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若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

東京駅ー復原された赤レンガ駅舎を見る

2012年10月10日 | 電車でおでかけ




10月8日(月)妻と二人で久しぶりに東京へ行ってきました。

行き先は創建当初の姿に復原された東京駅とフーテンの寅さんでお馴染みの葛飾柴又です。

まずは東京駅から。







1914年に創建された駅舎はもともと3階建てでしたが、1945年に戦災で南北のドームと屋根・内装などが焼失しました。

戦後の復興工事によって2階建ての駅舎となりましたが、それを3階建てに戻したのです。

写真は丸の内南口のドームです。







ドーム3、4階と天井は干支(緑色の部分)や約2.4mにもなるワシの彫刻なども復原されています。







南口を出て「丸ビル」の前から東京駅を見たところです。







2002年9月に新しく生まれかわった丸ビルです。

”国際的なビジネスの活躍の舞台として、そしてショッピングやグルメ、カルチャー、エンターテインメントが楽しめる場”・・・と言うのが「丸ビル」のコンセプトだそうです。







北口方面へ歩いていくと2007年9月に竣工した「新丸ビル」です。

コンセプトは“素敵な時間”。

上質感あふれ、個性豊かな約150の商業店舗が集積しています。







東京駅の中心部にある看板です。

ここで皆さん記念撮影ですが・・・・

大勢の人が見ている前で・・・恥ずかしくないんですかね・・・・

こちらは看板だけを撮りたいのに・・・・次から次へと・・・見たくもない顔が・・・(笑)








赤煉瓦駅舎内の東京ステーションホテルもリニューアルされ、10月3日にオープンしました。

かつて松本清張は209号室(現2033号室)を定宿にし、ここで「点と線」のトリックを生み出したと言われています。

今回の改装で、部屋数も150室になりましたが、宿泊料は一泊2万5000円以上だそうです。

東京駅はこれぐらいにして次は葛飾柴又界隈を見ようと、上野駅から常磐線に乗って金町へ向かいます。




湘南・江ノ島に遊ぶ

2012年04月15日 | 電車でおでかけ



4月9日(月)妻と二人で鎌倉の極楽寺周辺を散策した後、極楽寺駅から再び江ノ島電鉄に乗り江ノ島へやって来ました。





春の心地良い潮風に吹かれながら「江ノ島弁天橋」を歩いていきます。

「江ノ島弁天橋」は片瀬海岸と江の島を繋ぐ橋で、長さは389m。

東京オリンピック開催にともない、自動車専用道路の「江の島大橋」が昭和37年に並行して開通したのを境に、それまで取っていた渡り賃は廃止されたそうです。





江ノ島に近づいてきました。

江ノ島温泉アイランドスパ(えのすぱ)の建物が異国情緒を誘います。





江の島の玄関口「青銅の鳥居」です。

この鳥居は文政4年(1821年)に建てられたものだそうです。





「青銅の鳥居」をくぐって参道を歩いていきます。

干物や海苔、相模湾の海の幸はもちろん、夫婦饅頭や羊羹、貝細工の土産物店をはじめ、老舗旅館や懐かしい射的場もあります。





老舗旅館の「岩本楼本館」です。

800年というときの中で、寺院から旅館として移り変わってきた岩本桜。

葉山御用邸が完成するまでは、宮内庁御用達として、皇族の方々も利用され、古くは、将軍や大名も宿泊し、福沢諭吉や伊藤博文、山下清、早川雪州といった多くの名士も訪れたそうです。





テレビ、ラジオ、雑誌等でおなじみの、イイダコをそのままプレスした100%タコだけの丸焼きタコせんべいの店「あさひ本店」です。

鉄板でタコを焼きつぶす音が耳を引く豪快なせんべいだそうです。

平日でもご覧の通りの行列です。





参道奥の鳥居をくぐり、急な階段を上って江島神社にお参りします。

階段がきつい人にはエスカー(エスカレーター)が有料で利用できますが、デパートでも階段しか利用しない妻の前では、心筋梗塞も覚悟のうえで上るしかありません。(笑)





竜宮城を模して造られたもので「瑞心門(ずいしんもん)」と呼ばれています。

清々しい心で参拝していただけるようにと命名されたそうです。

門の両脇には唐獅子画が飾られています。





江島神社は島内にある辺津宮・中津宮・奥津宮の3宮の総称で、「辺津宮(へつみや)」はその本社で源実朝が建永元年(1206)に創建しました。

海の守護神・田寸津比賣命(タギツヒメノミコト)が祀られています。

写真のように「茅の輪(ちのわ)」があり、ここをくぐってから参拝します。

具体的な方法ですが、この輪を左回り、右回り、左回りの順で「∞」の字を描くように3回くぐり抜けて参拝するそうです。





次に行ったのが「中津宮」です。

「中津宮」は、3女神のうち市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)をお祀りしており、創建は仁壽3年(853年)であり、現在の朱色鮮明な社殿は、平成8年に大改修されたものです。

