白隠さんの画像で、リラックスしてから始めます。
昨日のまだまだ暑い芝、御成門の東京美術倶楽部の素晴らしい環境で、
講義が始まりました。受講生は百名位でしょうか、お若い方もちらほら。
熟年層も参加される中、男性の参加が意外に多かったように思います。
主催者、東京美術倶楽部の社長からのご挨拶の後、
いつもと変わらぬひょうひょうどこ吹く風の山下先生が登壇されて
場の空気を丁寧にほぐしながら白隠への情熱を伝える楽しい語りが始まりました。
正面にはスライドスクリーン、その横のテーブルに腰掛け
パソコンを動かしながら、楽しい授業が進みました。
途中、山下先生がホワイトボードを要求されたところ、
さすがの骨董美術商のメッカ美術倶楽部の方々の早い対応と
畳の上に緋毛氈を敷いてその上にボードを設置し、
光が足りない点をカバーするために照明を木製の美しい脚立で音も立てずに
始末されるさまは実に見事で心地よい動きでした。
普段の仕事の丁寧さがうかがわれました。
さて、授業、始まります。
タイトルは
禅画を楽しむ 白隠を中心に
1,禅画と日本美術史
*Bunkamuraでの白隠展
まずはこの冬、西洋美術展を主に開催されている渋谷のBunkamuraにおいて、
お正月用の展示以来を受けた先生、白隠を仕掛けようと決めた。
その展覧に使われるチラシを参考に白隠さんの経歴を紹介。
白隠は高校の日本史にも登場しないという無残な扱いを受けている。
1685年に生まれ1768年に没する、84才の長命であった。
光琳が1716年に没するその年に若冲が生まれている。
時代が彼らとかぶっていることに注目。
臨済宗の開祖である白隠の作品をトーハク所蔵が2,3点。
京博には〇、公立博にはほとんどないという状況。
国宝は一点もなく、この冬のBunkamura以降、国宝指定が生まれるのではないかと
目論んでいる。
その点は逆にBunkamuraでの展示に好都合で
ほとんどの作品を会期中60日ほどの間、展示替えしないで
公開できる。
白隠はアメリカでの認知度が高い。
その作品点数は山下先生の当初の予想では二千点余りかと想像していたが、
じつは調べていくと軽く三千点を超え、もしかしたら一万点以上存在するのではないか。
つまり、史上一番多作な作品群となり、その点数は数万点になるかも知れない。
そんな大切な重要な人物、作品をこのまま埋もれさせるわけにはいかない。
雪舟は天上にに上がりすぎていたので、ぐっと引き下ろすことに
力を注いできた。
Bunkamuraで一緒に監修する花園大学教授の芳澤勝弘先生は
難解な白隠の賛を一番読める唯一の先生。
(「白隠ー禅画の世界」の芳澤先生著書を持参した私は先生との関係に謎が解ける)
ともかくは是非ともこのBunkamuraでの白隠展に来て欲しい。
*白隠の自画像
日本の絵師達に自画像を描いた人がいただろうか?
室町の明兆が描いた自画像が最初。
その後、雪舟(模写が残っている)雪村が続くが、彼らは禅僧である。
白隠の自画像の数は画けば自画像になってしまう勢い。
白隠は文字の読めない人のために画いていたのではないか。
アメリカにファンが多いのは「読めない人」に共通する
グラフィック的な訴える力があるのではないだろうか。
かのジョン・レノンが白隠を所有していたことは有名。
(NHKの特番白隠でその映像を見たことを後で思い出した。
確か、リビングの片隅にジョンレノンの背後に飾られていたようだった)
他にはロレックス社長も白隠ファン。
狩野派の絵師達や等伯、海北友松などの自画像はない。
ともかく自画像の多い禅僧だった。
*「ZENGA」
2000年渋谷の松濤美術館でギッターコレクションから
「ZENGA」展を企画したがギッター氏はアメリカの
眼科医でレーザー手術の専門家、ニューオリンズ在住。
軍医を経て来日し九州に滞在時に仙厓の禅画を見たのがきっかけだった。
過日のカトリーナ台風の時に自宅など被害に合われたが、
コレクションなどは無事だったそうだ。
その「ZENGA」展のチラシは若いデザイナーにお願いし、
斬新なものが出来てよかった。
バイリンガル仕様の図録は売り切れ。日本人よりも外国人に多く求められたようだ。
スクリーンに参考画像が次々と現れる。
「徳」という文字は今は使われなくなった「悳」という文字を使っていて
実にテンションが高い。太く黒々として迫力のある墨跡だ。
その賛に金品ではなく徳を積んで子孫に残せということが記されている。
白隠はその時の気分が作画も文字にもよく現れ、変化している。
よく使う言葉に
「直指人心 見性成佛」
じきしにんしん けんしょうじょうぶつ
自分を真っ直ぐみつめなさい、仏性を自分の中に見つけなさい、
自分に目覚めなさい。
白隠の自画像の目玉の特徴にこちらと目が合わない点。
色数が少なく、色つきは値も張る。
南天棒という禅僧の若冲の伏見人形の図のような
禅画はとても可愛らしく、
英語タイトルは「Coming&Going」
なんともユーモア溢れる作品。
南天棒の達磨図の緩さもそこぬけ。
*白隠の作品を観る
白隠の最大作品は正宗寺の「達磨図」で2メートル以上のもの。
(今回貸し出し願ったが叶わず)
また、静岡の清見寺には83才の図がある。
84才で亡くなる前年のもの。
白隠は60才で描きだし、70代では「若描き」と評された。
作品の全盛期は80代のものである。
人物を画けば何を画いても自画像になってしまう白隠だが、
観音像には特別なものがある。
(山下先生は白隠のマザコンを愛おしく語った)
作品の99%が紙だったが絹に画いたものが1%
その扱いの違いにも観音様への想いが伝わる。
白隠の作品はとても愛嬌があるので、
吹き出しを付けて鑑賞すると楽しい。
どこか間の悪い鍾馗さんがいたり
ひょうきんなすたすた坊主などの登場でクスリとさせるものがある。
「笑」を重要視している。
職業画家ではなく、法話のついでに絵を頼まれ
米味噌でも置いていけばよかった。
大阪の大阪市立近代美術館準備室は開館する予定が10年もの間
動かないままであるが、山本発次郎コレクションも白隠を持っている。
(某市長ではまだまだ動かないままでしょうね、とも)
今回のBunkamuraでの展覧に際し、静岡の原、松蔭寺に
白隠の像があるのでお参りしてきた。
京都の仏師が白隠と対面して彫ったものだろう。
その迫力は周りの弟子達も恐ろしく凄みを感じていただろう。
眼力の凄みをまざまざと見た後に
白隠の眼は斜視だったのではないかと気がついた。
それを同行の芳澤先生に伝えるとそれは気がつかなかったと。
そうなると自画像の目玉の力と視線が合わない不思議さが
納得いくのだった。
白隠の絵から下書きがよく見えるが
それを上回る出来でまったく支障がない。
今回は白隠の作品を生で間近に見るようにしてみたので
ぜひ観ていって欲しい。
次回は配られた資料を基にお話しをするので、
一度読んできて欲しい。
(大学の講義のようになったな~)
ここで第一回目の講義が終了。
あっという間の90分。
そして気付けば受講生はみな白隠応援団に入団してしまったのでは?
と思うほど山下先生の魔法に掛けられてしまいました。
白隠への情熱は見事伝染しました。
心地よい高揚感でまた白隠画を拝見すると
より一層愛着が生じてきます。
次回来月までに配られた資料を読んでくるようにとの宿題を頂き
まるで大学の講義のようになったと山下先生。
早速復習をかねてこの講義のメモを記事にしたわけですが、
何分劣等生な聴講生で不備間違いがあろうかと思います。
参加できなかった方へのご報告も兼ねて
お役に立てれば幸いです。
白隠は斜視ではないかという推量、確かに可能性ありそうです。
白隠ひたひたとブームの予感。
学生気分で楽しんできました。
これを機に白隠人気が盛り上がるといいですね。
後2回講義が続きますががんばります。