
1969年に初版が出版された大久保利通研究の古典的な本。
明治のジャーナリスト池辺三山は大久保利通のことを「堅忍不抜、一度思い極めたことは非常な執着力をもってそいつを実行する」と評したらしい。
西郷隆盛は自分の「築造と破壊の才」に対して、大久保の「造作の才」を評価した。
大久保が欧州視察の際にドイツのビスマルクと会い、弱小のプロシアが大ドイツ帝国になったことに感銘した。そのドイツにならって富国強兵、殖産興業に邁進したのだとうという解釈。
吉田松陰のように学問を極めたわけでもなく、坂本龍馬のように壮大な発想があったわけでもない大久保利通にとって、ヨーロッパ見聞は理想の未来像を描く素材となったのだろう。西郷隆盛との差はこの欧州視察に行った者と行かなかった者の差かもしれない。
明治のジャーナリスト池辺三山は大久保利通のことを「堅忍不抜、一度思い極めたことは非常な執着力をもってそいつを実行する」と評したらしい。
西郷隆盛は自分の「築造と破壊の才」に対して、大久保の「造作の才」を評価した。
大久保が欧州視察の際にドイツのビスマルクと会い、弱小のプロシアが大ドイツ帝国になったことに感銘した。そのドイツにならって富国強兵、殖産興業に邁進したのだとうという解釈。
吉田松陰のように学問を極めたわけでもなく、坂本龍馬のように壮大な発想があったわけでもない大久保利通にとって、ヨーロッパ見聞は理想の未来像を描く素材となったのだろう。西郷隆盛との差はこの欧州視察に行った者と行かなかった者の差かもしれない。