過去から解き放たれていくために、家族は幸せなものだと信じて疑ったことなどなかった頃の自分語り。
「1984年9月23日(日)
はじめての高山の夜です。
〇っぺさんとの二人の旅です。
空は快晴。
高山の街は落ち着きがあってなかなか良い所。
屋台は豪華で綺麗。
今度、必ずお祭りの時に来てみたい。
連休なのでやはり人が多い。
思ったよりものんびり回れてよかった。
夕陽がなぜかとても新鮮でなつかしく思われて、忘れていた時が戻ってきたみたい。」
「1984年9月24日(月) 快晴
6:00 起床・食事
8:00 レンタサイクルで飛騨の里、飛騨民族館へ。
12:00 高山陣屋
駅前の食堂にて山菜うどんを食べる。
三之町でおみやげを買う。
”イフ”にてアイスオーレ。
14:51 高山発
17:40 ●●着
18:25 自宅着」
「帰宅後の記
楽しかった旅も終わりました。
今回の旅は天気にも恵まれて
ちょっと暑いくらいだった。
〇っぺさんとも気楽に過ごせて
一人もいいけれど、時には誰かと一緒がいいな、
写真もたくさん撮れたし、
今度一緒に神戸に行きたいねっていってた。
外人さんも多くて、高山には。
みんな元気がよくて、気取りがなくて感心してしまった、お話できなかったのは残念だったけれど。
というわけで、明日からは仕事頑張るぞ」
飛騨の里・飛騨民族館
飛騨民族考古館
高山屋台会館
高山陣屋
飛騨高山観光案内図
この時一緒だった高校時代の同級生と今は付き合いありません。郷里を離れてからも年賀状のやり取りは数年していたと思いますが、いつ頃かな連絡きても返信しませんでした。今はわかりませんが1984年頃郷里にはまだ適齢期という言葉があって、彼女もそんなお年頃になると当たり前のようにお見合いを繰り返していました。(そんな話今思えばわたしほとんど興味なかったですね。)そして母親が病気で亡くなったのでまだ20代半ばだけど早く結婚したいという男性のところへお嫁に行きました。そんな彼女にすごく違和感をおぼえて、まあ結婚披露にはお呼ばれしたのですが、なんか母親のかわりに家政婦をしてくれる女性が早くほしいってことじゃないかって思ってしまったのでした。彼女は素敵な人だからと喜んでいましたけどね、なんか、そういう地方の風習というか、そういうものに自分は当てはまらない気がしたのも家を離れて都心へ出た理由の一つだったのかもしれません。全くどうでもいいですが一応わたしも適齢期に見合いらしきことを二度か三度したことあります。なんと自分に似合わないことかと逃げたいばかりでした。どっかのオバチャンが突然建て替えたばかかりのデカイ家の玄関にあがりこんできて適齢期の娘の顔をみに来たりね、いやでしたね、すごく・・・。
「1984年9月23日(日)
はじめての高山の夜です。
〇っぺさんとの二人の旅です。
空は快晴。
高山の街は落ち着きがあってなかなか良い所。
屋台は豪華で綺麗。
今度、必ずお祭りの時に来てみたい。
連休なのでやはり人が多い。
思ったよりものんびり回れてよかった。
夕陽がなぜかとても新鮮でなつかしく思われて、忘れていた時が戻ってきたみたい。」
「1984年9月24日(月) 快晴
6:00 起床・食事
8:00 レンタサイクルで飛騨の里、飛騨民族館へ。
12:00 高山陣屋
駅前の食堂にて山菜うどんを食べる。
三之町でおみやげを買う。
”イフ”にてアイスオーレ。
14:51 高山発
17:40 ●●着
18:25 自宅着」
「帰宅後の記
楽しかった旅も終わりました。
今回の旅は天気にも恵まれて
ちょっと暑いくらいだった。
〇っぺさんとも気楽に過ごせて
一人もいいけれど、時には誰かと一緒がいいな、
写真もたくさん撮れたし、
今度一緒に神戸に行きたいねっていってた。
外人さんも多くて、高山には。
みんな元気がよくて、気取りがなくて感心してしまった、お話できなかったのは残念だったけれど。
というわけで、明日からは仕事頑張るぞ」
飛騨の里・飛騨民族館
飛騨民族考古館
高山屋台会館
高山陣屋
飛騨高山観光案内図
この時一緒だった高校時代の同級生と今は付き合いありません。郷里を離れてからも年賀状のやり取りは数年していたと思いますが、いつ頃かな連絡きても返信しませんでした。今はわかりませんが1984年頃郷里にはまだ適齢期という言葉があって、彼女もそんなお年頃になると当たり前のようにお見合いを繰り返していました。(そんな話今思えばわたしほとんど興味なかったですね。)そして母親が病気で亡くなったのでまだ20代半ばだけど早く結婚したいという男性のところへお嫁に行きました。そんな彼女にすごく違和感をおぼえて、まあ結婚披露にはお呼ばれしたのですが、なんか母親のかわりに家政婦をしてくれる女性が早くほしいってことじゃないかって思ってしまったのでした。彼女は素敵な人だからと喜んでいましたけどね、なんか、そういう地方の風習というか、そういうものに自分は当てはまらない気がしたのも家を離れて都心へ出た理由の一つだったのかもしれません。全くどうでもいいですが一応わたしも適齢期に見合いらしきことを二度か三度したことあります。なんと自分に似合わないことかと逃げたいばかりでした。どっかのオバチャンが突然建て替えたばかかりのデカイ家の玄関にあがりこんできて適齢期の娘の顔をみに来たりね、いやでしたね、すごく・・・。