あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

誌上のユートピア・うらわ美術館 つづきその4

2008-06-02 17:01:06 | 美術展
Ⅲ章 京都の浅井忠と神坂雪佳

この二人がタイトルで並ぶこと自体が驚きだった。
浅井忠は、洋画家ではなかったのか?
1896年にできた白馬会によって洋画壇の分裂を憂慮していた浅井忠、
1898年に東京美術学校の西洋画科教授になるが、
1900年のあのパリ万博を機にヨーロッパ文化を初めて触れ、
現地ではアール・ヌーボーのデザイナーや、陶芸家や
印象派で名高いグレーの隣村に行ったりする。
それらの体験がその後の浅井自身の変化となったらしい。
どう変わっていったかというと、
丁度京都高等工芸学校設立のために渡仏していた、
中沢岩太に出会い、その学校の図案化教授になると約束するのだ。
まさに、アール・ヌーボーを
工芸デザインとして捉えた結果ではないだろうか?
今まさに日本で、世界のデザインを考えなければならないと
思い立ったのではないだろうか?
それからの彼の作品は
すっかり意匠的な、日本的な画風に様変わりするのだ。

帰国した浅井は約束通り、京都の高等工芸学校の教授となり、
遊陶園、京漆園を設立し、京都の工芸作家達と活動を始める。
その中に、
津田清楓、その兄で去風流という華道家元の西川一草亭、
杉林古香、などが集まり、「小美術」という
図案研究誌が生まれたのだ。

そのデザインの何と素敵なこと。
西川一草亭は、後の熊谷守一のような単純な線ながらも
無駄のない、デザインをその誌上で現した。

また、京都出身の神坂雪佳は、四条派を学び、
東京では尾形光琳の工芸図案を研究していた。
1900年には、京都美術工芸学校に就職する。
翌年、グラスゴー万博に行き、
ついで西欧各地の図案を研究した。
帰国後は、浅井忠の遊陶園、京漆園にも参加する。
そこで、伝統的モチーフを近代的に蘇らせた、
「百々世草」(ももよぐさ)全3巻の代表作を発表。
その作品を出版したのが、
芸艸堂
現在も雪佳のグッズを手にすることができる。

展示コーナーで、目にとまったのが、
浅井忠の下絵による「鶏合蒔絵硯箱」
琳派が香っているではないか。

また、浅井忠の花器の下絵のような水彩画は、
ガレのガラスの下絵のようで、驚いた。

奇しくもパリや、グラスゴー万博で現地の
アール・ヌーボーに触れた二人は、
日本におけるアール・ヌーボーを創造するために
新しい境地を求め、工芸学校で、教鞭を執りながら、
様々色々なことに取り組んだのだ。
西欧に行って、日本のデザインに光を当てたかったのだろうと思う。

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2 コメント

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Unknown (すぴか)
2008-06-02 23:41:42
こんばんは。
4回にわたり読ませていただきました。
順を追って詳しく書いてくださって、ありがとうございます。良い感想と、丁寧な説明、さすがです。
それにしても大変な量と、すばらしく良質の展覧会でしたね。
芸艸堂のこと、気がつきませんでした、あの中の「伊藤若冲ー玄圃瑶華はがき」18枚セットとありますが、そのうちの何枚かを友人に頂いてそのすばらしさにびっくりしました。黒地に金色で書かれています。注文できるのですね、教えてくださり、ありがとうございました。
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すぴか さま (あべまつ)
2008-06-03 23:04:47
こんばんは。
長々と続けている記事にお付き合い下さり、
嬉しく思います!
その位、素晴らしい展覧会でした。
ものすごく引き込まれました。
近代作家達がこぞって関わっているのですもの~
驚きです。

芸艸堂、素敵ですよね。
若冲の版画シリーズのハガキを買い損なっていまして、気になっていたのです。
まるで、アール・ヌーボーじゃないか!と。
ご注文、されますか?
あぁ、はまりそうです。
買いすぎに注意しなくては。
この続きもありますので、
お付き合いよろしくお願いいたします。
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