あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

杉本博司 今昔三部作・趣味と芸術ー味占郷 千葉市美術館

2015-11-15 15:50:07 | 個展
 
 日々、追われることで、ヒーヒー言っておりますが、
 この日、突然午後から千葉に行けそうな気配、いや、行こう!と
 その時が転がり込んできたことを驚喜しました。

 tweetでなんだかおなじ所に行くという仲間が。
 では、と現地近くのケーキ屋さんでライトなランチをし、
 おしゃべり交換などもして、いざ、千葉美へ。

 私は人が悪い。
 そう「趣味と芸術」の著書あとがきに断りを入れる、杉本博司氏、
 こういうへそ曲がりのおじさんのイヤミ、本当に好きです。
 しかし、本心の本心のその核心には美、である事でしかなく、
 美への深い愛情と忠誠に、全身全霊およぶことがないと諦めつつも、
 ひざまずきます。

 その諦めは白洲正子への憧憬、にも似て、
 その人に集まる人々のまぶしきことも、似ていると実感します。
 
 つまり、美の追究はある一定のレベルのステージに住み着いている人にしか
 わからない共通語を持って繋がっているのだろうと、漠然と思います。

 骨董の名品は名品を巡る人々の中でしか回らない、そういわれることも
 納得できます。

 とはいえ、杉本博司氏の世界観から溢れる魅力と危険な毒素に
 溺れに行かずにはなりません。

 著書や、ドキュメント映画、杉本文楽、原美術館での展覧、
 身の丈に合うわけがないとは思いつつも、
 追いかけてきた私へのご褒美展覧です。



 フライヤーの洒落気、
 三部作の表紙を広げると正面にその案内、反対側は味占郷の案内。
 味占郷のほうから開けると正面が味占郷。
 いちいち嬉しいです。



 展覧は三部作、モノトーンの写真作品から始まります。
 会場に入ると大きな緩いカーブの壁に
 「海景」といわれる連作が均等間隔に並びます。
 1980年からとり続けてきた、カリブ海、隠岐、エーゲ海、
 ボーデン湖、リグリア海、スペリオル湖、
 よくよくみるとそれぞれの表情の違いに気づき、
 太陽の映り込み、とか、さざ波、とかを発見することができます。
 この景色の前に杉本氏はずっと座り続けていたのでしょうか。

 その写真への取り組み方は
 劇場シリーズによってまた驚嘆させられます。
 映画が劇場の幕に映されている間、ずっとカメラの目が開け放たれていて、
 残された画面は真っ白け、という残念さは物語のもののあはれ、
 を象徴しているのかもしれません。
 劇場の様々な装飾過多な様式美具合もそれを儚く思います。

 次のジオラマシリーズ、
 1976年のハイエナ・ジャッカル・ハゲタカ、が初作です。
 桃山の花鳥画を思い出しました。
 曽我二直庵が水墨画で鷹を雄々しく描きましたが、
 それをふと思い出したのです。 
 そう思うと、他の作品も水墨画、山水画、の構成の様相です。
 そうか、写真で水墨画を描いたのかと、勝手に合点しました。
 オリンピック雨林は、長谷川等伯の松林図、
 菱田春草の落葉、にも通じなくはありません。
 
 堂々たるモノクロの大作シリーズ、今昔三部作の後は
 趣味と芸術の世界、会場は階下へ移動します。
 
 入ったとたん、畳の青々しい香りに包まれ、
 この展示のために、畳を新調したのかと、恐れ入ったのでした。
 最初の床がまた、杉本氏のニューヨークに作られた
 茶室を思い出しました。
 古木がはめられ、結界の板にガラスの太い足が光ります。
 ロンドンギャラリーだなぁと感じ入ります。
 床飾りは 華厳瀧図 これは一瞬那智瀧だろうと思いましたが、華厳、日光なのでしょうか。

 ケースなしで近くまで見に行くことができます。
 直ぐ近くに 女神像がその場を見守っているようでした。

 このイントロダクションにまずはガツンとやられるわけです。
ここから杉本氏の趣味と芸術が始まる、ということです。

 そして、昨年、MOA美術館でお披露目された、実見できず残念でしたが
 紅白梅図屏風のプリント屏風が厳かにほのかな照明の下鈍く光ります。
 同行者はそこには必ず須田悦弘さんの梅があるに違いないと
 ご存じの人なので、ほうら、と近寄ります。
 白梅が案の定、屏風の足下に散らされています。
 須田さんだ~とうなります。
 おもむろに右に移動すると、
 屏風を照らす光線が切れた所の裏側から赤いものがちらり見えるではありませんか。
 須田さんの紅梅の花弁。
 鳥肌が立ちました。

