公家と武家の関係を通史的に捉えた講演企画のブックレット。
意欲的な試みなのに、最後は西園寺公望が立命館の偉い学祖ってとこにもっていくのがセコいけど。
しかし、それまでの内容は興味深い。
平将門が起こした承平・天慶の乱は、朝廷によって地方豪族を国衛軍制に取り込むことによって鎮圧した。
そこから武士の台頭が進んでいる。
保元・平治の乱で平清盛の平家が軍事行動の主導権を握る。
最後は後白河の幽閉=院政の停止まで至る。
公家と武家の関係はときに後醍醐天皇のように天皇自身が政治も軍事も握ろうとするが、公家政治を尊重し、実質は武家政治が実権を握るという形で明治維新まで続いた。
しかし、その間に公家と武家が一体になろうとしたことがある。
ひとつは足利義満の「公武統一」である。
尊氏の建武新政後に南北朝の統一を果たした。
もう一つが幕末の「公武合体」だろう。
幕末は「尊皇攘夷」論が台頭してくる中で、公家と武家の力関係が微妙になっていったと思う。
結局、徳川幕府の滅亡、武家政治の終焉で終わった。
意欲的な試みなのに、最後は西園寺公望が立命館の偉い学祖ってとこにもっていくのがセコいけど。
しかし、それまでの内容は興味深い。
平将門が起こした承平・天慶の乱は、朝廷によって地方豪族を国衛軍制に取り込むことによって鎮圧した。
そこから武士の台頭が進んでいる。
保元・平治の乱で平清盛の平家が軍事行動の主導権を握る。
最後は後白河の幽閉=院政の停止まで至る。
公家と武家の関係はときに後醍醐天皇のように天皇自身が政治も軍事も握ろうとするが、公家政治を尊重し、実質は武家政治が実権を握るという形で明治維新まで続いた。
しかし、その間に公家と武家が一体になろうとしたことがある。
ひとつは足利義満の「公武統一」である。
尊氏の建武新政後に南北朝の統一を果たした。
もう一つが幕末の「公武合体」だろう。
幕末は「尊皇攘夷」論が台頭してくる中で、公家と武家の力関係が微妙になっていったと思う。
結局、徳川幕府の滅亡、武家政治の終焉で終わった。