1月24日(日)妻と二人で横浜に行ってきました。
今日は山手の西洋館を散策するつもりです。
京浜東北線の石川町駅で降りて「イタリア山庭園」に行きましたが、「外交官の家」はあいにく改修中で、ブラフ18番館しか入館出来ませんでした。
この建物は木造2階建で、関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅です。
1階では、震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現し、元町で製作されていた当時の家具を復元展示するなど、実際に当時の暮らしを体験することができます。
イタリア山庭園を出てマップに従って山手本通りを東進すると、カトリック山手教会の奥に、かの有名なフェリス女学院大学が見えて来ました。
フェリス女学院大学を南に進むと「テニス発祥記念館」です。
もう・・・「セレブな街」そのものですよね・・・・(笑)
「1876年(明治9)、ここ山手公園でわが国最初のローンテニスが行われ、1878年にわが国最初のテニスクラブが誕生しました。
日本初の洋式公園である山手公園と、わが国でのテニス発祥120周年を記念してこの記念館を設立しました。」 (平成10年 横浜市長)・・・・・・・・・とのことです。
再び山手本通りへ戻り、東進すると「元町公園」に到着です。
先ずは「ベーリック・ホール」です。
イギリス人貿易商B.R.ベリックの邸宅として、1930年アメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により建造されました。
意匠はスパニッシュスタイルを基調とし玄関の3連アーチ、壁面のクワットレフォイルなど多彩な装飾をつけた建築学的にも充実した価値ある建物です。
この部屋は令息の寝室だそうで、素晴らしい色彩感覚の部屋です。
べーリック・ホールと小道を挟んで移築されているのはエリスマン邸です。
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14年に山手町127番地に建てられました。
1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。
続いて山手234番館。
昭和2年頃、外国人向け共同住宅(アパートメントハウス)として民間業者によって建築されました。
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。
3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。
ガイドブックでは最後に、ここから「港の見える丘公園」へ行き、横浜市イギリス館と山手111番館を見るのですが、これらは以前に見たところなので今回は行かず、山手外国人墓地沿いの道を下って元町方面に向かいました。
写真は山手外国人墓地から見る「みなとみらい」の光景です。
今回の締めは元町ショッピングストリートです。
元町商店街はほんの数百メートルの短かさで、ゆっくりと歩いてもすぐに通り抜けてしまいます。
しかし、通り沿いに並ぶ商店は、どれも皆お洒落だし、歴史を持つ老舗は、どことなく重厚な佇まいさえ感じさせるようです。
若干、ミーハー趣味のある我が妻は、横浜で一番古いパン屋「ウチキパン」で明日朝の食パンを買い、大正時代以来の伝統を守る老舗洋菓子店「喜久家」でケーキを買って、上機嫌で元町商店街をあとにしました。
人気blogランキングへ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます