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金子元久『大学の教育力』

2007-12-28 11:06:21 | 高等教育
この本は日本の大学の教育力について、歴史的源流と新しい変化を踏まえて方向性を示すという内容である。そのため、大半が高等教育史の記述であるともいえる。
ヨーロッパの大学ではフンボルト理念に象徴されるように真理の探究のために学問の自由が保障され、それが大学の自治につながる。そのため、学生には「学習の自由」が保障される。著者はその学習の方法を「探求型」と呼んでいる。
それに対してアメリカの大学では、その多様性やユニバーサル化を経て、学生の学習について大学の「制御志向」が見られる。シラバスで学習内容が明示され、試験や小論文で常に教員と学生との相互作用を行うことなどだ。
日本の大学はヨーロッパのフンボルト型の探求型を前提に発展してきたが、90年代から制御のツールも積極的に導入してきた。21世紀に入って、ユニバーサル化の進行や不況、学力低下などの要因もあり、職業教育も取り入れてきている。

著者が考える日本のこれからの大学像は、ほとんど現状追認のような気がする。
政府の財政支出が諸外国に比べて低すぎることについては、この著者も触れているが。

『最高学府はバカばかり』が歴史のワンショットを詳細に書いているのに対して、この本は現在のワンショットを長い歴史のなかの1シーンと捉えているとも言える。

白井克彦『早稲田はいかに人を育てるか』

2007-04-26 23:57:46 | 高等教育
早稲田大学といえば、スーフリによる集団レイプ事件や科学研究費の不正流用事件という悪いニュースもあるが、ハンカチ王子や卓球の愛ちゃんの入学、藤木直人やくりいむしちゅうの上田が在学していたことなどイメージをアップさせるニュースが上回る。なにしろ早稲田には4万人以上の学生と1000人以上の教員がいるのだ。スーフリの学生や科学研究費不正流用の教員なんて1%にも至らない。それより私学のトップ校として国際教養学部を設立すれば、ICUなどを抜き、偏差値トップになる大学である。そんな大きな早稲田大学で英語力を伸ばすのは早稲田らしくないやり方を導入している。チュートリアルイングリッシュという授業は学生4人が一組になってネイティブかネイティブ並の日本人がチューターになる。1ユニット4万円だが正規科目だ。一万人以上が受講し、巨大な英会話学校がキャンパス内にできている。これは早稲田のOG企業へのアウトソーシングによるものだが、周辺の英会話学校が経営難に陥っている話もあるとか。普通、こういう改革は伝統校ではアカデミック指向の教授陣の反対でつぶされるものだが、ここには経営側の知恵が働いている。テーマカレッジという学際講座をそれらの教授にはあてがっているのだ。異なる学部の学生が受講できるという大義名分もたてている。コンピュータスキルを伸ばす工夫もある。ネットワークにつながる21000台、持ち込みPCも18000台まで接続可能だというインフラがある。そのPCで海外大学の学生とサイバー上でチャットやゼミができる。英語やコンピュータスキルなどの入門教育だけでない。専門職大学院も3つのMBA、ロースクール、会計学大学院、ナンヤン工科大(シンガポール)とのダブルディグリーがえられるMOTなど最先端の人材が養成できるコースがある。かつては教員は三流と言われていたが、早稲田出身教員が100%から60%になったらしい。外の血を入れることで早稲田は活性化している。理工学部を3学部に分け、文学部も再編して文化構想学部と文学部の2学部にした。大学業界の総合商社か百貨店という感じだが、日本の大学生は280万人以上いる。早稲田の学生は1.4%に過ぎない。影響の大きなトップ校であってもマーケットリーダーではない。大学市場は定員設定の限界、規模を広げることによる質の低下などがあり、一定の規模を越えると規模の効果が働きにくいのだ。

