若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

信州を旅するーその3-北国街道・小諸宿と小諸城址・懐古園

2017年10月15日 | 旅行


9月26日(火)湯田中温泉「よろずや」をチェックアウトした私たちは9時24分湯田中駅発の長野電鉄に乗り、長野駅で「しなの鉄道」に乗り換えて、小諸駅には11時49分に到着です。

駅前から東に向かって歩き、相生町の「亀や」という蕎麦屋で昼食後、北国街道の「商家の町並み」を目指しました。



北国街道に行く途中、右手には「亀や」のおかみさんが教えてくれた「藤村の井戸」がありました。

明治32年に小諸義塾の教師として小諸に暮らした島崎藤村夫妻が、毎日、水を汲みに来た井戸です。

お嬢さん育ちであった冬子夫人が、手拭いを頭にかぶり着物を尻っぱしょりをして、つるべ井戸から水を汲み、手桶をさげて持ち帰る姿を近所の人は毎日見ていました。

冬子さんも、近所の人と井戸端会議の輪に入っていたということです。



いよいよ北国街道へ入りました。

北国街道沿いの本町や荒町、与良町は”商都”と言われ、小諸の代表的商家が軒を連ねていました。

「そば七」は、200年前の江戸時代に北国街道小諸宿の脇本陣代として建てられた建物です。

浅間山麓で栽培したそば粉のみを石臼で挽き純手打ちにした二八そばだそうです。



街道沿いを東に歩きます。

「萬屋骨董店店舗兼主屋(旧小諸銀行)」は「袖うだつ」が建つ、黒漆喰造りの建物で営んでいる骨董品店です。

この建物は旧小諸銀行(明治14年設立)の社屋です。

北国街道小諸宿・本町通りほぼ中央に位置するこの建物は、当時の小諸商人の心意気と繁栄を偲ばせる貴重な歴史的遺産で、平成19年に国の登録有形文化財に指定されました。



「大塚味噌醤油店」は明治20年(1880)に創業した老舗醸造店で味噌漬けの名店としても知られ、主屋(店舗)が江戸時代後期、袖蔵(そでぐら)が明治時代に建てられた建物です。

この店の袖蔵には、黒い漆喰の立派な看板がつくられています(鏝絵 (こてえ)という)。

昔の左官屋にとっては、このような鏝(こて)の技が腕の見せどころでした。



「つたや旅館」は創業300年を超える老舗旅館で、太平洋戦争中には高浜虚子が疎開で逗留したことでも知られています。

現在の建物は大正年間に旧小諸銀行を模して建てられたもので、現在は旅館業を廃業し、「ギャラリーつたや」として活用され、高浜虚子が使用した部屋も保存されています。



「光岳寺」は小諸宿を貫く北国街道が東西から南北に折れる角に位置しています。

徳川家康の母、於大の方(おだいのかた)を祀っています。

街道に面して立つ山門は元小諸城の足柄門を移築したものです。

正面両側の柱に小さな屋根を持つ高麗門です。



北国街道をUターンして「そば七」まで戻り、今度は街道沿いを西に歩きます。

「大塚魚店旧店舗兼主屋」は江戸後期建築と推定される建物で、母屋の一部は海産物問屋を営んでいた昭和の時代に改築され、鉄筋コンクリート造となっています。

平成22年に国登録有形文化財(建築物)。



「ほんまち町屋館」は昭和40年代まで味噌・醤油の醸造業を営んでいた旧清水屋を、商家の造りをそのままに活かし、会議や展示、イベントなど多目的に利用できる施設として整備したものです。

裏庭の「みはらし庭」から見る浅間山、北アルプスは絶景だそうです。



本町交差点を左に折れて国道141号線を歩き、ほどなく右に折れると、「小諸城大手門」です。

小諸城の城郭配置からすれば、小諸城の表玄関(正門〉にあたります。

慶長17年(1612)仙石秀久が築いた、実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築の一つです。【国指定重要文化財】

平成の大修理を終え、仙石秀久創建当時の姿に甦りました。



本町の交差点に戻り、北国街道を西に歩くと、右手には小諸宿の重要な建物が続きます。

「粂屋」は旧脇本陣の建物で、小諸宿で一番の人気の旅籠でした。

脇本陣は本陣を利用できなかった格式の高い人物が休息や宿泊で利用する公的な施設です。

向って左側が身分の高い人物が利用する場所で向って右側は普段は旅籠として営業されていました。

江戸時代後期の脇本陣の遺構として貴重な存在です。



「山謙酒造」は幕末に、宿場の問屋として建てられたと伝えられています。

切妻造・妻入りの正面外観が印象的な建物で、店に入ると、問屋場の作りを見ることができます。

裏通りをはさんで格式のある門の中に、古い酒蔵が並んでいます。



「旧小諸本陣」は小諸宿の本陣兼問屋場として使用されていた旧上田家住宅です。

問屋(問屋場)とは馬の継立、御用旅宿の手配をはじめとする宿駅業務を取り扱う施設です。

現存する問屋場建築は全国にわずか2棟しかなく、その希少価値などから主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。



しなの鉄道の線路を渡って、小諸駅方面に向かって歩くと、いよいよ「懐古園」に到着です。

「懐古園」は、小諸城址に残る「三の門」から本丸に至る城の中核部分が、公園として整備されたものです。



苔むした野面石積の石垣、樹齢500年といわれるケヤキ、切り立った崖、千曲川の流れ、その中で毎年再生する草花など、四季折々の風情が楽しめる公園です。



懐古園内、黒門橋を過ぎて右手奥にあるのが「藤村記念館」です。

建物は日本最高峰の建築家、谷口吉郎氏の設計によるものです。

島崎藤村が小諸にやってきたのは明治32年のことです。

以降、小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」が起稿されました。

藤村記念館には、藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されています。



酔月橋を右に、あずま屋を左に見て直進すると、自筆を彫刻した「千曲川旅情のうた」詩碑が涼しげに建っています。

”小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ 緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず若草も藉くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡邊 日に溶けて淡雪流る”



詩を読み、記念撮影をしてから「水の手展望台」へ。

崖の下には、信州を潤し、藤村が愛した清らかな流れの千曲川がとうとうと流れていました。


以上で一泊二日の信州旅行を終えた私たちは、小諸駅発14時51分の小海線で佐久平まで行き、佐久平駅発15時46分の「あさま622号」に乗り込み、我が家へと向かいました。


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