過去から解き放たれていくために、家族は幸せだと信じていた頃の自分語り。
「1984年9月23日(日)晴天
5:00 起床
5:45 父の車で家を出る
6:48 〇〇発
10:35 高山着
高山市内を徒歩で見学。
藤井美術館、飛騨民族考古館、平田記念館、八賀民族美術館、日下部民芸館、高山屋台会館、
三之町をぶらぶら歩き、”藍花”にてひと休み。
東山遊歩道を歩いて天照寺YHへ。
15;45 YH着
17:15 食事、入浴
22:00 就寝
ユースホステルは、はっきりいってあまり感じのいい所ではない。建物は悪くないのだけれど、どうもホステラー同士のふれ合える場が少ない。食事もまちまちだったし、でもまあ人にきいて想像していたよりはいい。今度は民宿にでも泊まってお祭りの夜を楽しんでみたいな。」
八賀(はちが)美術館
日下部民芸館
平田記念館
藤井美術館
若かったですね。ぴちぴちでエネルギーがありました。でも戻りたいかときかれると戻りたくない。ユースホステルで宿泊者同士の触れ合いを求めていた自分がいたことに驚きます。伝統的な町屋を保存しているという平田記念館のパンフレットに書かれている江戸時代から明治時代にかけての女性のくらし、今の自分が読むと怒りがこみあげてきますがこうして生きるしかなかった名もなき女性たちがいて今のわたしたちがあるんですよね。
「女子(おなご)
女性のくらし 江戸時代~明治時代
女子は陰にして内を治め、男は陽にして外を勤むる事、天地自然の道理鳴。陽は昼にして、陰は夜なり。知恵のともしびを照らし、万事滞る事なきよう勤治るべき也。
女の勤治べき事多き中にも、裁縫の道、朝夕の食事をととのえ、料理かたの心がけ、ふきそうじにいたるまで万事辛苦をしのびて自身勤むるべき也。富貴の家にて下々給仕ともこれらの事知らでは叶わぬ事なり。その故はしゅうと、しゅうとめ、夫のために調ふる衣装なれば人任にてはいろいろ誤あるとも知れず。
(女寿蓬莱台より)」
「1984年9月23日(日)晴天
5:00 起床
5:45 父の車で家を出る
6:48 〇〇発
10:35 高山着
高山市内を徒歩で見学。
藤井美術館、飛騨民族考古館、平田記念館、八賀民族美術館、日下部民芸館、高山屋台会館、
三之町をぶらぶら歩き、”藍花”にてひと休み。
東山遊歩道を歩いて天照寺YHへ。
15;45 YH着
17:15 食事、入浴
22:00 就寝
ユースホステルは、はっきりいってあまり感じのいい所ではない。建物は悪くないのだけれど、どうもホステラー同士のふれ合える場が少ない。食事もまちまちだったし、でもまあ人にきいて想像していたよりはいい。今度は民宿にでも泊まってお祭りの夜を楽しんでみたいな。」
八賀(はちが)美術館
日下部民芸館
平田記念館
藤井美術館
若かったですね。ぴちぴちでエネルギーがありました。でも戻りたいかときかれると戻りたくない。ユースホステルで宿泊者同士の触れ合いを求めていた自分がいたことに驚きます。伝統的な町屋を保存しているという平田記念館のパンフレットに書かれている江戸時代から明治時代にかけての女性のくらし、今の自分が読むと怒りがこみあげてきますがこうして生きるしかなかった名もなき女性たちがいて今のわたしたちがあるんですよね。
「女子(おなご)
女性のくらし 江戸時代~明治時代
女子は陰にして内を治め、男は陽にして外を勤むる事、天地自然の道理鳴。陽は昼にして、陰は夜なり。知恵のともしびを照らし、万事滞る事なきよう勤治るべき也。
女の勤治べき事多き中にも、裁縫の道、朝夕の食事をととのえ、料理かたの心がけ、ふきそうじにいたるまで万事辛苦をしのびて自身勤むるべき也。富貴の家にて下々給仕ともこれらの事知らでは叶わぬ事なり。その故はしゅうと、しゅうとめ、夫のために調ふる衣装なれば人任にてはいろいろ誤あるとも知れず。
(女寿蓬莱台より)」