岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山を見ることの出来る幸せ…あなたには毎日岩木山が見えているか (4)

2008-12-01 05:40:39 | Weblog
(昨日の夕方から小雪が舞っていたので、今朝は一面雪景色かと思って外を見たら、地肌が見えていた。積もらなかったのである。
 そういう訳でもないが、今朝の写真は雪に覆われた岩木山だ。これは3月に三世寺辺りから写したものである。雲は多いものの晴れていた。だが、北西の風は強く冷たかった。田んぼの中の一本の木、この距離だと芽吹きも見えず、まだ冬である。
 だが、日射しは高く、明るくすでに「春」であった。)

 今日から12月だ。陰暦の異称では「師走(しわす)」である。別に「極月(ごくげつ)」とも言い、季語としては「冬」である。今日から「冬」なのである。
 何故、12月に「師走」という漢字を当てたのか、どうして「師+走」で「しわす」と読むのか。落語で使われそうな「師が走る」「先生が走り回る」という字義からの意味はなさそうである。いずれも、国語大辞典(小学館)によると語源未詳とある。
 語源未詳の割には慣用句が多い。例えば、「師走油」(師走に油をこぼすと、火にたたるといってこぼした者に水をかけて呪ったこと)、「師走狐」(師走の頃の狐。その鳴き声がこんこんと特に冴えて聞こえるということの譬え)などがある。
 他に、「師走比丘尼(びくに)」(落ちぶれてみすぼらしい様子をした尼僧)もあるが、これと大体意味を同じくするものには「師走坊主」や「師走浪人」などがある。
 どうも、「師走」には「落ちぶれる」や「みすぼらしい」という意味もあるようだ。勝手に造語をして「師走男」とした場合、それはきっと私のことだろう。こんなのはどうだろう。「師走政党」としたら、今の日本では何党になるだろうか。

◆◆ 『毎日新聞「東京版の夕刊」「しあわせのトンボ」』「夕の祈り」は何を語る(その4)◆◆

(承前)
 「しあわせのトンボ」-「夕の祈り」は続く…。…心に「山」を存在させるという意味についての言及…

 何事もないかのように超然として屹立する富士山の大きな姿…城山三郎の「その思いで生きたいものです」との添え書き。彼の言う「その思い」とは「富士山のように超然として生きたい」ということであろう。
 彼は「心に富士山を存在させていた」のである。それは富士山への畏敬(いけい)の念であり、同時に「何事もない不変・不動と永遠性」の具象である「穏やか」さのない、今の世の中を暗に示唆(しさ)していたのである。

 …「江戸の人々が六根清浄を唱えつつ山頂を目指したのは、霊峰への信仰心からだ」という。
 そして、津軽の農民たちが「サイギサイギ」を唱えて御山参詣をしたのは五穀豊穣への祈願と御山の恵みへの感謝、それに、「岩木山で暮らす」自分たちのご先祖様の霊を慰めるためである。最近はこの「習俗」もすっかり廃れた。
 また、…「(江戸の)町から富士を仰ぎ見ては、日々の仕事にいそしんでいたことだろう」という。
 津軽の農民は、毎日岩木山と向き合い語ったのである。稲刈りが終わる。初冠雪も近い。雪が降り積もる前に「収穫」を終えねばならぬ。日ましに北西からの季節風が冷たく吹きすさぶ。岩木山の見えない日が多くなる。だが、農民たちは心の中で岩木山と語る。
 「今年もお世話になりました」、「この冬も来年ちょうどいい水加減の雪を降らせて下さい」、「堆肥を運ぶ時に馬や牛がぬからない雪を降らして下さい」「吹き溜まりのあまりない冬にして下さい」と。
 脱穀と稻わら作業は納屋でする。暗くて灰色がかった空、ゴーゴーと唸る吹雪の日が続く。納屋の中でも作業の手はかじかんでしまう。寒い寒い厳冬の頃だ。
 その作業をしながら、また、語るのだ。「春は早いでしょうか。それとも遅くなりますか」「今年の雪解けはどうでしょうか」「堆肥を入れるのはいつごろでしょうか」「そろそろ水路の整備を始めていいだろうか」などと。

 やがて、空には明るさが戻り、冬と春の日射しが周期的に巡ってくる。そして、雪解けが始まる。冷たい風と高い日射しの中で、岩木山には「雪形」が現れる。
 大沢の上部と鳥海山にかけて「山羊」が現れる。後長根沢源頭付近から、駆け下りる「ウサギ」の雪形が現れる。「おお、今年も去年と同じ大きさだ。これで夏の水涸れの心配はない」と語るのだ。
 田んぼでは畦の補修が始まる。水路の確認が始まる。田んぼからはすっかりと雪が消える。田んぼの表面は積雪の下で、「ハタネズミ」などによってかなり「耕されて」いる。歩くと「足一つ」くらいが「埋まる」ほどにふかふかと耕されている。残されている稻わらも、ネズミに噛みちぎられていて、立派な堆肥になっている。これはネズミたちの巣穴と通路造営の賜である。
 いよいよ、田起こしの準備だ。今年の本格的な農作業が始まる。
田を打ちながら、田植えをしながら、稲刈りをしながら、これらはすべて腰を曲げながら作業である。この姿勢での長い時間の作業は辛い。激しい腰の「痛み」を和らげようと、立ち上がるその時に、いつも目の前に岩木山がある。
 腰を伸ばしながら「岩木山」を見る。その時の岩木山は「御山」であり、「御岩木山」という「神山」であり、優しく微笑む「お岩木さん」という人格をもった存在に変わるのである。
 だが、「岩木山」はただの一言も語らない。いくら語りかけても返事はない。それでいいのだ。…津軽の人にとって岩木山は、そこに「在る」ことで十分なのである。
…「日本人の勤勉さや正直といったものも、富士信仰とともに培われた面があるのではなかろうか」と…「しあわせのトンボ」の「夕の祈り」では言う。
 であるならば、津軽人の「勤勉さや正直といったものも、岩木山への信仰とともに培われた面がある」とも言えそうである。
 だが、その逆に、現代の「岩木山信仰」が希薄であるならば、「勤勉さや正直」も失われているということにもなる。山は「勤勉さや正直」までを左右する存在なのである。(この稿は明日に続く。)

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