境内には、江戸時代に歌舞伎関係者により奉納された石灯籠や梅・桜などがあります。

当社の弁財天は日本三大弁財の1つで、七福神の弁財天として、また芸能を司る妙音天女としても崇敬され、江戸時代は庶民、歌舞伎役者、武士と幅広い階層から信仰を集め、大変賑わったそうです。





江ノ島サムエル・コッキング苑や展望灯台の横の遊歩道を行くと「奥津宮」に到着です。

ここは多紀理比賣命(タギリヒメノミコト)をお祀りしています。

多紀理比賣命は、三人姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様といわれています。

養和二年(1182年)に、源頼朝により奉納された石鳥居や、江戸の絵師・酒井抱一が拝殿天井に描いた、どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの亀」が有名です。





「奥津宮」の境内から伸びる山道に少し入ると、「龍恋の鐘(りゅうれんのかね)」という名所があるようなので、ミーハーな二人は寄り道してみることにしました。

相模湾を望む「恋人の丘」と言われる高台にありました。

その昔、海にすむ五頭を持つ邪悪な龍が、島に現れた天女に恋をし、改心の末に結ばれるという島の伝説(天女と五頭龍)があり、ここで愛する人と一緒に鐘を鳴らすと幸せになれると言われています。

しかし、妻はなぜか一人で鐘を鳴らしていました。

特に深い意味はないのでしょうが・・・(笑)





「江ノ島岩屋」や「稚児ヶ淵」なども見たかったのですが、時間もなくなってきたので、もと来た道を帰ります。

途中、「中津宮」付近からヨットハーバーや灯台を見下ろしたところです。

その向こうに鎌倉の海が広がります。

まさに絶景です。





時間が1時過ぎになっていたので昼食を食べることにしました。

江ノ島駅から歩いてくる途中に目をつけていた「紀伊国屋お食事処」へ入り「海鮮丼」を注文しました。

「この海鮮丼には15種の魚貝類が入っているんですよ」と綺麗な仲居さんが教えてくれました。

味は絶品で味噌汁と生姜とドリンクバーが付いて1500円ですから大いに満足でした。

あまりに美味しそうなので食べることに夢中になり海鮮丼の写真を撮るのを忘れてしまいました。(笑)

そういうことで、この写真だけはインターネットから拝借したものですので、ごめんなさい、悪しからず。

実物もこの写真のとおりで間違いないです。




鎌倉ー最後から2番目の札所(恋)・極楽寺周辺散策

2012年04月10日 | 電車でおでかけ



4月9日(月)妻と二人で2年半ぶりに鎌倉方面へ行ってきました。

前回(2009年9月22日)は北鎌倉駅から鎌倉街道と若宮大路を歩き、由比ヶ浜海岸を散策し、江ノ電 長谷駅の踏切を渡って長谷寺と鎌倉大仏を見た後、鎌倉文学館で帰路に着いたのですが、今回は先日終了したテレビドラマ「最後から2番目の恋」の舞台となった極楽寺周辺と、湘南ボーイのメッカ・江ノ島を見ようというミーハー的な気分で出かけました。





鎌倉駅で江ノ島電鉄に乗り換え長谷駅で下車。

定番の長谷寺と鎌倉大仏は今回はPASSです。





大通りを大仏方面に向かって徒歩約1分で左手に見えてくるのが「収玄寺」です。

「収玄寺」は日蓮上人に帰依した四條金吾頼基の屋敷跡で、文政年間に妙詣尼により収玄庵として創建されました。

小さいが手入れの行き届いた境内は、四季の草花に囲まれていて、「花の寺」としても知られています。





「収玄寺」を出て大通りをすぐに左折して「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」へ向かいます。

