という倫理までを持ち出して、あの公害病の原点と言われる水俣病に激しく抗(あらが)い、患者には深い慈しみを持って戦ったのである。
一見、執念(しゅうね)く強靱(きょうじん)というイメージだけが強調される石牟礼道子である。
ところが、彼女の原風景はここ、「母が言う。「麦踏みするか、いっしょに。…」という文章」にあったのだ。それは優しさの何ものでもない。
それは彼女の「苦海浄土ーわが水俣病」「天の魚」「流民の都」「不知火海ー水俣・終りなきたたかい」などの作品に脈々と流れ、作品を確固たるものにしている。