ここに、一つの画像を貼り付けてみた。
「父の恩(ちちのおん)」 2巻 市川団十郎(二世)編
英一蜂,小川破笠画 享保15(1730)刊 2冊 26.5×17.3㎝
二世団十郎(俳名三升)が父初世団十郎の二十七回忌のために刊行した追善句集で、享保期を代表する絵入り俳書。
挿絵は墨刷で英一蝶の弟子英一蜂が描く。
最後の挿絵4図は初世団十郎(俳名才牛)が春夏秋冬を詠んだ四季の句に合わせて、芭蕉の門弟で漆芸家、画家としても活躍した小川破笠が描いている。
この部分は手彩色と版彩色を併用、彩色刷版本の最初期の作例である。
なお、物故俳優65人の名なども記されており、演劇資料としても貴重である。
小汀利得旧蔵本 (国会図書館HPから)
という記事が紹介されている。
以前、大倉集古館で、詩箋というものを見たことがある。
これは美しい印刷で、エンボス加工された紙に色付けされた花鳥図があり、
その横に詩の一節らしきものが載っていた。
後から思えば、
印刷のカラー刷りの大元なのではなかったかと思う。
これまた、中国からの文化交流なのか、と思ったのだった。
大倉コレクションが収集した意図はわからないが、
確かに、線彫りのきれいな印刷だったことには間違いない。
東博の東洋館で、書の展覧があると、
冊子に1ページごとにぐるりと巡らした額縁のような飾り彫りが
施された本と遭遇する。
そのページには朱肉の色も鮮やかな印。
文字のデザインとしても目を見張るものがあった。
詩箋といえば、
町田市立国際版画美術館発行の「黄檗美術と江戸の版画」
を若冲の版画を紹介しているからと求めていた図録を思い出した。
そのあいさつの一文に
・・・
本展覧会の眼目は、詩箋を飾る彩色の挿絵と、
江戸の色彩版画の関係を探ることです。
・・・
小川破笠の「父の恩」の彩色方法に見られる見当合わせの方法と
詩箋における見当合わせの類似点、また、「風のすゑ」に認められる
詩箋からの図様の借用などを考えた時、
・・・色々な系譜の終着点として錦絵が存在するとはいえ、
・・・これほど直接的な接点をもつ詩箋の存在意義は
高いといわざるをえません。
黄檗僧らによって舶載された、この愛らしくもあり、
かつ優美でもある詩箋が。錦絵登場に欠かせない、
技術的なアイディアを提唱していたことには実に驚かされます。
・・・
いかがでしょうか?
詩箋と浮世絵の熱い関係ガンガン感じてきます。
黄檗宗の僧が、持ち込んだ、「詩箋」
それがどうも印刷の色付けに関係があるらしい。
そこに何故か登場する、小川破笠。
英一蝶に絵を学ぶ。
芭蕉が俳句の先生。
二代目団十郎と懇意にする。
津軽藩主 津軽信寿にあつく抱えられる。
英一蝶といえば、岩佐又兵衛の流れの絵師だが、悪所通いがたたって
三宅島に流されたにもかかわらず、パワフルに絵を描き続けた。
そして、奇態なる江戸のデザインとして
芸術新潮に載った、
破笠作の漆芸の工芸品。刀の鍔が散りばめられた
「刀装具衣装茶箱」
古墨のデザインそのまま写したような「古墨形香合」や、印籠、
サントリー美術館にある、
「貝尽意匠硯箱」
この意匠も墨の意匠にヒントを得たものらしい。
破笠の近くにどうして中国の文人が持っている文房具が身近にあったのか、
よくわからないが、津軽藩主とのかかわりも大きそうだ。
版画にも興味があったようだ。
先に上げた、「父の恩」「風のすゑ」などに版画が掲載されている。
自分で彫ったかどうかまではわからない。
そして、驚くほど流麗な美人画を描いてもいるのだ。
美人画といえば、英一蝶から学んだのだろうか?
また、漆芸の貝尽くしのデザインは、
若冲の貝尽くし、動植綵絵を思い出す。
若冲と漆芸の下絵との関わりを何かの本で読んだ気がする。
若冲との関係は直接ではないにしても
黄檗宗でつながるのだろうか?
