岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山を見ることの出来る幸せ…あなたには毎日岩木山が見えているか (5)

2008-12-02 05:33:04 | Weblog
(鰺ヶ沢町に近い弘前市大森地区に巌鬼山(がんきさん)神社というのがある。樹齢1000年を越えていると思われる大きな杉が神社境内に生えている。
 「巌鬼山(がんきさん)」は「いわきやま」と読むことも可能だ。百沢にある「岩木山神社」と読み方は同じになる。この名称のいわれやら、百沢にある「岩木山神社」との関わりについて書き出すと長くなるので今朝は止めよう。
 ただ言えることは、「岩木山神社」は、この「巌鬼山神社」や赤倉神社よりも後世になってから建立されたということである。「岩木山神社」は江戸時代に、他の二者はそれ以前から地域住民の信仰を集めていたのだ。
 「巌鬼山神社」の前を通り、山麓を上に登っていったところから写したのが今朝の写真だ。
 左から順に説明をしよう。左の稜線が大黒沢の左岸尾根である。その下部の樹木の生えている尾根が八森沢の尾根で、その下の長い尾根が「赤倉登山道」を持つ尾根となる。
 真っ正面に見える大きな沢が赤倉沢であり、その先端部には切れ戸も見える。昔、修験者たちは赤倉沢を詰めてから、左岸尾根にとりついて、崖「沢中部の右側に見える黒い部分」をよじ登って、大鳴沢右岸稜線の谷側を巻いて切れ戸を辿って、赤倉御殿に出ていた。
 赤倉沢の右側の少し大きめな沢は白狐沢である。数年前まではこの左岸稜線にとりついて、扇の金目山を経て、烏帽子岳を経て修験者の道と合流するルートがあったのだが、今はその面影すらない。登りとなれば積雪期しかできない「ルート」になってしまった。)

 ◆◆ 『毎日新聞「東京版の夕刊」「しあわせのトンボ」』「夕の祈り」は何を語る(その5)◆◆
(承前)
 「しあわせのトンボ」-「夕の祈り」は続く…。

 『その日の夕方、わが家から西の空に富士山が見えた。赤みを帯びて切り絵のように浮かび上がった秀麗な姿には、何かしら手を合わせたいような思いにかられた。そして藤沢周平氏のエッセー「夕の祈り」の一節を思い出していた。
 散歩の時、藤沢氏は学校の屋上のスピーカーが子供たちの帰宅を促し「明日もまた、すばらしい一日でありますように」と告げる女性の声を聞いて胸を熱くするのだが、その胸中をこう書いている。
 <未来がはたして人間をしあわせにするかどうかを、老いた私は見届けることが出来ず、出来るのは子供たちの明日を祈ることだけだ……>
 21世紀になってろくなことはない。テロ、戦争、恐慌、そして凶行……国の内外は暗く包み込まれ、人の命はいとも簡単に奪われている。容疑者が捕まってうそぶくのである。「誰でもよかった」。「元次官ら10人を狙った」などと言う男の存在にも底知れぬ不気味さを覚える。
 藤沢氏のエッセーは20年も前のものだが、ぼくの中で「夕の祈り」は深まるばかりである。』

 弘前市の旧市街地からだと「その日の夕方、わが家から西の空に富士山(岩木山)が見えた」という表現は出来るが、何せ東から西にある岩木山を見ることになるので「西の夕日を直射として浴びて輝く岩木山」を見ることは出来ない。
 東京から見える富士山は、この逆で「北西から南東」を見ることになるので、この「富士山」は夕日の「直射」を受けて輝く。
 太陽高度の高い時季の夕日を浴びる岩木山は「夕日」を背にする「背光」である。それは「後光」を背にする仏に似ている。
 それは少し黒ずんで霞み、落ち着いた幽玄と神秘性を漂わせるのである。まさに、お城の在る弘前市街地からの「津軽富士」は「西方浄土」の名にふさわしく、自分の死後、魂が行き着く場所としていいのである。
 「赤みを帯びて切り絵のように浮かび上がった秀麗な姿には、何かしら手を合わせたいような思いにかられた」と「しあわせのトンボ」子は言うが、これは津軽人にも共通する感慨である。
 太陽高度が低くなる冬季、岩木山は横向きに夕日を直接浴びる時がある。冬の晴れた日の午後3時過ぎに、それは見られる。これは白銀に紅く輝く。これもいい。合掌したくなるが、やはり、夏場の「背光」にはかなわない。
 冬場は、何と言っても「朝焼け」に輝く「岩木山」だ。6時半過ぎに東から登る低い太陽の「直射」を浴びる。寒い朝、放射冷却で氷点下10度を下回るような朝がいい。ただ、紅く輝く時間は短い。太陽が昇るに従い、紅色は薄れていく。合掌しながら、薄れいく色彩に涙を流すこともあるのだ。
 そのような時、私は藤沢周平のエッセーにあるように「明日もまた、すばらしい一日でありますように」と祈り、藤沢周平が言う「未来がはたして人間をしあわせにするかどうかを、老いた私は見届けることが出来ず、出来るのは子供たちの明日を祈ることだけだ」を思うのである。
 否、これは私だけではあるまい。自分の心に「山」を持っている人は何らかの形で祈っているだろう。津軽の多くの人たちも祈っているはずである。

 祈る心を持っていたら、祈り語りかけ、向き合って反省する「山」を持っていたら「誰でもよかった」などとはどうして言えようか。
 2008年6月8日の午後、東京・秋葉原の電気街で、赤信号を無視して突っ込んできたトラックに横断者がはねられ、降りてきた運転手に通行人がサバイバルナイフで次々と刺された事件で、17人が負傷し、武藤舞さん(21歳)ら男女7人が死亡した。
 現行犯逮捕された加藤智大(25)は「生活に疲れ、世の中がいやになった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」などと言ったのである。加藤は青森市出身である。八甲田山や東岳を眺めながら育ったであろう。どうして、いつの間に「山」を捨ててしまったのであろう。
 政治家だけの責任にする気はないが、このような事件が立て続けに起こるのだが、日本という国を預かっている政治家、特に政府・与党はこれらへの対処を全くしない。何も考えていないように思える。政治家もまた、自分の「山」を見失っているのだろうか。政治家諸君にも「夕の祈り」を深めてもらわねばならない時だ。
                       (この稿は今回で終わる)

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