あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

誌上のユートピア・うらわ美術館 つづきその1

2008-05-31 15:43:19 | 美術展
アールヌーボー、もしくはアールデコという様式美が西洋骨董の中で、
突出したきらめきの存在であることは周知のこと。
1895年から1905年の間にアールヌーボーは絶頂期にあったらしい。

今日書いているこの記事は、図録の解説に学ぶことが大きい。

日本は1868年、明治となり、江戸は東京となった。
欧米諸国と通商が開始され、
ジャポニズムの源流が西洋に流れた。

1852年はあのナポレオンがフランスの皇帝となった年。
陶磁器や浮世絵がフランスで、驚きの存在となった。
日本の美とは、生活を美しく、自然と一緒に生きること。
静かで、フラットで、形式的、技巧的ではあるけれど、
その中に不完全なもののあわれ、情緒に美を見る。

アメリカでは南北戦争、フランスも晋仏戦争、イタリアが統一され、
ドイツ帝国が生まれる。
中国も後に辛亥革命が起こり、清朝が揺れた。
世界中で、様々な混沌が生まれていた。
キリスト教も変化していった。

明治となって、ようやく日本にも世界の近代化の窓が開けられた。
欧米の文化を学ぶ時が必然にやってきた。
フランスやイギリスに日本を背負った人々がどんどん学びに行った。
彼らが欧米の現状を伝える役割を担った。
あまりにも異色な異質な芸術文化があることを、目の当たりにし、
熱気を帯びて、うなされ、染まり、日本に伝えなければならないと思った。
世界はこんな事になっているのだと。
3次元、立体、写実、リアル、身体美、天井への螺旋、悪徳の陶酔
突然現れた見たことのない異空間。

当地の教授クラスの人達が日本に来て、教鞭を執る。
誰もがその芸術に驚嘆し、しびれ、憧れた。
洋画習得のために絵描きとなる以上、西洋を目指した。

その先にあったのが、
象徴主義アールヌーボー。
美術雑誌の存在だ。

印刷技術の進歩、写真技術の進歩、雑誌自体を美術品と見る意識。

それらは、瞬く間に日本に伝搬し、日本の芸術家達の心を捉えた。
つまり、この「誌上のユートピア」展は、
日本の美術雑誌の誕生とその軌跡、
それに関わった芸術家の活動の軌跡、
それに影響された人々の憧れ、熱狂のユートピア展覧だったのだ。

つづく

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2 コメント

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Unknown (Tak)
2008-06-14 11:21:17
こんにちは。

今日から愛知に場所を移しましたね。
名古屋まで追いかけてもいいくらいです。
返信する
Tak さま (あべまつ)
2008-06-14 21:11:56
こんばんは。

今、名古屋入りしたのですね。
美学をもっと若い時に取り組んでおけば良かったと、実感したのでした。
陶酔と、熱狂の情熱がくるりくるくるします。
返信する

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