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若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

東京ディズニーシー・・・個性豊な7つのテーマポート

2010年10月09日 | 電車でおでかけ



10月7日(木)妻と二人で東京ディズニーシーに行ってきました。

9月末で38年間のサラリーマン生活を終えた私は、妻との第一の約束である東京ディズニーランドへ行くことにしました。

千葉と言っても東京駅からJR京葉線で約15分の舞浜駅で下車と意外に近い距離でした。





ディズニーシープラザから「ハロウィーン2010」の横断幕の下をくぐると「メディテレーニアンハーバー」(ロマンチックな南ヨーロッパの港町)です。





早速、ショーが始まりました。





開園して間もない平日の午前9時過ぎなのに、もうこの人だかりです。

女性が圧倒的に多く、8割ぐらいかな。





「ポートディスカバリー」(時空を超えた未来のマリーナ)では、突然方向を変えたり、くるくる回ったり、どこに進むかわからない、ドキドキのウォータービークルという丸いボートに妻と二人で乗って、まるで35年前にもどったような、はしゃぎようでした。





蒸気船「トランジットスチーマーライン」が東京ディズニーシーをゆったりと一周しています。





「ロストリバーデルタ」(中央アメリカの失われた古代文明)では燃え上がる炎、立ち込める蒸気…。

古代神をまつった遺跡の発掘現場で、数々の異常な現象が!

その中をジェットコースターが駆け抜けるアトラクションが大人気ですが、私は昔からこの手の乗り物が苦手なので遠慮させてもらいました。






「アラビアンコースト」(魔法と神秘に包まれたアラビアンナイトの世界)では、魔法のランプの力を手に入れた意地悪マジシャンがマジックショーを見せてくれたあと、船乗りシンドバッドとの冒険の旅を楽しませてもらいました。

写真撮影を禁止されているのが残念でした。

「マーメイドラグーン」(人魚姫アリエルと仲間たちのゆかいな海底王国)では、潮だまりの上をトビウオに乗ってかけ抜ける、楽しいジェットコースターに嬌声を上げました。

この程度のコースターなら大丈夫だろうと思って勇気を奮って乗りましたが、やはり怖かったです。(笑)






海底レストランでホタテクリームコロッケサンドとコーヒーの昼食をとった後、「ミステリアスアイランド」(天才科学者ネモ船長の驚異に満ちた秘密基地)を通り抜け、「メディテレーニアンハーバー」に戻り「アメリカンウォーターフロント」(ノスタルジーあふれるニューヨークとケープコッド)へ向かいます。







「ウォーターフロントパーク」は12時20分からの「ミステリアス・マスカレードパーティ」で大変な盛り上がりようでした。







「ブロードウェイ・ミュージックシアター」では妻のお目当ての「ビッグバンドビート」が13時50分から開演です。

スイングジャズにのせてディズニーの仲間たちがおしゃれなライブエンターテイメントを楽しませてくれました。

ラストの「Sing,Sing,Sing」は圧巻でした。





14時30分から「メディテレーニアンハーバー」では「レジェンド・オブ・ミシカ」が始まりました。

広大な海と陸を舞台に、人間と伝説の生き物たちとの出会いや喜びを、圧倒的なスケールと独創的なストーリーで綴った、エンターテイメントショーでした。

ディズニーハロウィーンのショーとエンタテイメントは夜まで続きますが、15時を過ぎたので、エンポーリオというお店で孫たちに土産を買って、名残を惜しみつつも、このへんで帰路に着きました。



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日本橋界隈

2010年07月11日 | 電車でおでかけ




7月10日(土)妻の会社が休みであったので二人で東京日本橋界隈へ出かけました。

梅雨明けを思わせるような夏日でした。

東京駅八重洲中央口からのスタートとなります。

まず東京駅の大丸百貨店の威容に驚かされました。

百貨店業界が不振だとはとても思えないような見事な外観です。










ブリジストン美術館の手前を左折して中央通りを神田駅方面に歩くと、日本橋高島屋が見えてきました。

1831年(天保2年)、 初代の飯田新七が、京都烏丸松原で、古着・木綿商(屋号「たかしまや」)を創業。

1932年、現在の大阪店(難波)を竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店し、また、翌年1933年には、東京・日本橋に東京店を開店させ、知名度を飛躍的に高めたそうです。