 床飾りが延々と続くのですが、いちいち感想を述べていって良いのやら。
 ケースの中はやはり青い畳が敷いてあります。
 丁寧な仕事に感銘します。

 味占郷というのは、婦人画報で連載されてきた
 「謎の割烹 味占郷」という企画の中で、
 杉本氏が各界の著名人をおもてなししたときの床飾りを再現したもの、
 という事だそうです。
 杉本氏の純粋趣味の世界で収集してきたものを
 ゲストにあわせたしつらいを企てたという事です。
 そのエピソードがいちいち面白いので、著書「趣味と芸術」を
 手に入れてしまいました。

 おもてなし、することの楽しさと、いやらしさのせめぎ合い、
 とはいえ、割烹のオヤジに変身してもなんの疑いもなく、
 むしろ、その道40年です、みたいな職人の姿があまりにも
 ぴったりで仰天してしまいますが、
 こだわりの人には何の問題もなかったのかも知れません。

 床飾りは25点程度あり、
 その一つ一つを取り上げて感想にしていたら大変なので
 止めておきますが、
 表装の自由さ、時代や世界を飛び越えた収集品に低通する
 滅びたものへの哀惜、
 人間がやらかしてきた事への救いの道と終わらない愚行への諦め、
 とはいえ、そこにこそ儚き美が住まっている、
 そういった無常観がひしひしと迫ってきました。

 ポイントに、須田悦弘さんの木彫の草花が色を付けます。
 命は終わっている素材なのに、床飾りに息吹を与えます。
 利休の消息には須田さんの可憐な朝顔が添えられます。
 フライヤーにも使われた、
 南北朝の兜には夏草がそっとつわものどもが夢を残します。

 ガラスで有名なイタリア、ベニス、ムラノ島でガラスを修行されたのでしょうか、
 村野藤六という名前でガラス茶碗作家として作品を作ってしまいます。
 それも、茶陶のような渋さと、
 一入のような黒の中から赤が浮かぶような作り。
 当初、知人ガラス作家と混同してしまいましたが、
 いきなり正倉院御物の写真を見せてこれを作りたいと
 仰ったことあたり、常人の技ではありません。

 所々に海景を忍ばせたガラスの五輪塔があったり、
 驚きの表装に声を上げてしまいました。
 
 大倉集古館で根来展が開催されたことがありましたが、
 (これも、杉本氏の企画でした)
 そこで奈良の二月堂焼経とお水取りの鉢、
 そこに須田さんの椿のコラボにため息を漏らしたこと思い出しました。
 今回もその二月堂焼経が春日若宮の懸仏とともに現れました。
 
 そんなこんなが詰まった、展示にただただわくわく楽しく
 驚喜し時間を忘れることができたのでした。

 著書のなかで紹介されていた、
 「監獄茶会」これが秀逸で、
 お菓子が「くもの糸」!!
 救われないことのサディスティックな痛みよ。
 本当に高級なあそび、というのはこういうことを本気で
 真面目に取り組める大人がいることを嬉しく敬慕し、
 憧れをまた、一段と深く感じたのでした。

 あそびをせんとやうまれけむ。

 しかし、とはいえ、
 具された極上の料亭の味を賞味願いたいと思っては
 いけませんでしょうか。

 もてなされたゲストにストライクな料理写真が
 恨めしいほど美味しそうなのでした。

 五感にずんずん入り込む、危険な展覧でした。
 思わず、「歴史の歴史」をアマゾン買いしてしまったのでした。

 文化と政治は紙一重と仰る杉本氏の祭りは終わり、
 寒々とした風が一陣通り抜け、
 冬が来ることを教えてくれるのでした。 

 滅びることをくりかえす人の世は
 まこと、自然と虚ろをゆりうごくだけのもののように
 思えてくるのでした。
 この悪趣味な陶酔境は12月23日までの興行です。(ニヒリスト的に)

 参考:「趣味と芸術」ー謎の割烹 味占郷 杉本博司著
     千葉市美術館サイト



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