矢野眞和『大学改革の海図』

2007-04-22 17:51:22 | 高等教育
工学部出身の教育学者というちょっと変わった経歴の著者が訪問した14大学のレポートが興味深かった。岐阜県立情報科学芸術大学院大学や高崎経済大学のレポートを読むといかに自治体が公立大学へ多大な支出を行っているのかがよくわかるし、政治的な意味合いで設立されている背景にも感心する。岐阜県立情報科学芸術大学院大への県からの投資は学生一人当たり800万円くらいになるそうだ。これは特徴のない岐阜県に世界レベルの研究拠点を作りたいという知事の試みだそうだ。高崎経済大学は国立の群馬大学が前橋市にあることに対する高崎市の経済界などの対抗心から設立されたとのことだ。また教育のグローバル化を考える上で豊田工業大学の例は面白い。豊田工業大学はトヨタ自動車の寄付がなければ運営できないしくみになっている。しかし、トヨタは運営に口を出さず、国立大学以上の教育研究条件で運営され、全国的に評価が高くなっている。しかしそのトヨタがシカゴに大学を作るのは、豊田工業大学で世界水準の教授を招聘しても集まらなかったかららしい。それならアメリカの著名大学と協力して大学をつくって世界水準の研究をしようというトヨタの戦略らしい。日本の大学がグローバル化できない限界も見える。最も興味深かったのは北海道武蔵女子短大のレポートだ。武蔵女子はもともと東京の武蔵大学の卒業生が武蔵大学の教養教育を北海道で実現するために設立された短大だ。札幌市には藤女子、北星学園の短大と武蔵女子短大があるだけだったが、短大の4年制大学化のもとで藤女子、北星学園は短大を廃止・縮小していく。しかし武蔵女子は地域の短大卒採用企業のニーズを守り、教養やしつけ教育に徹したため、縮小市場で結果的に優位になったという。これなどはマイケル・ポーターの競争戦略論の縮小市場での対応が当てはまる例だろう。大学は縮小するサービス産業である。だが、公的な教育機関という性格があるため、財務や管理運営について企業的な視点からみると効率的でない部分がまだ多い。著者は国際比較などから日本では政府の財政支出を増加する必要性を強調する。だが、そのためにはまだまだ経営や財務を改革する余地があるだろう。

ミンツバーグ『MBAが会社を滅ぼす』

2007-04-05 01:30:26 | 高等教育
これは現在のアメリカを中心とするビジネススクールへの批判の書である。批判の立脚点は、企業のマネジメントにはアート(直感)、クラフト(実務経験)、サイエンス(分析)のバランスが必要だが、ビジネススクールはサイエンスを偏重しているというミンツバーグの主張である。ビジネススクールはマネジャーの養成をする所なのに実際は計算に強く、落ち着きがなく、経営の特定分野に詳しい傲慢な専門家を育てているだけだとも言っている。
ミンツバーグはハーバードビジネススクールなどの主な教育方法であるケースメソッドについても実際の企業経営を経験したわけでもないのに経営を判断することを強要していると批判する。HPのフィオリーナのようなMBA取得者が目先の利益だけを重視した会社運営する方法も批判する。またベトナム戦争を泥沼化させたマクナマラ元国防相や政府機関で政府をビジネス化させている者などがMBA取得者であることから、MBAはビジネスにとどまらない範囲で社会に害を与えているという。
たしかにアーツ(直感)なき経営者に本当のビジョンは描けないだろうし、クラフト(実務経験)なき経営者にその業界の本質はわからない気がする。また、ビジネススクールでのケースメソッドの強引な討議方法や選抜制の高いMBAのエリート意識が傲慢さを生むというのもわかる。
後半でミンツバーグは自らが主宰しているIMPM(国際マネジメント実務修士課程)を推奨している。学位もMBAでなくMPM(マネジメント実務修士課程)と呼ぶ。MPMはMBAのアンチテーゼ的な要素で成り立っている。入学資格は現役のマネジャー。学習場所はカナダ、インド、フランス、韓国、日本など。グローバルでなくマルチカルチュラル的な国際体験と企業体験を重視する。参加者同士の実務経験年数や内容を重視し、教育内容では理論とケースのバランスを考え、マネジメントを教育の中心に置くことになる。
しかし、問題もある。学費が1000万円を越えることだ。これでは企業派遣でないと実際には参加できない。学費によって参加する層をぐっと狭めることになるだろう。修了後の離職率が低いのが自慢のようだが、逆に考えるとIMPMを修了してもエンプロイアビリティが低いとも言える。今のビジネススクールにはスクールの運営自体も問題があるだろうが、多くのビジネススクール卒業生が就職するコンサルティング会社や投資銀行などの社会的要請に対応していることも要因ではないのか。それを考えるといまのビジネススクールの仕組みがすぐには変わらないような気もする。
日本ではビジネススクールも助産師養成も一括して専門職大学院としている。教授陣のうち3分の1はその分野で5年以上の実務家でなければいけないとかの基準がある。その割に研究論文の本数とか教員審査は厳しいようだ。これらの基準の根拠はよくわからない。最近では学部なしの専門職大学院はよくないという議論が文部科学省の委員会で出ているようだ。日本らしい形式的な議論だと思う。大学が連邦や州の認可制でないアメリカでビジネススクールについて、ミンツバーグの主張のような本質的な議論がされていることはとても建設的な気がする。日本はビジネススクールの設置もその後の検討も30年以上遅れているようだ。
しかしミンツバーグは日本の企業でのマネジャー養成システムを高く評価している。これはどうしてなのだろうか。その進んだ日本がアメリカのビジネススクールを真似ようとしているという奇妙な現象をどう理解すればよいのか。