畠山記念館のチラシから
本年は、益田鈍翁(1848~1938)の誕生百六十年、
没後七十年にあたります。近代日本の経済基盤を築いた鈍翁は、
近代茶の湯の世界の重鎮としても大きな役割を果たしました。
そして当館の創設者、畠山即翁もまた多大な影響を受けた一人でした。
鈍翁と即翁の年齢差は三十四歳あり、
即翁は鈍翁から実に多くのことを学んだといいます。
一方の鈍翁も即翁に心尽くしの深切を示しました。・・・・
とあるように、
鈍翁は如春と39歳、即翁とは34歳離れていたが、
年の差を超えて、深く影響された人物というから、
スケールの大きさは相当なものだったのだろう。
何かを持っている人同士、年の差など何も影響なく
感性が響き合い、充実の楽しい時間を作り出せたのだろう。
展覧会の目玉、「柿の蔕茶碗 銘 毘沙門堂」
これを気に入っていた即翁は手に入れられないことを
残念に思っていることを知った鈍翁が手に入れ、
その茶碗を使った茶会に即翁を招いた。
その時に、即翁が「毘沙門堂」と名付けたのだそうだ。
*注 ↑の記事は、あべまつの嗚呼勘違いで、即翁と鈍翁のやったことが
ま反対であったことが、遊行さんの記事で知れました。
さすがの遊行さんでした。
なので、即と、鈍を入れ替えて、お読み下さりませ。
詳細は遊行さんの記事をぜひご一読を。
名茶器をめぐるエピソードが茶碗を一層楽しませてくれる。
画像は、その柿の蔕。今や重要文化財だ。
その茶会で使われたゆかりの品々が色を添える。
秀吉の消息 桃山時代16世紀
太夫棗 渡辺喜三郎作 大正~
鈍翁の書簡、狂歌 昭和12年~
鈍翁の収集品
織部焼きの元祖、御所丸茶碗 銘 堅田 李朝時代17世紀
探幽作の茶杓 江戸時代17世紀
伊賀擂座瓢形共蓋水指 桃山時代16世紀
そういったものがさらりと並べられている。
御所丸茶碗は、織部焼きと兄弟ということが
その形からもすぐ連想される。
古田織部がこの茶碗たちを御所丸船で韓国から手に入れたのに
ちなんだ名前がついたのだそうだ。
可愛がっていた姪っ子さんの婚儀に際しても
ともかくおめでたく、大事に思っていたことが
溢れている短冊や、書簡も興味深かった。
傑作は、「ふき富草子」
鳥獣戯画を髣髴とさせるかえるや猿達が
放屁を巡って、色々事件を楽しむ物語。
郵便番号をぶら下げた配達員や、自動車などがあって、
見ていても飽きない。
こういうこともなげに様々教養を下敷きに遊ぶって、
なんて楽しげなことだろう。
茶の湯の重々しい雰囲気はまったく感じられず、
愉快に楽しく、遊ぶ心と
人の心に尽くす、ハートに沁みるよい展覧会だった。
益田鈍翁、どんな人だったか、まだまだそのおおらかさを
感じるまで、こちらが育っていないのだが、
そんな重鎮を中心に集まった近代の茶人如春、
即翁たちのシアワセを少し分けてもらったような
素敵な展覧会だった。
小さな茶室に竹の花入れに、白玉の椿が一輪。
じわ~っと癒される床の間の空間が
ひときわ素敵な一時をプレゼントしてくれた。
12月14日まで。
都会の喧騒を忘れて、ぽっかり異次元へ誘われるままに
高輪の閑静な場所へお散歩しながらお出かけしてみてください。
本年は、益田鈍翁(1848~1938)の誕生百六十年、
没後七十年にあたります。近代日本の経済基盤を築いた鈍翁は、
近代茶の湯の世界の重鎮としても大きな役割を果たしました。
そして当館の創設者、畠山即翁もまた多大な影響を受けた一人でした。
鈍翁と即翁の年齢差は三十四歳あり、
即翁は鈍翁から実に多くのことを学んだといいます。
一方の鈍翁も即翁に心尽くしの深切を示しました。・・・・