高島屋のすぐ隣に老舗「山本山」があります。

初代山本嘉兵衛が京都から江戸日本橋に移り茶舗を創業し、煎茶の創製、玉露の発明など緑茶の普及に貢献してきました。








日本橋交差点の信号を渡り、細い路地を右に100mほど歩くと、小さな公園の脇に「名水白木屋の井戸」の記念碑を見つけました。

日本橋交差点角にあった東急百貨店(平成6年1月閉店)は、昭和33年まで白木屋という屋号でした。

白木屋は、近江商人大村彦太郎の創業、越後屋と肩を並べる呉服の大店で、二代目彦太郎が正徳2年(1712年)に掘った井戸の水は、付近の住民のみならず、広く「白木名水」とうたわれました。

現在、白木名水は消失しましたが、東京都指定の旧跡として記念碑があります。









「名水白木屋の井戸」記念碑のすぐ隣に「たいめいけん」という老舗の食堂がありました。

外観は昔ながらの平凡な食堂という感じです。

創業は昭和6年(1931年)、初代の故・茂出木心護氏は名コックとして数々の名著を残したそうです。

故・伊丹十三さんが愛したという「タンポポオムライス」(1850円)が有名だそうです。









中央通りに戻り、いよいよ日本橋を渡ります。

日本橋の脇に日本橋魚河岸(にほんばしうおがし)記念碑がありました。

記念碑は乙姫をかたどったもので、竜宮城の住人である海の魚がことごとく日本橋に集まったことをあらわしているそうです。

幕府の膳所に供するために漁業をしていた佃島の漁師たちはのち、日々上納する残りの鮮魚を舟板の上で並べて一般に販売するようになりました。

これが日本橋魚河岸の始まりだそうです。









日本橋は、慶長8年(1603年)に初めて架けられ、その翌年、いわゆる五街道の制が確立されてからは日本の中心、江戸繁栄の象徴となりました。

明治に入ってからは、この橋の中央が国内諸街道の起点と定められ、今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。

しかし、今では橋の上を高速道路が走り、日本を代表する橋としては残念な風景となっています。









日本橋を渡ると三越新館とそれに続く旧館・三越日本橋本店です。

現在の商号「三越」は、創業時の「越後屋」と三井家の「三井」からとったもので、1904年に「合名会社三井呉服店」から「株式会社三越呉服店」へ改称した際からのものです。

この年に「デパートメントストア宣言」を行い、日本での百貨店の歴史が始まったそうです。









三井グループの祖である三井高利が「越後屋」を構えて以来、日本橋は三井グループの本拠地となってきました。

1929年に竣工した三井本館は昭和初期を代表する事務所建築として高い歴史的価値を認められており、1998年には、大規模オフィスビルとして初の重要文化財にも指定されました。

外壁を囲むコリント式の列柱や、1階営業フロアのドリス式円柱群と吹き抜け大空間、繊細な装飾の施されたインテリアなど、デザイン・施工両面において日本の建築界に大きな影響を与えてきました。









三井本館の裏手に日本銀行本店(1896年完成)が見えました。

高い外壁に囲まれた荘重なたたずまい、緑色の屋根は優美さをうかがわせます。

赤レンガの東京駅と同じく、明治期の建築家・辰野金吾が設計したそうで、バロック様式とルネサンス様式を取り入れたネオバロック様式だそうです。









南分館には日本銀行金融研究所「貨幣博物館」があり入場料は無料です。

館内には古代から現在に至るまでの日本の貨幣、記念硬貨、世界の珍しい貨幣などが展示されています。

昭和57年に日本銀行創立100周年を記念して設置され、昭和60年11月に開館して年間7万人もの人が訪れているとのことです。

館内はカメラ撮影禁止です。








これで日本橋界隈の散策はとりあえず終わりです。

妻が「日本橋三井タワーにある千疋屋(せんびきや)でフルーツジャムを土産に買いたい」と言うので立ち寄りました。

お腹も空いたので、1階フルーツショップ奥にあるパーラー「Caffe di FESTA」に入り、定番のマンゴーカレーライスを注文しました。

2Fで食べれば余裕の1000円越えですが、ここではフルーツカクテル付き、アフター珈琲とセットで900円という格安メニューでマンゴーの甘味に引き立てられたカレーが満喫できます。

