あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

日本美術全集完結記念講演会 拝聴記 丸ビルホール

2016-03-25 22:57:41 | 日本美術
  
 あまり抽選にチャレンジできない日常なのですが、
 運良く、今回小学館から出版される、
 「日本美術全集」の編集委員のお二人の講演会が当選し、驚喜して参加してきました。
 会場で、青い日記帳のタケさんにお目に掛かったら、なんと900名を超える募集があったとか!
 よく当たりましたね~と驚かれていました。

 それもそのはず、会場丸ビルホールには
 開場時間前にはすでに長蛇の列、入場も列をつくって順次入るよう、
 指示があり人数の多さにびっくりしました。

 3月21日、月曜日祭日、2時から3時半までのノンストップトークでした!

 題して「書き換えられる日本美術史」

 そのお二人とは、奇想の図譜の著者で若冲旋風をしかけた 辻惟雄先生、
 そして、室町の専門から始めながらも今や縄文から現代を守備範囲にされる 山下裕二先生。

 このお二人のお話はハナから漫談調で(失礼!)大変楽しく拝聴しました。

 ガツガツとメモをとりましたが、
 さて文章として成り立つのやら不明ですが、乱文調のメモ、残そうと思います。

 ステージには桜一種のテーブル花。おじさんトークを華やかにしてくれます。
 会場には300人ほどの聴衆が楽しいお話に引き込まれ、
 時々笑い声がもれる楽しい会となりました。

 辻先生は昨夜、MIHOミュージアム卒業の歓送会で焼酎をあがりすぎたとか、
 ちょっとお疲れの様子、を山下先生が案じながらも6月22日に84才になられ、
 それは若冲が象とくじら図を描いた年齢だと、これからは雪舟86才、北斎88才、田中106才を目指して
 もらわないと、といえば、
 辻先生、小学館の「日本原色日本の美術」は大変で、そのころの事典ブームを思い出し
 今回の「日本美術全集」は立派で、本箱スペースをそのために確保し、背表紙を見せないで
 箱を反対に向けていつもすぐに出せるようにした、しかし、重いし、個人のお宅では
 立派すぎて大変だというと、
 山下先生、今日は販促の一環なので、と辻先生のあらぬ方向をたしなめます。
 まったく重鎮お二人の漫談のようで、お二人の信頼関係が強く、温かなものを感じるのでした。

 今、その昔の「原色日本の美術」30巻 まとめて3,000円(既に売切)というネット販売価格を発見してギョッとします。

 そういえば、昭和のお宅にはカラー世界なんとか全集、原色全集、などがサイドボードに並び、
 ついでにウイスキーのジョニ赤、黒とかが並び、洋行帰りのたばこがあったり、
 なんか変な熱がありましたっけ。(私は山下先生の一つ年長)

 ようやく本題が始まります。
 舞台背後の大きなスクリーンに日本美術全集に収められた名品が映し出され、
 それにそってお二人が感想を述べていくのですが、果たして現代まで時間内に
 収まるのか、スタート時点で危ぶまれます。

 さすがの小学館企画、レポート用紙とボールペンがプレゼントされました。

 この全集に収められた名品の解説は山下先生がリードし、
 辻先生がコメントする形式でした。
 途中、大画面を仰ぎ見る辻先生に山下先生が、先生、そんなふうにみてたらイナバウアーになっちゃう、
 手元モニターでも確認できますから、と優しい一面を。
 また、辻先生は講演会のためにノートを作られてきたそうで、足下に置いてあることを
 紹介すると、そんなものはいいんだ、と話をそらす照れ屋さんでした。


 *縄文 
  1999年縄文にようやく国宝が指定された。いまや土偶は5点が国宝。
  1952年のみずゑに発表された岡本太郎の文章は辻先生も驚きを持って読まれたとか。
  アカデミック美術界は無視していたジャンルだったが意外にも建築家が目を向けた。
  白井晟一、丹下健三、など。
  「縄文的」「弥生的」という表現を哲学者谷川徹三氏がした。(谷川俊太郎氏の父)
    
