あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

東博 特集陳列「館蔵能面名品撰」 ・東京国立博物館

2008-02-25 10:31:37 | 日本美術
1階の展示コーナーは、前回とほとんど変わっていないから、
2階を丹念に見た。

特に特別1室では「能面名品撰」とあったので、
楽しみに入った。

数回の薪能鑑賞と、
あと少しだけTVで能舞台を見た程度で、
能はまだまだ未開の世界ではあるけれど、
この世のものとあちらの世界との交流。
今様ならば、スピリチュアルな世界。
鬼が出てくるし、
翁が出てくる、
凶人が出てくるし、
怨霊を背負っている人がこの世に何かを言わんとして
現れる。
ひととき語りたいことを謡い上げて、
橋掛かりに消えていく。
笛と鼓と、人の声がクライマックスを演じる。

そんなこと程度の理解で面を鑑賞するのも
恥ずかしいけれど、
単純に能面を見ているだけで、
もの凄いパワーをもらえる。

目玉を金色で縁取り、眼力をつける。
遠目で燭台の明かりで翻った瞬間、キラリする。
ただ者じゃないという演出。

表情を抑制することを理想とした世阿弥。
能舞台の衣装は絢爛だし、所作、踊りも相当オーバーだ。
型、の中で極限を表現するようだ。

橋掛かりは、この世とあの世の架け橋。
す~っと現れ、
何事もなかったかのように
また引き込まれ、消えていく、それまでの夢の時間。

今こうして能面を目の前にすると、
やはりあの世の世界の顔だと思った。
私には見えない世界だけれど、
こんな顔の人、神様達がこの世の世界に
言いたいことを言いに、時々現れるのだと思った。

世阿弥は見えていたのだ。

その面を付けて、物語に入り込み、動き出すことの凄さを
目の前で鑑賞できたらと、
能舞台を夢見た。

彼らは(展示された能面)神の仕事が終わったのか、
魂が抜けているけれど、
残像は残っている。
室町の足利将軍達に寵愛された能。
どんな思いで狂喜されたのだろう?

展示は3月2日まで。

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