カレー好きの方、日本橋へ行ったときは是非おすすめですよ。





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皇居散策

2010年04月11日 | 電車でおでかけ




4月10日(土)妻と二人で丸の内から皇居周辺を散策しました。

東京駅丸の内南口からまっすぐ歩き、日比谷通りの馬場先門交差点を渡るとすぐに皇居前広場です。

広大な砂利道を歩くと有名な二重橋と伏見櫓(ふしみやぐら)に到着しました。









坂下門方面に歩くと宮内庁庁舎が見えます。

昭和10年(1935年)に建築された建物で、庁舎3階は昭和27年(1952年)に改装され、昭和43年(1968年)の宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていたそうです。








大手門から皇居東御苑に入り、本丸跡、天守閣跡を見て北桔橋門(きたはねばしもん)から北の丸公園前の道路を歩きます。

ここから見る乾(いぬい)濠は絶景です。









千鳥ヶ淵公園は、皇居西側の千鳥ヶ淵と英国大使館に挟まれるように位置しており、ソメイヨシノやヤマザクラなど約170本の桜があります。










半蔵門付近から警視庁方面を望みます。

堀は桜田濠です。

ここも絶景ですね。








国立劇場、最高裁判所を右に見て三宅坂を過ぎると右手に国会議事堂が見えてきました。

中に入って国会内を見学しようと思ったのですが、時間が決められていて、30分ほど待たなければならなかったので見学はパス。

正面からの写真を撮るだけで我慢しました。








桜田門から再び皇居の中に入るとスタート地点の二重橋に到着。

皇居1周5キロの散策を終え丸の内のオフィス街に向かうと、右側にマッカーサー元帥がGHQ指令本部にした第一生命館が見えました。

皇居を見下ろす形で堀沿いに建てられた第一生命館に本部を置くことは、連合国軍が天皇のさらに上に君臨するという政治的意図が込められていたとのことです。








左側には重要文化財の明治生命館。

午後1時を過ぎていたので丸の内 MY PLAZA(明治生命館/明治安田生命ビル)の地下1階にある「土佐料理 祢保希(ねぼけ)」という店に入り昼食を食べて帰路に着きました。




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横浜山手西洋館

2010年01月25日 | 電車でおでかけ




1月24日(日)妻と二人で横浜に行ってきました。

今日は山手の西洋館を散策するつもりです。

京浜東北線の石川町駅で降りて「イタリア山庭園」に行きましたが、「外交官の家」はあいにく改修中で、ブラフ18番館しか入館出来ませんでした。









この建物は木造2階建で、関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅です。

1階では、震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現し、元町で製作されていた当時の家具を復元展示するなど、実際に当時の暮らしを体験することができます。








イタリア山庭園を出てマップに従って山手本通りを東進すると、カトリック山手教会の奥に、かの有名なフェリス女学院大学が見えて来ました。








フェリス女学院大学を南に進むと「テニス発祥記念館」です。

もう・・・「セレブな街」そのものですよね・・・・(笑)









「1876年(明治9)、ここ山手公園でわが国最初のローンテニスが行われ、1878年にわが国最初のテニスクラブが誕生しました。

日本初の洋式公園である山手公園と、わが国でのテニス発祥120周年を記念してこの記念館を設立しました。」  (平成10年 横浜市長)・・・・・・・・・とのことです。









再び山手本通りへ戻り、東進すると「元町公園」に到着です。

先ずは「ベーリック・ホール」です。

イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として、1930年アメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により建造されました。









意匠はスパニッシュスタイルを基調とし玄関の3連アーチ、壁面のクワットレフォイルなど多彩な装飾をつけた建築学的にも充実した価値ある建物です。

この部屋は令息の寝室だそうで、素晴らしい色彩感覚の部屋です。








べーリック・ホールと小道を挟んで移築されているのはエリスマン邸です。

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14年に山手町127番地に建てられました。









1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。








続いて山手234番館。

昭和2年頃、外国人向け共同住宅(アパートメントハウス)として民間業者によって建築されました。








建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。

3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。









ガイドブックでは最後に、ここから「港の見える丘公園」へ行き、横浜市イギリス館と山手111番館を見るのですが、これらは以前に見たところなので今回は行かず、山手外国人墓地沿いの道を下って元町方面に向かいました。

