あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

大琳派展(東博)を見て 其の三・光琳と乾山

2008-12-04 13:10:28 | 日本美術
言い訳を言うとすれば、
その位簡単な相手じゃないということ。
この兄弟の存在が、半端じゃないということ。
そんなことはさておき、諦めて本題。

光琳と乾山兄弟は雁金屋という呉服問屋の大店に生まれ、
生涯自分の生活に苦しむはずのない環境だった。
にもかかわらず、
ご贔屓の東福門院は亡くなり、後水尾院も亡くなり、
やがて父親も亡くなり、雁金屋の屋台が大きく傾いた。
時代が変わっていくことを目の当たりにした。

溢れる遺産も食い潰し、
いよいよ自分達の生活を自分の生業で生活していかなければ、
身動き取れなくなったのだと思う。

そうそう甘い汁は出続けるものではない。
諸行無常の響きあり、なのだ。
厳しい状況がギリギリ迫ってくるまで、
光琳は放蕩三昧。
生活する原点を見ないで育った所為なのか?
乾山は遊びに興味がなかったように思う。
兄より先に堅実に生きる方法を手にしていた。
いよいよ兄さんは行き詰まり、弟の進言もあって、
絵を描いてなんとかお金を工面することを
必要に迫られて選ばざるを得なかったようだ。

生まれ育った環境が幸いした。
この世の贅の極みを普通に見て暮らしていたのだから。
光悦の書があり、父の宗謙も名書家だった。
能や、歌にも親しみ、宗達の扇や屏風なども
周りで何気なくあったのを見て育ったのだと思う。
宗達の屏風を処分した話もどこかで読んだ。
一方、やきもの茶碗や楽家の繋がりもあり、
仁清とも交流があり、
光悦の孫光甫からもやきものの手ほどきを得ていた
乾山は、様々なやきものにチャレンジしていた。
この点は、去年の出光で、充実の展覧会を開催して、
とても有意義だった。
兄さんしっかりおし、という手紙も出光に出ていた。

そんな類い希な兄弟の意を決しての濃厚な生き様。

光琳
 * 燕子花図屏風
   今は改築中の根津美術館蔵のお宝。
   この屏風が左右隻並んだだけで、感動もの。
   広い場所で、誇らしげに花開いていた。
   MOAの紅白梅図屏風より、こちらのほうが好き。
   迫力満点で、ずんずん迫ってくる。
   見ることができて、本当によかった。大満足。

 * 秋草図屏風
   「対決」では菊だけが描かれた菊図屏風があって、
   その流れだと思うが、個人的には菊図屏風のほうが好き。
   しかし、小袖の図案のように可憐でかわいらしい。
 
 * 四季草花図巻
   光琳が描いた花の形が散らばっていて、
   見ていて楽しい。
   のどかで、ゆったりした雰囲気が乾山の絵皿の絵付けにも
   通じる。

 * 仕丁図扇
   俵屋の扇面を模したと思われる(図録より)そうだが、
   なんとも愉快な気分だし、緑色とポイントの青が効いている。
   団扇とか、小さなものにも楽しい作があるのが光琳らしい。

 * 扇面貼交手筥
   この色の鮮やかなこと!
   奈良の大和文華館はいいものを所蔵している。
   これぞ、雅カラー
   一つで11倍美味しい仕立て。

 * 小袖 白綾地秋草模様
   雁金屋の息子の面目躍如!
   描かれた花達は秋草図にもその姿が見られるが、
   淡い青の桔梗が愛らしい。
   江戸の材木商夫人の冬木小袖といわれ、
   光琳が直接筆をとったらしい。
   纏った冬木夫人の感想はいかがだったのだろう。
   江戸で、京都の大店の息子が描いた京都趣味の絵柄は
   さぞもてはやされたことだろう。
  
 * 八橋蒔絵螺鈿硯箱
 * 水葵蒔絵螺鈿硯箱
 * 佐野わたり蒔絵硯箱

   この3点の蒔絵硯箱は、光悦の流れを汲んでいるのだと思うが、
   より、洗練されて、近代的で、おしゃれだ。
   軽やかさが使う人の心をつかむ。
   デザイン力があるなぁと感心する逸品群。

乾山
 * 染付金銀彩松波文蓋物
   これぞ乾山、出光からの逸品。
   やきもので、蓋物をつくった画期的な作品。
   
 *色絵瀧田川文向付
   これも、いかにも乾山。
   小さな小皿に瀧田川の紅葉が、波が動く。
   茶懐石でなにを載せて食べたのだろう?
   黒い羊羹でもいいし、
   サトイモの煮付け、柚子あんかけもすてき。
   葉唐辛子でもいいし、
   鮒寿司もいいなぁ。食意地が過ぎた・・・
 
 * 色絵椿図香合
   文句なく好き。
   今回蓋が開いて、中が見られたのがラッキー。
   思ったとおりの渋い柄だった。

 * 定家詠十二ヶ月和歌花鳥図・四月、正月、二月、霜月
   乾山はやきものに新風を吹き込んだが、
   絵もとってもいい味が出ていて、大好きだ。  
   この鄙びた雰囲気はいつ見ても癒される。

 * 立葵図屏風
   光琳描く立葵図をぐっと意匠化したリズム感ある屏風。
   光琳の絵よりも個人的には乾山贔屓だ。

 * 梅・撫子・萩・雪松図
   これらを絵皿に仕立てたら、素敵だろう。
   乾山の書は絵に通じて、ゆったりのびやか。
 
 * 春柳図
   仙にも通じるような、俳画のよう。
   老境に入り、江戸に下った乾山。
   輪王寺宮公寛親王に従って江戸に下った、そうだ。
   その親王との関わりが気になるところだが、
   朝顔市で有名な入谷にその窯跡の碑があったと思う。
   やきものから、絵画に新しい境地を探したのだろうか。

惜しいことに、乾山のコーナーは、出光展の枠を出ることができず、
とくにやきものの点数が少なく残念ではあったが、
絵画においては立葵図など、初めて見るものがあって、
楽しめた。

この二人のベースには図らずも光悦・宗達が身に沁みていて、
王朝文化の雅が普段にあったことが功を奏していたのだと思う。
彼らはなんと言っても、江戸に行って、
武家社会に京文化の香を届けたことに大きな意義を持ち、
その後、抱一、其一を生む事となるのだった。

この二人こそが京都の町民文化、
雅な王朝文化を江戸に知らしめた大きな力だったのだと思う。
琳派をゆるぎないものとして。
工芸のすばらしさを体現して。
それを拾った、私淑した抱一、其一が後に控えます。

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