Ⅳ章 「方寸」と創作版画の出発
うらわ美術館の会場で、この「方寸」という美術雑誌を初めて見た。
何と素敵な表紙絵の雑誌だろう!
ずらりと並んでいる様も圧巻だ。
この本を所蔵している、
小野忠重版画館の所蔵印の版画カットも素敵。
なにしろ、「方寸」のロゴがめちゃくちゃ格好いい。
活字と写真、版画やカットがデザインも秀逸、
バランスよく配置されて、色数は少ないけれど、
だからこそ使い方が効いている。
・「方寸」1907~1911 35冊刊行
美術・文芸雑誌の雑誌として、石井柏亭、山本鼎、森田恒友の
3人によって創刊された。
西欧で「ココリコ」「ユーゲント」という雑誌があることに
影響されて、デザインからもそれが伺える。
図録の解説に
「日本近代の美術と文学の両方に関心をもつ人間にとっては、
金字塔のような存在である」(橋秀文氏)
という一文があったが、これが全てを表現していると思った。
後に北原白秋と「パンの会」を開催し、
画家・文人の交流の場となり、
パリのセーヌ河に思いを馳せ、隅田川河岸のレストランに拠点を持つ。
ずっと後もその「パンの会」を目指して「皿」という雑誌が出た。
かの川端康成、横光利一、「パンの会」メンバーだった木下杢太郎、
長田秀雄、吉井勇などが名を連ねた。
「方寸」を目指す雑誌が時間が経った後にも生まれる事は、
その存在の大きさを知ることになる。
・「屋上庭園」1909~1910
「パンの会」の機関紙。
北原白秋達が黒田清輝の絵を創刊号で表紙絵に使ったり、
白秋は「おかる寛平」を寄稿するが、
それが発禁の原因となり、あえなく2号刊行しただけで廃刊。
その前に、石井柏亭と、山本鼎の挿絵をいれた
「邪宗門」を上梓するが、
この絵と詩が、もの凄いインパクト。(紹介画像)
白秋は童謡を沢山書いた夢見る詩人ではなかったか?
今となって、もの凄い情念の強い人だということが思い知らされる。
2行だけご紹介。
「邪宗門」
われは思ふ 末世の邪宗切支丹でうすの魔法
黒船の加比旦を 紅毛の不可思議を・・・・
南蛮趣味という、宗教趣味に対する憧れを文学にしてしまうのは
白秋の魔法ではないか?すごいシュール。
その後、耽美趣味の
・「朱欒」ざんぼあを刊行。1911~1913
そのプロデュースで白秋の才能を発揮する。
拙いカットも自分で描いたり、
集まってきた文学人は大正文学の重鎮メンバー。
魅力ある文芸誌ではあったけれど、白秋自身の恋愛沙汰で
あえなく終刊。
他には、
石井柏亭の「東京十二景」の浮世絵の香する艶っぽい女性図。
おもわず滝田ゆうを思い出した、織田一磨の石版の「東京風景」
ことごとく、甘美でいい時代だったのだなぁと、しっとりする。
西洋画とアール・ヌーボーの嵐に巻き込まれた日本で、
西欧志向の熱狂の渦巻きから、自身の姿に変容していく様は
実に楽しいし、充実感あふれ、活気あふれている。
なにより表現が素敵で、都会的で、かっこいい。
後々にも多大な影響を与え続ける「方寸」
ほんの胸の中の小さな場所ではなく、
絶大な広場となって、
いつまでも雑誌作りの憧れ、
金字塔であり続けてもらいたいと願った。
ようやく、Ⅰ~Ⅳ章が終わりました。
後Ⅴ、Ⅵ章。ここまできたので、終わりまで頑張ります。
後もう少し、つづく。
うらわ美術館の会場で、この「方寸」という美術雑誌を初めて見た。
何と素敵な表紙絵の雑誌だろう!
