あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

誌上のユートピア・うらわ美術館 つづきその3

2008-06-01 23:48:45 | 美術展
今日は、ヨーロッパの新しい美術雑誌のウェーブが日本に届くところです。

Ⅱ章 白馬会周辺の展開

1896年、黒田清輝、久米桂一郎を中心に「白馬会」が結成される。
既に二人はフランス留学で、洋画を学んできた。
1900年のパリ万博に、黒田、久米、和田栄作、岡田三郎助、
などの白馬会主要メンバーが行き、
当時のアール・ヌーボーに摂してくる。
その年の第5回白馬会において、ミュシャのポスター、
薔薇十字会展ポスターが展示された。
それらを感受性豊に受け止めたのが、
パリに同行しなかった、藤島武二であった。
彼の作品からは匂い立つ夢が花開いて見える。

 ・明星 1900~1908
  与謝野鉄幹が結成した東京新詩社の機関誌として刊行。
  「文学美術の両面より国民一般の芸術眼を一新せんが為」
  と鉄幹が書く。
  伝統的な木版技術と、写真製版が組み込まれ、
  機械印刷技術が大いに使われた。
  藤島武二、中澤弘光、和田英作、一条成美、山本鼎、
  などが斬新な作品を発表する。
  中でも、白瀧幾之助の「さくら」の表紙絵が印象的だった。

 ・光風 1905~1908
  白馬会創立10周年を記念にして創刊された高価な美術雑誌。
  黒田清輝、和田英作、藤島武二、中澤弘光、長原孝太郎(止水)
  合田清、などが発表。
  
そして、その流れは、青木繁、坂本繁二郎らに受け継がれ、
橋口五葉の登場となる。
日本的な、アールヌーボーの解釈のよう。
三越呉服店の美人ポスター、
特に夏目漱石、泉鏡花などの本の装丁を目の前にすると、
ジャポニズム・アールヌーボー、至極の宝箱のように見えた。
三越の機関誌の表紙を飾ったのは、杉浦非水。
彼の仕事ぶりを美術館内で、たっぷり堪能できたのが幸せだった。
三越を「椿」と変えて資生堂が出したとしても素敵に思える。

雑誌の勢いは、「ハガキ文学」まで発展し、
ひとひらのハガキサイズの中に、夢を閉じ込めた。
あぁ、現代のハガキのなんと夢のないことか。

そして、美術雑誌の大御所「みづゑ」が1905年に第1号を発刊する。

ヨーロッパで、西洋画を習得し、西洋芸術の洗礼を受けた画家達によって、
パリ万博の熱狂と共に、日本でも次々と新しい美術雑誌が生まれた。
画家達にとっても、自分たちの力を発揮できる絶好のチャンスだったろう。
どの作品にも力と熱気が溢れている。
そして、なによりも作品が瑞々しく、素敵に輝いているのが嬉しい。

こうしてみると、如何に黒田清輝達の白馬会の存在が大きかったかがわかる。
また、日本人画家達のデザイン力は、なんとも素敵だ。
新しい芸術のうねりを汲み取り、日本的に消化し、創意工夫がされ、
それを受け入れた、ブルジョア市民達の裕福な生活。
芸術が生活と共に夢を語っていたのだろうと、
こちらも夢心地になったのでした。
パリではジャポニズムから、アール・ヌーボー。
日本ではジャポニズムを発信し、アール・ヌーボーに憧れた。
この文化交流の何と素晴らしいこと。

次回は、浅井忠と神坂雪佳の世界です。
まだまだ、つづく・・・のです。ご容赦を。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誌上のユートピア・うらわ美... | トップ | 誌上のユートピア・うらわ美... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。