途中の路地は何気ない小道ですが、鎌倉らしい風情がただよいます。

開花が遅れていた桜も今日の暖かさでほぼ満開です。





目の前を江ノ電が走る「御霊神社」は、別名「権五郎神社」とも呼ばれ、平安時代の開発領主鎌倉権五郎景政を祀る神社です。

鎌倉権五郎景政ゆかりの手玉石や弓立の松が敷地内に残っています。





「御霊神社」を出て江ノ電の踏み切りを渡り、極楽寺坂の通りに出る角にあるのが「力餅屋」です。

元禄年間には峠の茶屋として店を出していたという300年の歴史を持つ和菓子の老舗です。

小さな店ながら、どことなく風格があり朝から多くのお客が足を運びます。

名物の力餅は、もち米を蒸して臼でついた餅を、じっくりと練った餡でくるんだ素朴な和菓子だそうです。

妻はさっそく「権五郎力餅」を買いこみ、持って来たお茶を飲みながら道中食べ始めました。





「力餅屋」を出て「極楽寺坂」を昇り始めるとすぐ右手に見えてくるのが「虚空蔵堂(こくうぞうどう)」です。

「虚空蔵堂」は、行基が彫った虚空蔵菩薩が祀られているお堂です。

本来の名は「明鏡山星井寺」と言い、現在は、「成就院」が管理しているそうです。





「極楽寺坂」を更に昇ると左手に「成就院」の入口があります。

ここの石段は除夜につく鐘の数と同じ108段とのことです。

振り返り眼下に広がる由比ヶ浜海岸の風景を眺めながら昇り詰めると、江戸時代後期の建立で、重厚な山門が左手にあります。

山門に立つと本堂がすぐ先に見えます。





再び「極楽寺坂」に戻ります。

これは「極楽寺」のほうから見た「極楽寺坂」で、右手上方が「成就院」です。






さあいよいよ「極楽寺」です。

二代執権北条義時の三男重時が、深沢に正永和尚が建てた念仏堂を移建し、1267年に重時の子・長時(六代執権)と業時が、当時多宝寺にいた忍性を招いて開山したそうです。

忍性は悩める貧しい人々を救済するために、福祉事業に取り組み、「医王如来」と崇められたと言われています。





小泉今日子と中井貴一の”大人の口喧嘩”が非常に面白いドラマ、「最後から2番目の恋」の舞台となった江ノ島電鉄「極楽寺駅」は、「極楽寺」の目の前にありました。

ところで「極楽寺」は鎌倉十三仏霊場巡礼の『最後から2番目』の第十二番札所です。

(前述の「虚空蔵堂」は最後の第十三番札所です。)

ドラマの題名「最後から2番目の・・・」というのはそう言う意味だったのですね。

素敵な駅を背景に、ミーハーな私たちは写真を撮り合い、江ノ電に乗って江ノ島へと向かいました。




東京ディズニーランド

2011年06月28日 | 電車でおでかけ




6月9日(木)妻と二人でディズニーランドへ行って来ました。

昨年の10月7日にディズニーシーに行って来たのですが今度はランドのほうです。

木曜日だというのに開演前からこの行列です。

妻(真ん中の列、白いシャツにジーンズで帽子を被ったオバサン)が二人分のチケットを買ってくれました。







入口には「ディズニー・イースターワンダーランド」の看板が。

6月30日までのスペシャルイベントでペイントしたタマゴを飾ったりタマゴを探す遊びをしたり春の訪れをお祝いするイベントだそうです。







「ワールドバザール」という古き良きアメリカの街並ふうの商店街を通り抜け、シンデレラのお城を左に見ながら歩いていきます。







ディズニー映画の主人公に会える夢と童話の世界「ファンタジーランド」に到着です。

最初に入ったのがこの「イッツ・ア・スモールワールド」で世界中の子供たちの歌声に包まれる幸せな船旅の世界です。

次に入ったのが「ミッキーのフィルハーマジック」という3Dのコンサート。

高い空へ飛んでいったり、深い海へ潜ったりという、ド迫力のコンサートで妻は大喜びでしたが高所恐怖症の私には心臓が縮みあがる気分でした。






次に行ったのは熱帯植物が生い茂る冒険とロマンの世界「アドベンチャーランド」です。

ここのシアターオーリンズという野外劇場で「ミニー・オー!ミニー」と題するラテン音楽の歌と踊りを鑑賞しました。

これは私も満足の出来るものでした。







ラテン音楽を聴いた後はウェスタンリバー鉄道の蒸気機関車に乗ってアメリカ西部をめぐる旅へ出発です。

蒸気機関車は「アドベンチャーランド」から「ウエスタンランド」(西部開拓時代のアメリカ)、「クリッターカントリー」(アメリカ河のほとりに広がる小動物の郷)と走ります。

途中、鉱山列車が岩山を猛スピードで駆け抜けるアトラクション(ビッグサンダー・マウンテン)が眼下に見えました。

このアトラクションは大の人気だそうですが血圧のやや高い私にはNGです。







「アドベンチャーランド」でもう一つ、ハワイの鳥たちが繰り広げる魅惑のショーを見た後、お腹が空いたので「ウエスタンランド」のハングリーベア・レストランへ入り、定番のチキンカレーとアイスコーヒーで昼食。







おなかも満腹になったので、ミッキーと仲間の住む街「トゥーンタウン」へ行き、ガジェットのゴーコースターへ乗ろうとして並んでいる途中で怖くなり(笑)、乗るのをやめて宇宙と未来の世界「トゥモローランド」でレーシングカーに乗りました。