ずらりと並んでいる様も圧巻だ。
この本を所蔵している、
小野忠重版画館の所蔵印の版画カットも素敵。
なにしろ、「方寸」のロゴがめちゃくちゃ格好いい。
活字と写真、版画やカットがデザインも秀逸、
バランスよく配置されて、色数は少ないけれど、
だからこそ使い方が効いている。
・「方寸」1907~1911 35冊刊行
美術・文芸雑誌の雑誌として、石井柏亭、山本鼎、森田恒友の
3人によって創刊された。
西欧で「ココリコ」「ユーゲント」という雑誌があることに
影響されて、デザインからもそれが伺える。
図録の解説に
「日本近代の美術と文学の両方に関心をもつ人間にとっては、
金字塔のような存在である」(橋秀文氏)
という一文があったが、これが全てを表現していると思った。
後に北原白秋と「パンの会」を開催し、
画家・文人の交流の場となり、
パリのセーヌ河に思いを馳せ、隅田川河岸のレストランに拠点を持つ。
ずっと後もその「パンの会」を目指して「皿」という雑誌が出た。
かの川端康成、横光利一、「パンの会」メンバーだった木下杢太郎、
長田秀雄、吉井勇などが名を連ねた。
「方寸」を目指す雑誌が時間が経った後にも生まれる事は、
その存在の大きさを知ることになる。
・「屋上庭園」1909~1910
「パンの会」の機関紙。
北原白秋達が黒田清輝の絵を創刊号で表紙絵に使ったり、
白秋は「おかる寛平」を寄稿するが、
それが発禁の原因となり、あえなく2号刊行しただけで廃刊。
その前に、石井柏亭と、山本鼎の挿絵をいれた
「邪宗門」を上梓するが、
この絵と詩が、もの凄いインパクト。(紹介画像)
白秋は童謡を沢山書いた夢見る詩人ではなかったか?
今となって、もの凄い情念の強い人だということが思い知らされる。
2行だけご紹介。
「邪宗門」
われは思ふ 末世の邪宗切支丹でうすの魔法
黒船の加比旦を 紅毛の不可思議を・・・・
南蛮趣味という、宗教趣味に対する憧れを文学にしてしまうのは
白秋の魔法ではないか?すごいシュール。
その後、耽美趣味の
・「朱欒」ざんぼあを刊行。1911~1913
そのプロデュースで白秋の才能を発揮する。
拙いカットも自分で描いたり、
集まってきた文学人は大正文学の重鎮メンバー。
魅力ある文芸誌ではあったけれど、白秋自身の恋愛沙汰で
あえなく終刊。
他には、
石井柏亭の「東京十二景」の浮世絵の香する艶っぽい女性図。
おもわず滝田ゆうを思い出した、織田一磨の石版の「東京風景」
ことごとく、甘美でいい時代だったのだなぁと、しっとりする。
西洋画とアール・ヌーボーの嵐に巻き込まれた日本で、
西欧志向の熱狂の渦巻きから、自身の姿に変容していく様は
実に楽しいし、充実感あふれ、活気あふれている。
なにより表現が素敵で、都会的で、かっこいい。
後々にも多大な影響を与え続ける「方寸」
ほんの胸の中の小さな場所ではなく、
絶大な広場となって、
いつまでも雑誌作りの憧れ、
金字塔であり続けてもらいたいと願った。
ようやく、Ⅰ~Ⅳ章が終わりました。
後Ⅴ、Ⅵ章。ここまできたので、終わりまで頑張ります。
後もう少し、つづく。
檄文ありがとうございます。
頑張って、終了できるよう勤めます。
とらさんに言って頂けたので、お尻に火がつきました。笑
この展覧会は、美術界に疎い私にとって、
とても良いテキストになってくれました。
様々な画家さん達が糸に繋がってくれたようです。
今度の旅も、記事になること、楽しみにさせて頂きます。お気をつけて~
勢いのあるうちに、熱の冷めないうちに、続けてアップしてください。
明日から、また旅にでますが、日曜日に帰ってきますので、そのときに[FIN]と書かれていることを期待しています。