あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

本田和の語りによる 宗左近 炎える母   金沢 STUDIO L.F.I 

2017-03-31 21:45:25 | イベント案内






 敬愛する宗左近氏の著作「炎える母」を
 本田和さんの語り、映像と音楽のコラボで語るイベントが
 旧知の金沢白山のギャラリー、ガレリア画廊オーナーのプロデュースで
 開催されるという事を聞き、
 これは現地に行かねばと心楽しみにしていました。
 
 その日は3月11日。奇しくも、という日程ではありましたが、
 イベント会場の空き状況がたまたまその日、だったとのこと。
 宗左近氏はその日が何の日か知る術もなく、遠く天空の中空から
 こちらに視線を投げかけていたのかも知れません。

 東京駅9時過ぎの北陸新幹線に乗り込むとお昼には私を無事に金沢まで運んでくれました。
 上越妙高を過ぎると、右手に海、左手は山脈、日本海側にきたのだなぁと
 しばし車窓を楽しみました。
 
 息子が既に金沢に行った経験があり、駅中のホテルが便利だと教わり
 そこに予約をしたので、簡単な荷物を置き、イベント会場へ向かいました。

 会場は金沢市内からちょっと離れていて、電車で野々市駅まで移動し、
 車内で偶然遭遇した知り合いと、地図を片手に
 歩いて会場を目指すことしました。
 さすがに、寒い風ではあったものの、なんとはなしに春近しという
 長閑さも陽光に感じられ、街中を探索しながらようやく到着。

 普段ライブスタジオという会場には、呼びかけに参集した
 方々、30名程度の席がボチボチ埋まって、地元ならではの
 親交が漂っていました。
 日頃の活動がしっかりと浸透しているという事なのでしょう。
 当日の語り、本田和さんのサイトをご紹介します。

 語りの本田和さんのサイトより
 当日の紹介動画もぜひご覧頂ければと思います。




 1945年5月25日、東京大空襲の折に宗左近氏が母と逃げながらも自分が生き残り、母の手が離れて、
 母を死なせてしまったという罪の体験が、詩作の根源に焼き付かれていることを
 まざまざと知らされる、「炎える母」
 母を失ってから、20年後に上梓した壮絶な作品です。
 
 心して聴かなければ、という思いと、
 現代でもそういった体験をした「宗左近」が世界中にいるではないか、
 という思いと、
 理不尽という悪夢をどうやって生き抜けばいいのか、
 という難題を持ち、この作品を読む度に暗澹たる思いとなるのですが、
 今回は、思いの外、フラットな気持ちで体験することができました。
 丁寧な語りのリズムに、軽やかにアニメーションがスクリーンで動き
 そこに詩と同調する音楽が情感に迫ります。
 これは新しい「炎える母」の誕生だと思いました。
 それは、人の声だけでは感じえられない、スクリーンに流れるアニメーションと
 詩に合わせた音楽の効果など、五感に拡散したことが影響したのかも知れません。
 作品を知っている人が感じた印象と、初めて触れた人の感想に
 違いが生まれたとしても、それはそれとして新しい広がりだと思えたのでした。

 そもそも追体験の重さなど、誰が等しく感じられましょう。
 作品は一つのイメージに拘ることなく、
 受け取った人の数ほど 新しい作品となって、
 その人の胸に届けば良いのではないかと、
 少し、自由な気持ちを持つ事ができました。

 発信先は宗左近氏であって、その先は君たちでいいんだよ、という声も
 聞こえてきそうです。

 ガレリア画廊のたっての希望で
 ともかくは「炎える母」を沢山の場所に届けたい、その一念が
 もっと拡散できるよう、お役に立てることができればと、思ったのでした。

 語り、の後、会場の方々との感想などの開かれた話し合いの場があったのが
 とても良かったのでした。
 それぞれの感想を伺う事ができましたし、私もそれなりの年齢となって、
 息子を持つ母となって、親の立場の感想などにも共感を持てることができました。
 
 凄惨な体験を作品にできた、詩人がいたからこそ、
 人の営みの残酷な厳しさ、その底流には無常の愛があることを
 今一度、この胸によみがえらせて、
 この世で一番崇高なことは、何なのかを確認できるきっかけとなれば。


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