 *鹿はにわ 
  「かわいい」の原型ではないか。現代のKAWAII 見返りの鹿、素朴型。 

 *九州装飾古墳
   抽象表現が特徴、
   1972年は高松塚の発見で当時カラーの新聞号外がでたことを鮮明に記憶している山下せんせ。
   ほっぺに紅があったと興奮の仏教美の先生、亀田孜さんがいっていたそうです。
   
 *法隆寺 
   中国直輸入もの、飛鳥、天平は日本ではなく、もっと国際的なものだった。
   法隆寺も大陸的。この画像は新規撮影でつなぎ目がなく、大変素晴らしい。 
   法隆寺の壁画はインドの仏教美術の影響。
   岡倉天心の「なみのあと」彼は日本美術の発掘に執心した。
 
 *東大寺戒壇院 四天王
   東大の日本美術研究は毎年、ここに来ることとなっていた。
   東大寺にいってもなかなかここまでは見に来ない。
   リアルな表現、中国人でもなく、日本人てきな面相。

 *平安時代 神護寺 薬師如来
   もの凄い肉厚的仏像
   樹木に対し霊木と考える樹木信仰、つまり、縄文的なものに直結する
   東大寺の祭事には伎楽、中央アジアの笑いがある。
   かざり、あそび、アニミズム、その対極に簡素、シンプルがある。

 辻先生はお茶を稽古されたことがあったそうですが、茶杓で耳かきをしたという都市伝説がある、と
 山下先生が暴露されると、辻先生、袱紗裁きでつまってしまって、諦めたそうです。
 そのお茶文化の専門、熊倉功夫さんがなんと、次期MIHOミュージアムの館長就任とのこと。
 もう公開で良いでしょうとお二人。
 今後MIHOミュージアムは茶道にも力が注がれるのではないでしょうか。
 
 *源氏物語
  12世紀のものでこの絵巻きスタイルは日本オリジナル、この時代に中国にもみあたらない。
  
 *伴大納言絵巻
  12世紀にこれだけのものが生まれた。
  群衆描写、うねる群像、人物表現がすばらしい。
  火焔の表現もものすごく、これも中国にはない。
  武者小路実篤もこれはすごいといっていた。
  今年、出光美術館で全巻公開するとか。
  (出光美術館の今年の展覧会案内パンフも伴大納言絵巻が大々的に掲載
   4月9日から始まる美の祝典で上中下巻順次公開されるとのこと!!チェック重要!)

 *鳥獣戯画

 *和歌 料紙三十六歌仙(?)
  仮名文字の美しさ、非対称で美への執念さえ感じる。
  現在、MIHOミュージアムでかざり展開催中だが、今回は宗教色も加えている。
  以前のかざり展に+プライス氏所蔵の若冲の花木図を展示予定。(4月17日まで、会期は5月15日まで)

 *毛松の猿図
  中国絵画仁和寺 孔雀の描き方
  毛松の猿図には金泥も使われている。
  美術史家の戸田禎佑氏は中国思想の呪縛強く、中国を知らずして日本を語るな、
  という先生であったが、実は日本美術がお好きだった。
  毛松の猿は実は昭和天皇がご覧になったときに「これは日本の猿ですね」と
  看破されたとか。中国に献上した作品とされている。
  以前の徳川美術館長は陛下とご学友とのこと。

 *牧谿 観音猿鶴図 三幅
  日本の水墨画の父、と言われる。
  後に長谷川等伯が牧谿のこの3作を見なかったら松林図は生まれなかった。
  所蔵している大徳寺は年一回虫干し時に1日だけ公開しているとのこと。
  これを大観が模写した三幅を今年東博で拝見し驚きました。

 *無著世親像
  リアルな表現。
  私は無著像をマーくん、世親像をたけしだ、と思って眺めてしまいます。

 *重源像
  こちらも超リアルな表現。このエグサがすばらしいと絶賛の山下先生。

 *六道絵
  人の死後の腐乱化、骨化していく様
  「厭離穢土欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)を願う意味を表します。
  この世は苦難穢れが多いけれど、平和極楽浄土を願う、そういう時代背景があるようです。

