あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

誌上のユートピア・うらわ美術館 つづきその2

2008-06-01 00:04:28 | 美術展
展覧は、6章に別れて、時系列にまとめられている。
図録の巻頭に寄せた、
ー眼の驚きと熱狂ー美術雑誌の語ること
として、
神奈川県近美館長 山梨俊夫氏の言葉が熱を帯びている。
内容をかいつまむとする。
 最初に日本人が驚いたのは、幕末に触れたヨーロッパの絵画技術の描写力。
 その後、又驚くべき事があった。
 印刷技術の飛躍的進歩による、ヨーロッパの美術雑誌の登場だ。
 その影響から、生まれた数々の美術雑誌。
 雑誌ではありながら、絵画、文学、音楽へとその波が広がる。
 その熱狂をこの展覧で、確かめることだろう。

また、
ー隠された誌上のユートピアー
を同じく神奈川県近美の企画課長 水沢勉氏が寄稿している。
これはまた深く内容を理解する上で、大いなる助けとなる一文だと思う。

Ⅰ章 ヨーロッパにみる美術雑誌の隆盛
 この章では、19世紀末に次々と刊行された美術雑誌を紹介。
 美術雑誌その物が美術作品とする傾向が生まれた。
 ・ベルリン 「パン」1895~1900
  「文学と言葉の芸術的創作のための月刊誌」と称した。
  牧羊神(パン)の頭像が表紙で、付録にロートレックや、ムンク、ロダン、
  マックス・クリンガーなどの有名画家の版画を提供した最も豪華な美術雑誌。
  当時のベルリン世紀末の象徴主義的な雰囲気を最も伝える。
  誌上のシクラメンのカットデザインが素敵だった。
 
 ・ミュンヘン 「ユーゲント」1896~1940
  「芸術と生活のための週刊誌」を謡い、大衆的に成功した雑誌。 
  ドイツ語圏の「ユーゲント(青春)シュティール」は、
  「アールヌーボー」の呼称で、この雑誌が語源となる。
  ユーゲントのロゴがシュールで、後に明星のロゴにも通じる。
  色使いが幻想的で、表紙デザインはなんとも素晴らしい。
   
 ・ウィーン 「ヴェル・サクルム」1898~1903
  クリムトが主導する、ウィーン分離派の機関誌。
  「聖なる春」を意味し、リルケ、メーテルリンク、などの文学者が寄稿。
  クリムト、クノップフらが版画、装飾画を寄稿し、
  誌面を全体として統一デザインすることに成功。
  正方形の判型など実験的な、質の高い紙面展開をした。
  
 ・パリ 「ココリコ」1899~1902
  フランス席末のアール・ヌーボーを代表する風刺雑誌。
  風刺的な精神の画家達や、表紙のコケコッコーを描いた、
  アレクサンドル・スタンランや、ミュシャ、なども参加した。
  パリに花開いたカフェ・コンセール文化の感化もあった。

 ・ロンドン 「イエロー・ブック」1894~1897
  イギリスを代表する季刊雑誌。
  出版業者レインがオスカー・ワイルド著「サロメ」の挿絵を
  ビアズリーに依頼したことから、
  スキャンダラスな評判と成功を収めた。
  ビアズリーが描いたエロティックなイメージは、ロンドンを震撼させ、
  日本のみならず世界に影響を与えた。 
  今回は、その「サロメ」から、挿絵が最初から最後まできっちり
  展示されて、耽美なる世界に釘付け。 
  黒一色で、装飾された線に無駄がなく、都会的なデザイン。
  悪徳邪悪な美しさに狂おしくなる。
  ワイルドの不幸な裁判により、ビアズリーも外されてしまう。

ここまでが、Ⅰ章。
ヨーロッパで生まれた、大きな美術雑誌のうねりが海を渡る時が来る。
いよいよ、アールヌーボー日本上陸だ。

つづく。

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