岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

登山とは自主的に個性的に自己実現をする手段の1つ…

2007-07-16 06:01:07 | Weblog

 早稲田大学山岳部はヒマラヤのK2西壁初登頂を果たすなど学生山岳界をリードしてきた名門である。その歴史は古く、今年で創部86~87年を迎えるらしい。この歴史から見ると、3人寄れば山岳会(3額会)といわれる、そんじょそこいらの「山岳会」とは「別格」に扱わねばならないだろう。
 ところが、この名門大学山岳部も、ご多分にもれず、部員不足に悩んでいるらしい。当たり前である。日本の山岳界(こう呼んでいいかはかなり悩むところだが)を支えているのは、多くの「中高年」である。私が大学生だった頃は、山で中高年や老年世代と出合うことは非常に希であった。ところが、今は「中高年」や「老年」登山客の数珠つなぎである。

 次の話しは4、5年前のことだ。…
 名門早稲田大学山岳部の部員は全部で5人。渡辺佳苗さんは初の女性主将である。初めての海外遠征は2年生の時、中国の雪宝頂(5588m)。
 関東の学生と中国の学生が隊を組んで、登頂に成功したという。その時の基本スタンスは「自分のことは自分でするということ。」でしたと語っている。
 ある年の夏に、部員全員5名と60歳を越すOBたちと一緒に、「創部80周年記念登山」として、中国崑崙山脈の未踏峰チョンムスターグ(6962m)遠征に1ヶ月に渡って参加したそうだ。

 その経験を踏まえて、渡辺佳苗さんは『いい意味で突き放された。これまでの登山が「連れていってもらうだけのもの」だったということが分かりました。自分の関わり方で山は変わるんだ。』と自信を込めて語っている。
 計画から実行動まで、自分で考え、自分の手と足で実践すると感動もまた、ひとしおだったという。
 山の道具で初めて買ったのが「登山靴」。これはセオリーどおりである。外形的な「格好」からは入っていない。そこで、「こんなごっつい靴で登るのか。」と驚く。トレーニング理論を学ぶ。しかし、「集団で量をこなすやり方」から「自主トレーニング」に変えた。一方で、「みんなで話し合うスタイル」を求め、話し合いを大切にした。その結果、「山の登り方、山に対する思いなんかを、語り合える雰囲気が出てきた。」という。「大学生」という比較的自由な時間がとれる者たちでさえ、「自主トレーニング」を重視している。
 登山は自助努力の世界だ。自助の精神は「その人に適ったもの」である。自助を支えるトレーニングも当然、自主的であるべきだ。そして、何よりも個性が尊重されるものでなければいけない。

 私が所属する山岳会でも、「海外遠征登山」を計画した。その時のリーダーのスタンスは「参加者全員、なんでも一緒に」ということだった。同じ時間に、同じ場所に集合して、同じルートを登り、走りトレーニングをする。1つところに、集まって学習をする、山域の研究をする。これは、まず時間的に無理だった。なぜならば、参加者は全員、社会人であり、それぞれ仕事を持っていた。しかも、仕事は多種多様で、とれる時間帯にも、ばらつきがあり「まとまる」ことには無理があった。
 私はリーダーに「なぜ、一緒にすることにこだわるのか。せめて、体力トレーニングだけは個人に任せる自主トレーニングでいいのではないか。仕事を持ちながらという状況を考えると無理があるだろう。」と訊いた。
 リーダーは言う。「パーテーを組んでの登山行動にはまとまりが必要だ。実際の登山行動の前から、このまとまりを築いておくことが肝要なのだ。」と。
 組織にあって「まとまり」が強調される時、そこには、その組織の「長」などの意向が強く反映しているものだ。つまり、その「長」などの「言うこと」に従順になれと言っているに過ぎないのである。「お仕着せ」でもってまとめ上げる行為に似ている。「リーダーや何とか長」にとっては「やりやすい」方法である。
 「自主」や「個性」は、まとまりある集団や組織、または、まとめていくことからすれば、不都合極まりないものであり、出来るならば「ない」方がいいものなのである。「自主性」や「個性」のないメンバーをたばねることは簡単である。何でも「はい」のイエスマンだけになるからだ。
 組織内にこのような「動き」が出てきたら、そこでは「民主性」の形骸化が始まっていると考えていいだろう。だが、その時には、残念ながら、私以外のメンバーからは「リーダー」の方針に対する疑義や反論は出なかった。すでに、「イエスマン」集団になりつつあったのだろう。
 私は、自分の仕事の都合に合わせて、それまでの「日常」どおりのトレーニングを続けた。実はその年の1年前に、7500mの山にも登っていた。「雪盲」という憂き目に遭ったが、岩木山に登る感覚で「楽に」登ることが出来た。自分がこれまでしてきたトレーニングと体力には自信があった。
 結果的に私は、パーテーとして「まとまり」を欠く人物として、その山岳会で「初めて」の「海外遠征登山」メンバーから除外された。メンバー全員で、そのように決めたと聞かされたが、その実は、リーダーが自分の考え通りにことを進めるためには「私の存在が邪魔」になっただけだろう。そして、私を「切った」に過ぎない。しかし、「みんなでまとまって」を演出するには「みんなで決めた」というしかなかったのだ。

 渡辺佳苗さんは言う。
「登山とは登頂だけが目的ではなく自己実現手段のひとつ。自分が満足するだけじゃなくて、山で得たことを、何らかの形で他の人たちにも伝えたい。登りはきついけどしっかり歩いている時は気持ちがいい。途中で振り返ると、ああ、こんなに歩いてきたんだなあって、たまりません。」
 今の私は、この渡辺佳苗さんの言葉をひっそりと噛みしめている。