岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

熊除け鈴の「垂れ流し」

2007-07-02 04:57:14 | Weblog
 あの鈴、(中には小さな「鐘」を思わせるような代物もある)の音は「騒音」である。私はあの「音」を聞きたくないから、夏場は出来るだけ「人通り」のない登山道を選んで、登っている。
 八甲田山の「赤倉から大岳間の稜線」や岩木山の「リフト終点から山頂」までは、まさに地獄の一丁目ならず、「地獄」そのものである。

 人通りの多い尾根筋のメイン道路をチン、チン、チリリン、チリリン、カラン、カランと「熊除け鈴の垂れ流し」が通っていく。1人だろうが、2人だろうが、時には「集団」全員が着けて、騒音を垂れ流しながら、静かな尾根や稜線に「騒音」をばらまいて行く。
 電車やバスの中でまで「鳴らして」いることもあるので、「山」も「里社会」も同じ、味噌も糞も同じで、その区別さえ付けられない御仁も相当数いる。
 名称から分かるように、この「鈴」は道具である。その機能は名称にしっかりと込められているのに、このような人たちは、機能すなわち、この道具の目的と使い方が分からないのである。
 はっきり言おう。「熊がいる、またはいそうな場所以外では鳴らすな。」
 こういう人たちにとって、登山者として完成されたいでたちに「熊除け鈴」は必携なのである。これを着けないと「登山者(いやご本人は登山家と思っているかも知れないが・・・)」と誰も見てくれないし、思ってくれない。だから私は絶対にこの鈴を離さないとでも考えてのことだろう。これも真似、模倣の産物だ。
 熊除け鈴とは、その音を熊に聴かせて、熊に自分を早く発見してもらうためのものであって、人に聴かせるものではない。
 多人数で登ったり、熊がいそうもないところでも「鳴らし続けること」は、騒音以外の何物でもない。そんなところではザックの中にしまうことが、カスタマイズドするということだ。カスタマイズドとは必要でない物や機能、自分の個性化に不要なものは省く思想である。
 道具にはすべて機能があって、私たちはそれを必要な時に、必要な場所で使用する。

 音こそ出さないが、この「機能」をまったく理解していない登山客に、よく見られる物に「スパッツ」がある。スパッツはトータルされた登山のための服装具ではないのである。
 登山者の中にはスパッツをつけることも一般的に「トータルされた登山者の服装具」の一つと考えている者もいるようだ。外観・外形から入ると当然そうなるだろう。
少し考えると誰にも分かることだから、それは釈迦に説法、スパッツの機能とは何かについてはここでは書かない。
 ただ、この機能は非常に限られているものであり、他の物がその代用をしてくれるものでもあるとだけ言っておこう。
 私のザックにはいつもスパッツは入っているが、それこそ限られた一時期や一場所でしか使うことがない。だから、「消耗品」であると思っている割には、「消耗」することもなく、かつて、7000mの海外登山中に、アイゼンの爪でかぎ裂きした部分を繕ってその後の数年間、同じものを使っている。
 登山客の多い、踏み固められた縦走路などではまったく必要のないものだ。それでも、しっかりと長いスパッツをいかめしく着けて、「暑さにもめげず」「足の蒸れにも耐えて」歩いている者は結構いるのである。
 「カスタマイズド」からは縁遠い登山客たちである。何故こうなるのか。
 それは「登山の装備や用具」の機能について理解せず、ただ他の登山客の外形を真似したり、山岳雑誌のグラビアからの切り抜きを自分に重ねているに過ぎないからだ。