 *伝源頼朝像
  この麗しい頼朝像は本当に頼朝なんだろうかと議論があって、決着を見ないままのようですが、
  個人的には誰でも良くて、麗しい肖像画にうっとりするだけです。
  山口晃画伯もご自身を重ねて描いていましたね。

 *明恵上人
  この人の代表的肖像画ですが、この得体の知れないへなへなの樹はなんだろうと
  山下先生。確か、鳥の他にリスがいるはずなんだけど、と探すけれど大きな画像でも見つかりません。
  どこにいるのか、ふ、お示ししたかったです。

 ようやく室町水墨画の登場ですが、辻先生が山下先生の得意ジャンルに
 水墨画を出し過ぎじゃないかと突っ込みを入れます。
 
 *日月四季花鳥図屏風 出光美術館所蔵
  やまと絵屏風の登場です。
  山下先生、この屏風はどこか「野卑」な感じがするといえば、辻先生は「野卑、というより
  エレガント」と仰ります。
  とはいえ、型にはまることをしない、自由さがあるようです。
 
 *日月山水図屏風 金剛寺所蔵
  この謎めいたうねりのある緑鮮やかなファンタジー的な屏風は
  白洲正子著作から教わったのですが、
  山下先生もこのうねうねダイナミックさ、円環的な構図に魅了されていて
  ゆくゆくは重文、のちに国宝と仰ると、辻先生はそうなると気前の良い金剛寺
  からなかなか借りることができなくなるのではないかと心配されます。
  それにしてもミステリアスな屏風です。
  そして、山下先生、ここに宗達の源流があるとのこと、納得です。

 *雪舟 天橋立図 国宝
  この時代まで実景図というものがほとんどないそうです。
  遠近法とはまったく合わない描き方。
  と、雪舟を語ると1時間などすぐ経つそうで、スピードアップに努めます。
 
 *雪舟 慧可断臂図 国宝
  山下先生と赤瀬川原平さんの日本美術応援団の表紙のコスプレを思い出してしまいます。 
  雪舟は国宝作品が6点あることに気がつきます。

 そこで、山下先生の室町専門研究をしてきたところ、ぱったり止めてしまい、
 デパートに三ヶ月お勤めしたそうで、辻先生がどうしたのかと思い
 そのデパートに行って、洋服を新調しようとしたそうですが既に上司とけんかして
 お辞めになった後だったとか。優良社員がどうしたのかと電話したことについて
 山下先生、今この場にいられるのも、あの「いのちの電話」のお陰だと
 懐かしがっておられました。その後、無事、研究に復活されたのですね。

 *洛中洛外図屏風
  金壁画屏風は沢山輸出されていた。
  洛中洛外図屏風 上杉本は信長が狩野永徳に命じて上杉謙信に贈ったということが
  黒田日出男氏によって決着を見たとのこと。これが永徳の基準作となるそうです。
  そのつづきで晩年の永徳の作「檜図屏風」について辻先生が
  「これは永徳じゃないと思うんだ」と仰天発言をされ、
  山下先生もあぁ、びっくりしたぁと仰います。
  山下先生は発狂寸前の永徳だと反論すれば、辻先生永徳と言えば「唐獅子」でしょうと。
  この師弟対決は随所にも見られ、研究者はご自身が疑問とすることを
  簡単に納得する事をしないのだなぁと実感致しました。


 *長谷川等伯 松林図屏風
  襖絵の草稿かとの見解もあるとか。

 *安土桃山 陣羽織 
  辻先生の著書「奇想の図譜」の表紙にも登場する黄色い富士山がシンボリックなもの。
  以前サントリー美術館で開催された「かざり展」でも晴れ晴れしく展示されました。

 *兜
  意表を衝くデザインの数々。

 *待庵
  利休の侘び寂び、インスタレーションでもあり、
  コンテンポラリーアートのもとでもあり、
  デュシャンでもある、茶の解釈。

 *投入堂
  あぶない国宝、今はお堂の中に入ることができないが、
  山下先生は2回上がったことがあり、中に入った最後の人だろうとのこと。
  日本美術応援隊の原平さんと一緒の時は原平さんは登らなかったそう。
  ほか、土門拳は半身不随でありながらも上がったそうです。