写真は山手外国人墓地から見る「みなとみらい」の光景です。









今回の締めは元町ショッピングストリートです。

元町商店街はほんの数百メートルの短かさで、ゆっくりと歩いてもすぐに通り抜けてしまいます。

しかし、通り沿いに並ぶ商店は、どれも皆お洒落だし、歴史を持つ老舗は、どことなく重厚な佇まいさえ感じさせるようです。









若干、ミーハー趣味のある我が妻は、横浜で一番古いパン屋「ウチキパン」で明日朝の食パンを買い、大正時代以来の伝統を守る老舗洋菓子店「喜久家」でケーキを買って、上機嫌で元町商店街をあとにしました。




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目黒区駒場その2-東京大学など

2009年11月29日 | 電車でおでかけ





11月15日(日)妻と二人で旧前田侯爵邸を散策したあと、隣にある東京大学駒場リサーチキャンパスを歩きました。

教養学部のあるキャンパスを駒場Ⅰキャンパスと呼ぶのに対して、ここは駒場Ⅱキャンパスと呼ばれています。

この写真は時計台のある13号館です。

この13号館は昭和4年に建てられたもので、旧東京帝国大学航空研究所本館でした。









1号館と呼ばれているもので、「旧東京帝国大学航空研究所風洞部研究室」であったそうです。








「試作工場」と呼ばれているもので、旧東京帝国大学航空研究所中央工場第1号館というのが正式な名称だそうです。









駒場Ⅱキャンパスを出て京王井の頭線の踏切を渡ると「駒場野公園」です。

東京教育大学(現筑波大学)の農学部が筑波に移転した後 公園として整備され、昭和61年に開園しました。

写真は「ケルネル田圃」という水田址です。

教育大農学部の前身 駒場農学校に赴任したドイツ人教師オスカー・ケルネルは、わが国で初めて化学肥料の使用を試み、実習田で土壌や肥料の改良に取り組んだそうです。

日本初の実験水田ということで「ケルネル田圃」と名づけ維持保存されています。








駒場野公園にはバーベキューなどができる炉が5カ所あり、今日もたくさんの人がバーベキューを楽しんでいました。








駒場野公園を出て、もと来た踏み切りを渡り、京王井の頭線「駒場東大前駅」に行くと、東京大学教養学部のある駒場Ⅰキャンパスの有名な時計台が見えてきました。

こんな閑静な住宅地に広大なキャンパスがある東大は、やはりすごい大学ですね。









東大駒場Ⅰキャンパス内にある駒場博物館です。

この建物は、教養学部の前身である旧制第一高等学校の図書館として建てられた由緒あるものです。

1階が美術博物館の展示室、2階が自然科学博物館の展示室となっています。









東大のシンボルとも言える「銀杏並木」です。

本郷の銀杏並木も有名ですが、それに勝るとも劣らないものです。

毎年11月下旬に行われる駒場祭の頃には、黄葉が見事なんでしょうね。








東大の偉大さに圧倒されて駒場キャンパスを後にしました。

地図を見ると井の頭線で二駅目が「下北沢」でしたので、「じゃあついでに行こうか」ということで、線路沿いの細い道を歩いて行きました。

「世田谷区代沢」などという住居表示を見て「あぁ代沢って福田赳夫元首相の私邸があった所だなあ」などと話しながら歩いていると、ほどなく「下北沢南口商店街」に着きました。








こんなことを言うと下北沢の人に怒られるかもしれないのですが、かの有名な「下北沢」って・・・単なる商店街なんですね。(笑)

でも昼食に入った「さんるーむ」っていうお店は「安全・安心・健康」なお店で、安くって、とても美味しかったですよ。

こういう「知る人ぞ知る」の良いお店がたくさん集まっている街が「下北沢」なんでしょうね。




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