岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

登山には明快な「労働」が存在する

2007-07-09 10:56:17 | Weblog
 登山は所詮、「遊び」である。しかも、時と場所によっては、まさに、命がけの「遊び」となる。多くの登山客や登山者に欠けている認識がこれであろう。高い山だろうが低い山だろうが、里山だろうが、安全膜に庇護された日常的な都市生活の感覚が通用しない局面に出合うものである。
 登山客や登山者が、「山」を都市生活の延長線上で捉えたり、「都市生活やその生活感覚」のままで「山」に入ったり、登ったりすることは、「危険」を抱き、「危険」を背負っているということに等しい。このような感覚でなく、「山」を異質の世界と捉えていても、「危険」は同様にあるのである。登山における楽しさや達成感の一部には、この「危険」という因子が深く作用している。100%の安全が保証された「登山」ほど、楽しくないものはない。

一方で、「登山」には激しい肉体的な疲れを伴うものという典型的な労働性が内在している。
 最近の仕事の多くは、どうしても「額に汗して働くという労働の明快さ」を与えてくれない。機械や電子機器に頼った労働は、働けば働くほど労働の形を見失っていく。文明の発展は私たちから、「労働の形」をも奪ってしまったのだ。それを「奪還」するために、快い汗を求めて知らず知らずに「登山」に向かっているような登山者もいるはずである。

 次に3つのルートを示そう。この3つのルートでどれがもっとも、私たちに「労働の明快さ」を与え、「自己防御的な険しい行動」をとらせ、「幻想の世界」に誘い、「原始的な感性」を育ませるものであろうか。
1.自動車道路やロープウエイによって引き上げられた登山口から、登山道を辿り山頂に行く。
2.麓から草原、樹林帯、沢筋を登ってできるだけ山の奥深くまで分け入り、そこから樹林帯や尾根を登って山頂に行く。
3.麓から分水としての沢を遡(さかのぼ)って、徹底してそれを詰めて山の奥深く高いところに至り、そこから急登を直登して山頂に行く。

 もちろん、3.の沢や峪を這い回り、源頭に至り山頂に直登するという時であろう。この時、人の心には抑圧された原始的な感覚が蘇る。その分、頂上に達した安堵感は人々の心を解放し、日常の生活とは異質な体験であることを自覚させる。そのような鮮やかな体験が日常の生活の有り様を相対化させてくれることにもなるのである。
 岩木山に拘(こだわ)っている私だが、ここ数年岩木山の沢登りから遠ざかっている。特に大鳴沢の遡行は、20代の後半から30代の前半にかけて数度行って以来、皆無である。記憶も定かでない。
 昨年、下山してきた弘前大学の二人の女子学生に錫杖清水で会った。大きなザックを背負っていた。岩木山では滅多に会えない「いでたち」だったので、ピンときた。
 そこで、訊いた。
「昨日から沢にでも入って、こっちに越えて来たのですか。」
「大鳴沢を詰めたんですが、上のところで右の沢に入ってしまい、猛烈な藪こぎを強いられてしまいました。山頂小屋に泊まるつもりが、藪の中でビバークでした。」
彼女たちは、日常生活では絶対に味わえない異質な感性的な空間を、自分のものとして確実に手にしたのである。これで日常の自分がより鮮明に見えるようになるだろうと思ったら、凄く羨ましい気分になった。
 一方で好ましい感情も湧き上がり、頼もしくも「可愛い子供たち」だと思った。
「よく頑張りましたね。いい経験をしたと思います。あそこの分岐は間違いやすいところです。」(不鮮明な記憶をたどりながら必死になって答えていた。)
「やっぱりそうなんですか。…いい記念になりました。今年で卒業ですから。」

 私は二人と「ありがとう」を交わし、握手をして別れた。柔らかく、暖かい手であったが、力強い手でもあった。
 最近よく、これからは「岩木山」だけに拘らず、白神山地など沢や峪を這い回る山行を、どんどん増やしていきたいと考えることがある。しかし、なかなか実行に移せないでいるのが現状である。
 「沢や峪を這い回る山行」にこそ「山に行く心」の原点があるように思えてならないからだ。沢登りは、私たちの「日常」の有り様を相対化させてくれるものの原点であろう。 
 さらに言えば、「沢登り」は、日本人の登山形態・様式から見ると「個性的な原風景」でもある。
 今日の登山形態・様式の中で、沢登りには文明の過剰から来るものが比較的に少ない。登攀用のザイルやカラビナなどに「文明」を見ることは出来るが、沢登り自体、日本古来からのものである。また、沢登りは日本独自のもので、国際性が薄く均等・均質化されていないものでもある。
 なお、文明的な要素が少ない沢登りには、いかんなく「自助努力」が求められるということを肝に銘じるべきである。