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JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(5)

これまで、123便墜落の原因がミサイルではないかとの物証と推論を提示してきました。証拠が本当に現地で調達したものであるとお疑いの方もいるでしょうが、それならどこでミサイル破片を入手できるか逆に教えていただきたいと思います。お断りしておきますが、ミサイル部品の物証は写真に掲載したものだけでなく、多種多様、しかも大量です。それらは、真実を知る方々が何も公表しないのであれば、このブログで全てを掲載いたします。また、身の安全が確保できれば、現地の土が付着したままの物証と科学的分析結果を携え、複数の証人とともに証言台に立つ用意があります。

物証や現地調査に基かない議論は無意味なだけです。ジェーン年鑑を丸暗記すれば軍事が理解できるわけではありません。軍事とは詰まるところ「殺し合い」なのです。私がこれから提示する事実及び推論の中には、ネット上やデータブックには記載されていない、あるいは記載と異なることも多く含まれます。殺し合いが、将棋やカードゲームのように決められた手駒やルールの中で行われていると本気で信じているならば、これから書くことは軍事通だと自認しているあなたをひどく立腹させることでしょう。私は、夢の世界で遊んでいたいあなたたちの楽しみを奪うつもりはありません。これ以上読んでいただかなくて結構ですので、どうぞ、どこぞの有名掲示板で空想を躍らせていてください。

ちょっと煽ったような書き方になってすみません。上述について少し考えてくださるのなら、戦記物の古典『ガリア戦記』をお読みいただければ、私の真意がご理解いただけるかと思います。また、もっと気骨のある方なら、ぜひ現地の山を登って物証の数々をご自身の目でお確かめください(まだまだ出てきます)。ただし、単独登山だけは危険ですのでお止めください。できれば登山ガイドを含む数十人くらいの同志を募って出かけられることをお勧めします。今の時期登れば、民間人に偽装された大勢の陸自・空自の特殊部隊、化学防護隊の皆さんと現地でお会いすることができるでしょう。運がよければデルタフォース(米陸軍特殊部隊)の米軍兵士とお会いできるかもしれません・・・言い忘れてました。現地の隊員さん同様、ヨウ素剤の携行もお忘れなく。


■オレンジ色の破片、再び

角田氏の著書「疑惑 -JAL123便墜落事故-」の中に出てきた吉原公一郎が見たという「オレンジ色の破片」について、考察します。まずは、下の写真を見ていただきたくお願いします。


写真1:赤味の強い破片


写真2:写真1とは色調の違う破片


写真3:機体の一部と思われるオレンジ塗装-(1)表・(2)裏・(3)破断面


写真1は、「そしてミサイルは発射された(3)」で示したものと同じで、国際軍事評論家のB氏もまだ特定できていません。

写真2は写真1の写真とは明らかに色調が異なるものですが、まずは、多くの特徴を備えた写真3の解説を先にします。

写真3-(1) は人の足が写っていますおりますので、だいたいの大きさがわかると思いますが、一抱えよりはちょっと小さいくらいの、破片と呼ぶにはかなり大きいものです。塗装は、グレーの上にオレンジ色を上塗りしてあります。材質は金属のようでありますが、同量の鉄材などと比べばずいぶん軽く、ジュラルミンのようなアルミ合金とは少し違う触感です。

写真3-(2)はこの破片を裏返しにしたところで、2つの板がリベット打ちで継いであることがわかります。リベットは小間隔の2列ずつで、ナットにはハードロック型が使用されており、非常に強固に強度が保たれているのがわかります。これは明らかに航空機、しかも軍用の仕様であることがわかります。

写真3-(3)は、この破片の破断面をクローズアップしたもので、ちょっと見難いかもしれませんが、真ん中に筋が通っており、この板自体が2枚の貼り合わせで構成されていることを示しています。

写真3をB氏に鑑定していただいた結果、次のような特異な点を見出しました。
 ・このグレー色は米国海兵隊の機材に用いられる塗装
 ・オレンジ色は救難機の識別色として上塗りされる塗装
 ・板は木製チップを含む合板で、地のままの金属よりも軽く安価に強度を増したもの
 ・リベットの打ち方・部材は、軍用としてもかなり強度を要求される部分である

以上を総合し、B氏の出した結論は
 ・米国海兵隊の偵察機 RC-130 の救難仕様、その着陸装置の一部
というものです(図1参照)。

「ええっ!何で米国海兵隊の飛行機が落ちているの?」多くの皆様がそう思うはずです。私も最初は耳を疑いました。しかし、これを裏付けるような報道も実はなされているのです。事故翌日の1985年8月13日、讀賣新聞夕刊にて報道された「4メートルのエンジンプロペラ」との記者目撃報道。RC-130のプロペラ径は約4メートルでまさにこの報道にぴたりと符号するのです。


図1:RC-130の着陸装置

疑問はさておき、写真2についてもB氏は次のように結論付けました
 ・破片の裏側に残っているのは炸薬の破裂痕であり、ミサイル等の弾頭部分であろう
 ・赤色(オレンジ色)の塗装が施していることから、携帯用地対空ミサイルFIM-43
  (通称レッドアイ)の弾頭部分である疑いが濃厚である


写真4:地対空ミサイル レッドアイ

何と、これまで空対空ミサイルの議論をしていたはずなのに、地対空ミサイルまで飛び出してきてしまったのです。また、B氏によると、RC-130の破片が短冊型に(写真5)バラバラになっていることから
 ・地対空ミサイルで撃墜された可能性もあるが、低空飛行中に対戦車ロケット弾
  などの貫通弾をあびて、機体内部で炸裂した可能性の方が高い
と指摘しています。


写真5:短冊形に割れた機体破片


これまで、米軍機が123便をミサイルで撃ち落したのではないか、その事だけに注目していましたが、現実には、もっと複雑な背景がこの事故の裏側にあるようです。米軍機が落ちているとしたら、当然ながら米軍兵士の犠牲者もあったことでしょう。その(おそらく)裏付けとなるのが写真6です。


写真6:現場に残された腕時計 

一見するとなんだか安っぽいデジタル時計のようです。メーカーはSANYO(サンヨー)、デジタルクォーツで防水加工が施されているもの。Made in Japan ですが海外で販売されていたものです。時計バンドの腕周りは、ゆうに20cmを超え、かなり大柄な人物が着用していたことが分かります。

B氏によると、この時計は1980年代、米軍パイロットが使用していたものに間違いないそうです(もちろん軍用品を一般乗客が着用していた可能性もあります)。

吉原公一郎氏が目撃した「オレンジ色の破片」。それが、いったい上記の内のどれを指していたのか不明ですが、オレンジ色には御巣鷹の尾根の闇夜の出来事を解き明かす大きなヒントが隠されている、それだけは間違いなさそうです。

* * *

先日現場に入ったS氏は、御巣鷹の尾根にある慰霊の塔の前で悲痛な面持ちでたたずむ白人男性を目撃したそうです。その方が、ここで命を落とした米軍兵士の関係者かどうかはわかりませんが、どんな理由であれ、この地で果てた全ての命に黙祷を捧げます。

BEATI MITES QUONIAM IPSI POSSIDEBUNT TERRAM

管理者
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