とあるように、
鈍翁は如春と39歳、即翁とは34歳離れていたが、
年の差を超えて、深く影響された人物というから、
スケールの大きさは相当なものだったのだろう。
何かを持っている人同士、年の差など何も影響なく
感性が響き合い、充実の楽しい時間を作り出せたのだろう。
展覧会の目玉、「柿の蔕茶碗 銘 毘沙門堂」
これを気に入っていた即翁は手に入れられないことを
残念に思っていることを知った鈍翁が手に入れ、
その茶碗を使った茶会に即翁を招いた。
その時に、即翁が「毘沙門堂」と名付けたのだそうだ。
*注 ↑の記事は、あべまつの嗚呼勘違いで、即翁と鈍翁のやったことが
ま反対であったことが、遊行さんの記事で知れました。
さすがの遊行さんでした。
なので、即と、鈍を入れ替えて、お読み下さりませ。
詳細は遊行さんの記事をぜひご一読を。
名茶器をめぐるエピソードが茶碗を一層楽しませてくれる。
画像は、その柿の蔕。今や重要文化財だ。
その茶会で使われたゆかりの品々が色を添える。
秀吉の消息 桃山時代16世紀
太夫棗 渡辺喜三郎作 大正~
鈍翁の書簡、狂歌 昭和12年~
鈍翁の収集品
織部焼きの元祖、御所丸茶碗 銘 堅田 李朝時代17世紀
探幽作の茶杓 江戸時代17世紀
伊賀擂座瓢形共蓋水指 桃山時代16世紀
そういったものがさらりと並べられている。
御所丸茶碗は、織部焼きと兄弟ということが
その形からもすぐ連想される。
古田織部がこの茶碗たちを御所丸船で韓国から手に入れたのに
ちなんだ名前がついたのだそうだ。
可愛がっていた姪っ子さんの婚儀に際しても
ともかくおめでたく、大事に思っていたことが
溢れている短冊や、書簡も興味深かった。
傑作は、「ふき富草子」
鳥獣戯画を髣髴とさせるかえるや猿達が
放屁を巡って、色々事件を楽しむ物語。
郵便番号をぶら下げた配達員や、自動車などがあって、
見ていても飽きない。
こういうこともなげに様々教養を下敷きに遊ぶって、
なんて楽しげなことだろう。
茶の湯の重々しい雰囲気はまったく感じられず、
愉快に楽しく、遊ぶ心と
人の心に尽くす、ハートに沁みるよい展覧会だった。
益田鈍翁、どんな人だったか、まだまだそのおおらかさを
感じるまで、こちらが育っていないのだが、
そんな重鎮を中心に集まった近代の茶人如春、
即翁たちのシアワセを少し分けてもらったような
素敵な展覧会だった。
小さな茶室に竹の花入れに、白玉の椿が一輪。
じわ~っと癒される床の間の空間が
ひときわ素敵な一時をプレゼントしてくれた。
12月14日まで。
都会の喧騒を忘れて、ぽっかり異次元へ誘われるままに
高輪の閑静な場所へお散歩しながらお出かけしてみてください。
この展覧会や、三井記念美の「森川如春庵展」を観ていると、
人が品物を選ぶのではなく、名品がそれを持つべき人物を選んでいるように思えてきます。
白洲正子さんだったか、
良いものは、同じ所をぐるぐる回っているという話をしていたと思います。
名品は、至福の場所を自ら選ぶ旅をするのでしょうか?
人は案外振り回されて、大変ですけれど、それでも幸せなのでしょうね。
三井、畠山、といい展覧会続きでしたね。
こういうのを見ると、茶人への憧れが増します。
けっこう手紙の内容が面白いものが多く、今回はそこにも関心を持ちました。
それにしてもあの草紙、笑えましたね。
本当にタイムリーな展覧でした。
こんな楽しい爺がいてくれたら、
茶の湯も楽しくって面白くってと、思います。
放屁草紙は、面白かった~
絵も上手だったし、キャラクターがまた可笑しい。
いっそ冊子にして欲しいと思ったのでした。
心がほっこりしました。