ぬ~~~
これは~~~
そういうわけで、
江戸の熱いゲイジツの熱風に顔面まっすぐに当たり、
あぁでもない、こうでもないと本をばさばさめぐり
頭もグルグルの日々を送っておるのでございます。
それもこれも浮世絵のなせる業、
なのでございます。
しかも、ワタクシメが気にしている御仁がとぐろを巻いておるのです。
又兵衛、英一蝶、小川破笠、若冲、・・・・・
時代がゲイジツを呼んでいたのでしょう、
しばし、その熱に浮かされておりたいと思います。あらあらかしこ
参考
芸術新潮 江戸の奇体美 1990、5
黄檗美術と江戸の版画 町田市立国際版画美術館 2004、10
日本の美術 1 NO、260 英 一蝶
日本の美術10 NO、389 小川破笠
「父の恩(ちちのおん)」 2巻 市川団十郎(二世)編
英一蜂,小川破笠画 享保15(1730)刊 2冊 26.5×17.3㎝
二世団十郎(俳名三升)が父初世団十郎の二十七回忌のために刊行した追善句集で、享保期を代表する絵入り俳書。
挿絵は墨刷で英一蝶の弟子英一蜂が描く。
最後の挿絵4図は初世団十郎(俳名才牛)が春夏秋冬を詠んだ四季の句に合わせて、芭蕉の門弟で漆芸家、画家としても活躍した小川破笠が描いている。
この部分は手彩色と版彩色を併用、彩色刷版本の最初期の作例である。
なお、物故俳優65人の名なども記されており、演劇資料としても貴重である。
小汀利得旧蔵本 (国会図書館HPから)
という記事が紹介されている。
以前、大倉集古館で、詩箋というものを見たことがある。
これは美しい印刷で、エンボス加工された紙に色付けされた花鳥図があり、
その横に詩の一節らしきものが載っていた。
後から思えば、
印刷のカラー刷りの大元なのではなかったかと思う。
これまた、中国からの文化交流なのか、と思ったのだった。
大倉コレクションが収集した意図はわからないが、
確かに、線彫りのきれいな印刷だったことには間違いない。
東博の東洋館で、書の展覧があると、
冊子に1ページごとにぐるりと巡らした額縁のような飾り彫りが
施された本と遭遇する。
そのページには朱肉の色も鮮やかな印。
文字のデザインとしても目を見張るものがあった。
詩箋といえば、
町田市立国際版画美術館発行の「黄檗美術と江戸の版画」
を若冲の版画を紹介しているからと求めていた図録を思い出した。
そのあいさつの一文に
・・・
本展覧会の眼目は、詩箋を飾る彩色の挿絵と、
江戸の色彩版画の関係を探ることです。
・・・
小川破笠の「父の恩」の彩色方法に見られる見当合わせの方法と
詩箋における見当合わせの類似点、また、「風のすゑ」に認められる
詩箋からの図様の借用などを考えた時、
・・・色々な系譜の終着点として錦絵が存在するとはいえ、
・・・これほど直接的な接点をもつ詩箋の存在意義は
高いといわざるをえません。
黄檗僧らによって舶載された、この愛らしくもあり、
かつ優美でもある詩箋が。錦絵登場に欠かせない、
技術的なアイディアを提唱していたことには実に驚かされます。
・・・
いかがでしょうか?
詩箋と浮世絵の熱い関係ガンガン感じてきます。
黄檗宗の僧が、持ち込んだ、「詩箋」
それがどうも印刷の色付けに関係があるらしい。
そこに何故か登場する、小川破笠。
英一蝶に絵を学ぶ。
芭蕉が俳句の先生。
二代目団十郎と懇意にする。
津軽藩主 津軽信寿にあつく抱えられる。
英一蝶といえば、岩佐又兵衛の流れの絵師だが、悪所通いがたたって
三宅島に流されたにもかかわらず、パワフルに絵を描き続けた。
そして、奇態なる江戸のデザインとして
芸術新潮に載った、
破笠作の漆芸の工芸品。刀の鍔が散りばめられた
「刀装具衣装茶箱」
古墨のデザインそのまま写したような「古墨形香合」や、印籠、
サントリー美術館にある、
「貝尽意匠硯箱」
この意匠も墨の意匠にヒントを得たものらしい。
破笠の近くにどうして中国の文人が持っている文房具が身近にあったのか、
よくわからないが、津軽藩主とのかかわりも大きそうだ。
版画にも興味があったようだ。
先に上げた、「父の恩」「風のすゑ」などに版画が掲載されている。
自分で彫ったかどうかまではわからない。
そして、驚くほど流麗な美人画を描いてもいるのだ。
美人画といえば、英一蝶から学んだのだろうか?
また、漆芸の貝尽くしのデザインは、
若冲の貝尽くし、動植綵絵を思い出す。
若冲と漆芸の下絵との関わりを何かの本で読んだ気がする。
若冲との関係は直接ではないにしても
黄檗宗でつながるのだろうか?
ぬ~~~
これは~~~
そういうわけで、
江戸の熱いゲイジツの熱風に顔面まっすぐに当たり、
あぁでもない、こうでもないと本をばさばさめぐり
頭もグルグルの日々を送っておるのでございます。
それもこれも浮世絵のなせる業、
なのでございます。
しかも、ワタクシメが気にしている御仁がとぐろを巻いておるのです。
又兵衛、英一蝶、小川破笠、若冲、・・・・・
時代がゲイジツを呼んでいたのでしょう、
しばし、その熱に浮かされておりたいと思います。あらあらかしこ
参考
芸術新潮 江戸の奇体美 1990、5
黄檗美術と江戸の版画 町田市立国際版画美術館 2004、10
日本の美術 1 NO、260 英 一蝶
日本の美術10 NO、389 小川破笠