展覧は、6章に別れて、時系列にまとめられている。
図録の巻頭に寄せた、
ー眼の驚きと熱狂ー美術雑誌の語ること
として、
神奈川県近美館長 山梨俊夫氏の言葉が熱を帯びている。
内容をかいつまむとする。
最初に日本人が驚いたのは、幕末に触れたヨーロッパの絵画技術の描写力。
その後、又驚くべき事があった。
印刷技術の飛躍的進歩による、ヨーロッパの美術雑誌の登場だ。
その影響から、生まれた数々の美術雑誌。
雑誌ではありながら、絵画、文学、音楽へとその波が広がる。
その熱狂をこの展覧で、確かめることだろう。
また、
ー隠された誌上のユートピアー
を同じく神奈川県近美の企画課長 水沢勉氏が寄稿している。
これはまた深く内容を理解する上で、大いなる助けとなる一文だと思う。
Ⅰ章 ヨーロッパにみる美術雑誌の隆盛
この章では、19世紀末に次々と刊行された美術雑誌を紹介。
美術雑誌その物が美術作品とする傾向が生まれた。
・ベルリン 「パン」1895~1900
「文学と言葉の芸術的創作のための月刊誌」と称した。
牧羊神(パン)の頭像が表紙で、付録にロートレックや、ムンク、ロダン、
マックス・クリンガーなどの有名画家の版画を提供した最も豪華な美術雑誌。
当時のベルリン世紀末の象徴主義的な雰囲気を最も伝える。
誌上のシクラメンのカットデザインが素敵だった。
・ミュンヘン 「ユーゲント」1896~1940
「芸術と生活のための週刊誌」を謡い、大衆的に成功した雑誌。
ドイツ語圏の「ユーゲント(青春)シュティール」は、
「アールヌーボー」の呼称で、この雑誌が語源となる。
ユーゲントのロゴがシュールで、後に明星のロゴにも通じる。
色使いが幻想的で、表紙デザインはなんとも素晴らしい。
・ウィーン 「ヴェル・サクルム」1898~1903
クリムトが主導する、ウィーン分離派の機関誌。
「聖なる春」を意味し、リルケ、メーテルリンク、などの文学者が寄稿。
クリムト、クノップフらが版画、装飾画を寄稿し、
誌面を全体として統一デザインすることに成功。
正方形の判型など実験的な、質の高い紙面展開をした。
・パリ 「ココリコ」1899~1902
フランス席末のアール・ヌーボーを代表する風刺雑誌。
風刺的な精神の画家達や、表紙のコケコッコーを描いた、
アレクサンドル・スタンランや、ミュシャ、なども参加した。
パリに花開いたカフェ・コンセール文化の感化もあった。
・ロンドン 「イエロー・ブック」1894~1897
イギリスを代表する季刊雑誌。
出版業者レインがオスカー・ワイルド著「サロメ」の挿絵を
ビアズリーに依頼したことから、
スキャンダラスな評判と成功を収めた。
ビアズリーが描いたエロティックなイメージは、ロンドンを震撼させ、
日本のみならず世界に影響を与えた。
今回は、その「サロメ」から、挿絵が最初から最後まできっちり
展示されて、耽美なる世界に釘付け。
黒一色で、装飾された線に無駄がなく、都会的なデザイン。
悪徳邪悪な美しさに狂おしくなる。
ワイルドの不幸な裁判により、ビアズリーも外されてしまう。
ここまでが、Ⅰ章。
ヨーロッパで生まれた、大きな美術雑誌のうねりが海を渡る時が来る。
いよいよ、アールヌーボー日本上陸だ。
つづく。
図録の巻頭に寄せた、
ー眼の驚きと熱狂ー美術雑誌の語ること
として、
神奈川県近美館長 山梨俊夫氏の言葉が熱を帯びている。
内容をかいつまむとする。
最初に日本人が驚いたのは、幕末に触れたヨーロッパの絵画技術の描写力。
その後、又驚くべき事があった。
印刷技術の飛躍的進歩による、ヨーロッパの美術雑誌の登場だ。
その影響から、生まれた数々の美術雑誌。
雑誌ではありながら、絵画、文学、音楽へとその波が広がる。
その熱狂をこの展覧で、確かめることだろう。
また、
ー隠された誌上のユートピアー
を同じく神奈川県近美の企画課長 水沢勉氏が寄稿している。
これはまた深く内容を理解する上で、大いなる助けとなる一文だと思う。
Ⅰ章 ヨーロッパにみる美術雑誌の隆盛
この章では、19世紀末に次々と刊行された美術雑誌を紹介。
美術雑誌その物が美術作品とする傾向が生まれた。
・ベルリン 「パン」1895~1900
「文学と言葉の芸術的創作のための月刊誌」と称した。
牧羊神(パン)の頭像が表紙で、付録にロートレックや、ムンク、ロダン、
マックス・クリンガーなどの有名画家の版画を提供した最も豪華な美術雑誌。
当時のベルリン世紀末の象徴主義的な雰囲気を最も伝える。
誌上のシクラメンのカットデザインが素敵だった。
・ミュンヘン 「ユーゲント」1896~1940
「芸術と生活のための週刊誌」を謡い、大衆的に成功した雑誌。
ドイツ語圏の「ユーゲント(青春)シュティール」は、
「アールヌーボー」の呼称で、この雑誌が語源となる。
ユーゲントのロゴがシュールで、後に明星のロゴにも通じる。
色使いが幻想的で、表紙デザインはなんとも素晴らしい。
・ウィーン 「ヴェル・サクルム」1898~1903
クリムトが主導する、ウィーン分離派の機関誌。
「聖なる春」を意味し、リルケ、メーテルリンク、などの文学者が寄稿。
クリムト、クノップフらが版画、装飾画を寄稿し、
誌面を全体として統一デザインすることに成功。
正方形の判型など実験的な、質の高い紙面展開をした。
・パリ 「ココリコ」1899~1902
フランス席末のアール・ヌーボーを代表する風刺雑誌。
風刺的な精神の画家達や、表紙のコケコッコーを描いた、
アレクサンドル・スタンランや、ミュシャ、なども参加した。
パリに花開いたカフェ・コンセール文化の感化もあった。
・ロンドン 「イエロー・ブック」1894~1897
イギリスを代表する季刊雑誌。
出版業者レインがオスカー・ワイルド著「サロメ」の挿絵を
ビアズリーに依頼したことから、
スキャンダラスな評判と成功を収めた。
ビアズリーが描いたエロティックなイメージは、ロンドンを震撼させ、
日本のみならず世界に影響を与えた。
今回は、その「サロメ」から、挿絵が最初から最後まできっちり
展示されて、耽美なる世界に釘付け。
黒一色で、装飾された線に無駄がなく、都会的なデザイン。
悪徳邪悪な美しさに狂おしくなる。
ワイルドの不幸な裁判により、ビアズリーも外されてしまう。
ここまでが、Ⅰ章。
ヨーロッパで生まれた、大きな美術雑誌のうねりが海を渡る時が来る。
いよいよ、アールヌーボー日本上陸だ。
つづく。