 *かるかや絵
  うまへたすぎてどうしようもない愛らしさがあります。
  16世紀に素人に描かせたのだそうです。

 *円空、木喰 
  奇想の起爆剤となった彫刻

 *白隠、仙ガイ
  山下先生、Bunkamuraで白隠展を監修されました。
  
 *加藤延清?(名前がよくわかりませんでした) 全部文字の羅漢図を描いた。
  ちょっと調べました。
  加藤信清 という人でした。江戸後期の仏画家とのこと、PCで調べると
  色々出てきました。そういえば、白隠展に展示されたでしょうか。
  どこかの展覧会で見たことがあります。

 *山雪 
  こちらも辻先生によって奇想の画家として紹介された
  天球院の老梅図をハリー・パッカード氏が貸してくれと裏の水墨画を売って、
  老梅図を買ったといういきさつがあるとか。
  今もメトロポリタン美術館でおどろおどろしい姿を見せてくれているのでしょう。
  東博で展示された際、あっと目にできた喜びをかみしめたことを思い出します。

 *岩佐又兵衛 洛中洛外図屏風 舟木本
  さて、辻先生のご専門です。
  こちらもずっと又兵衛であるか論争が続けられてきたそうですが、
  辻先生の疑問が解けて、ようやく又兵衛であると認めたことによって、
  洛中洛外図 舟木本が又兵衛作として紹介されるようになったそうです。
  「伝」がとれたのは辻先生の改心のお陰と山下せんせ。

 さてさていよいよ時間が危なくなってきました。
 琳派を飛ばそうとする山下先生に辻先生がちょっと待ったを入れ、
 尾形光琳の 紅白梅図をとりあげます

 *尾形光琳 紅白梅図屏風 MOA美術館所蔵
  この屏風の金箔が本物かどうか、科学のマシンが分析を試みましたが、
  結論は金箔としか見えない,という事になったようです。
  特番をくんだ某NHK(失敬)は大誤報を流したこととなったようです。
  
 ようやく若冲にたどり着きます。

 来月からの東京都美術館で開催される「若冲展」は
 大変な混雑が見込まれるので、早めの天気の悪い日に行きましょうと山下先生。
 辻先生も取材を沢山うけられれるそうです。
 
 *江戸時代から一挙に現代へ飛び、
  日本橋三越本店の巨大オブジェ、佐藤玄々(さとうげんげん)
  「天女像 まごころ」

 *赤瀬川原平 千円札

 *つげ義春

 ほか、牧野邦夫、山口はるみ、田中一村、村上隆、杉本博司、チームラボ、を盛り込んだ。
 狩野一信や蕭白などから影響を受けてきた村上隆で巻末裏表紙を取り上げた。

 19世紀は浮世絵、20世紀は漫画だと言っていい。

 時間となったところで、辻先生、これからの抱負は?と
 山下先生に尋ねられるとMIHO館長を辞されることもあってか、
 「やれるだけやった」とのこと。
 〆は山下先生の「雪舟、北斎、田中を目指してお元気でありますように」

 ばたばたとメモをしたので、乱雑な記事となりましたが、
 ほぼ1時間半、休みなくよどみなく、資料に目を落とすことなどせず、
 弁舌鮮やかに切り盛りされる山下先生に降参したのでした。

 チャーミングな奇想老人、辻御大の益々のご健勝を願います。

 また、小学館からのこの「日本美術全集」
 その現代未来の20巻に
 私が御贔屓にいしている彫刻家、佐々木誠さんの図版と解説が山下先生だったこと、
 歓喜しました。
 ん~~最後の巻だけは手に入れたくなるではないですか。

 ともかくは全巻見応えありありの素晴らしい全集であることだけは
 しっかり目に留めてきました。

 大きな図書館でがっつり広げたいところ。
 自宅にはやっぱり、立派すぎますよね、辻先生。
 久しぶりに辻先生の「日本美術の歴史」取り出してみようと思います。
 
 大物は大物を見いだすということのビッグサンプルを拝見したように思いました。

 (お願い:間違いなどお気づきの点ありましたら、コメント入れて頂けると助かります。)

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