あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

誌上のユートピア・うらわ美術館 つづきその6

2008-06-07 16:51:15 | 美術展
Ⅴ章 伝統と変容

「國華」は、岡倉天心が高橋健三とともに創刊した最初の
日本美術研究誌。
1889~今現在も朝日新聞から出版されている。
この夏、創刊百年記念事業として、東京国立博物館で、
「対決」が企画されていることは、
この企画展の様々な切り口が見えてくる。
現在の編集メンバーを見れば、なるほど、納得。

西洋画の習得と、
ジャポニズムで熱狂する西洋で吹いたアール・ヌーボーの嵐、
国を挙げての欧風化に対して、
本国、日本では古来の美術を再度見つめ直す、
チャンス到来でもあったようだ。
奇しくもアメリカからやってきた東京大学の教師、
フェノロサによって日本古来の美術に目覚める。

日本は、とかく海外からその良さを知らされる運命があるようだ。

「國華」は、
新聞紙の四分の一の大判で、当時1円もかけて、
創刊された、月刊日本、東洋の美術研究専門誌。
(クリックすると「國華」の現在が見えます!)
印刷にも高品質で美術一般に影響を与えた。
1905年から、朝日新聞社長、
村山龍平がこの事業を引き受けた。
以来、現在に置いても朝日新聞社が発売元となっているわけだ。

以前古本屋で手に入れた「國華」が手元にあるが、
印刷雑誌、というイメージから離れて、
アカデミックな図版誌という感じ。
(昭和54年3800円が平成19年で900円!)

天心の東京美術学校から、日本美術院の設立、
ボストン美術館での仕事などの偉業については、
私の範囲を越えるので、ここでは書けないが、
今年の大観の展覧会など、
影響の大きさは絶大であることは間違いない。

こうして、伝統、を見つめなおす動きは
他の雑誌にも見いだされた。

「意匠世界」東京の澤九皐
「京都美術」京都の神坂雪佳
着物デザインのような、美しいデザインと、
新たな創作、その色使いに見惚れるばかり。

新しい意匠の場は、絵葉書や、装丁本などにも見られる。

鏑木清方や、杉浦非水などによる装丁コラボレーションは
小説の内容と深く関わって、見るものに歓喜を与える。
去年、横浜美術館で
「鑓権三重帷子」を描いた鰭崎英朋という画家を
初めて知ったのだが、
図録にその絵が紹介されていて、
改めて、鰭崎英朋の妖しげな魅力にうっとりした。

また、清方の「妖魚」という屏風絵。
この空恐ろしいほどの美しさは、なんだろう?
実際、展覧会では見ることができなかったが、
いつか、この屏風を目にしたいと思った。

こうして、西洋の風に吹き荒れる中、日本古来の美術を
見直す時がきたけれど、
西洋に学んだ画家たちと、日本画家たちの間には
西洋、東洋日本と近代の美術が混在した、
新しい表情が見えてきた。

世紀末、世界中に新しい美術の台風が駆け巡っていた、
そんな眩しい時代だったのだ。

次で、いよいよ終章。ラストスパート、頑張ります。

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2 コメント

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Unknown (遊行七恵)
2008-06-08 17:52:08
こんにちは
鰭崎は挿絵画家で、清方とも仲良しさんでした。
コラボ作品もあります。
TVのない時代、大相撲の取り組みもこの画家が取り組みごとに見事な絵を新聞に連載したりしていたそうです。
大正頃の妖艶な清方の絵は、やはりとても好きです。
清澄なそれより、ずっと好ましいです。
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遊行 さま (あべまつ)
2008-06-08 21:53:18
こんばんは。
今回色んなことを学びました。
清方と、鰭崎英朋のコラボ作品、見てみたいです。
「妖魚」は本当にドッキリします。
歌麿の妖艶美女が赤い蝋燭の人魚になったような。
両生類的なぬめりが感じられます。
尾びれがビチッと小さな音を立てていそう。
鎌倉に行きたくなりました。
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