レーシングカーを降りると「トゥモローランド」のショーベースというエンターテイメント施設では丁度「ワンマンズ・ドリーム2」と題するウォルトディズニーの生涯を描いたミュージカルが始まろうとしていました。







ミュージカルが終ると再び「ファンタジーランド」にもどり、「白雪姫と七人のこびと」と「ピノキオの冒険旅行」を見学。

両方ともトロッコに乗って暗い森や洞穴の中を旅する、というものでした。

最後は「ジュビレーション」というディズニーの仲間たちが勢ぞろいする壮大なパレードを見て帰路に着きました。

ちょっと暑くてバテました。

乳幼児と高齢者には少しきつい気がしました。

若者とオバサン(妻も含めて)の世界かもしれませんね。(笑)



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池袋界隈散策

2011年01月10日 | 電車でおでかけ




1月9日(日)妻と二人で池袋界隈散策に出かけました。

池袋は私も妻も馴染みの薄い街でした。

繁華街(飲み屋)のイメージが強いのですが、どうしてどうして一歩奥へ歩けば閑静な住宅街です。








池袋と言えば何と言っても先ずは立教大学です。

長嶋茂雄、野際陽子、関口宏、みのもんた、なかにし礼、徳光和夫、土居まさる・・・。

有名人に事欠きません。

アナウンサー出身の人が多い気がします。







正門を入ると正面に本館(モリス館)が見えます。

「蔦のからまるチャペル」の雰囲気ですが今は蔦も精彩がなく、新緑の頃にもう一度来たいですね。







本館の左側に図書館、右側にはこの礼拝堂があります。

立教大学は日本聖公会系のミッションスクールなのです。







有名な「鈴懸(スズカケ)の径(ミチ)」です。

1942年、灰田勝彦さんのヒット曲のモデルになった所で、記念の歌碑があります。

鈴懸の木とはプラタナスのことなのです。

♪♪ 友と語らん 鈴懸の径 通い慣れたる 学び舎の街

やさしの小鈴 葉陰に鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径 ♪♪

灰田勝彦さんも立教のOBです。








初代大学総長の邸宅「ライフスナイダー館」は大正15年の築造だそうです。

私の大好きな洋風建築です。







日本を代表する推理小説家、江戸川乱歩は昭和9年に池袋に移り住み、この地で一生を終えました。

江戸川乱歩の旧居は現在、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターとなっています。

今日は残念ながら休館日で中には入れず応接間の外観が垣間見えるだけでした。







立教大学から池袋駅方面に戻り、劇場通りから池袋警察署を左折して細い道を歩いて行くと自由学園「明日館」に到着です。

自由学園は、羽仁吉一・もと子夫妻により大正10年に女学校として創立されました。

「明日館」はその自由学園誕生の校舎で、帝国ホテル設計のために来日していたフランク・ロイド・ライトと、その弟子の遠藤新の設計になる建物で、現在の2×4工法の先駆けと言われる建築です。







見学日は毎月一回で、その日以外は写真の「婦人の友社展示室」と「JMショップ」だけしか入れませんでした。

明治36年、羽仁夫妻が「婦人の友」の前身「家庭の友」を創刊しました。

この部屋には婦人の友社の100年に及ぶ歩みと現在の活動を展示しています。







生徒数の増加によりホールが手狭になったため、遠藤新が設計した講堂です。

ちょっと覗かせてもらいましたが、懐かしい大正・昭和の時代の講堂でした。







自由学園「明日館」から目白方面に向かって住宅地を少し歩き、西武池袋線の踏切を渡ると「目白庭園」が見えてきました。

驚いたことに、この庭園は何と入場料無料でした。







長屋門を入ると「赤鳥庵」という数奇屋造りの建物があります。

この名称は大正7年にこの地で創刊された子供のための文芸雑誌「赤い鳥」にちなんだものです。

雑誌「赤い鳥」は鈴木三重吉によって主宰され、芥川龍之介、有島武郎、北原白秋、西条八十らの献身的な協力のもとにわが国児童文学の基礎を築きました。







この庭園は限られた空間に日本人の自然に対する思想を凝縮した日本庭園で、園内中央に大きな池をつくり、水際に石垣を築いてその上に「赤鳥庵」(写真左)を配しています。







園路は回遊式で、池の周囲をめぐりながら随所に自然の造形美に出会えます。

水辺に近い飛び石からの眺めや滝見台からの眺めは景観を一変させ同じ庭園とは思えない変化を楽しませてくれます。

水上に浮かんだ『六角浮き見堂』からの大海を見るような眺めも粋なものです。

2時間弱の散策でしたが交通費以外に何の費用もかからず暖かい気候にも恵まれ楽しい休日でした。


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